<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 震度6</title>
	<atom:link href="http://toukaijisin.com/archives/tag/%e9%9c%87%e5%ba%a66/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://toukaijisin.com</link>
	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
	<lastBuildDate>Tue, 16 Nov 2010 12:06:49 +0000</lastBuildDate>
	<generator>http://wordpress.org/?v=2.8.4</generator>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
			<item>
		<title>岩手宮城内陸地震体験談②　宮城県沖地震の経験が生きた</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/251</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/251#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Oct 2010 11:55:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[岩手宮城内陸地震（2008年）]]></category>
		<category><![CDATA[宮城県沖地震]]></category>
		<category><![CDATA[岩手宮城内陸地震]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
		<category><![CDATA[震度6]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=251</guid>
		<description><![CDATA[6月14日日の地震には、皆さんも驚かれたことと思います。突然の大きな揺れを感じて、頭には宮城県沖地震の恐怖が蘇りました。宮城県沖地震は、今からちょうど30年前の6月12日に起きたマグニチュード7.4の大きな地震でした。
 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>6月14日日の地震には、皆さんも驚かれたことと思います。突然の大きな揺れを感じて、頭には宮城県沖地震の恐怖が蘇りました。宮城県沖地震は、今からちょうど30年前の6月12日に起きたマグニチュード7.4の大きな地震でした。</p>
<p><span id="more-251"></span></p>
<p>鮮明に記憶に残っているのは、自分が医師になった年と重なるからです。30年前医師の国家試験に合格して、大学病院で研修医として働き始めたばかりでした。仙台市内の最大震度は5でしたが、場所によって揺れの違いがあり震度6を記録した場所も会ったようです。突然の突き上げるような大きな揺れを感じて、慌てて机の下に潜り込んだことを覚えています。地震でもっとも印象に残っていることは、看護師のプロ意識でした。自分は医師になったばかりで、到底プロ意識持つ状況ではなかったことを反省をこめて思い出してしまいます。</p>
<p>大学病院の看護師たちは地震の揺れが収まらないうちに、机の下に隠れている新米医師をしり目に、病室の子どもの元に駆けつけていきました。そして、余震の続く中こども達を脇に抱え、避難と誘導を始めたのです。あまりの手際よさに、新米医師の自分はただただ呆気にとられて見ているだけでした。プロ意識を見せつけられ、恥ずかしい経験が未だに思い出されます。地震に遭遇するたびに、その状況を思い出してしまいます。経験は必ず活かされるもので、地震に動じなくなり、患者さんを第一に考えられるようになったのは宮城県沖地震の経験のお陰です。</p>
<p>　岩手・宮城内陸地震は、6月14日8時43分頃の突然大きな揺れで始まりました。ついに宮城県沖地震が来たのかとの思いが、不安をかき立てました。スタッフ始め、来院していた患者さんも、大きな揺れに動揺していました。家の被害などは後回しにして、まずは待合室に駆けつけました。「クリニックの耐震は十分に考えてあり、地震で倒壊することは無いから大丈夫。怪我しても、病院だから安心してじっと待ってよう」と。大丈夫という言葉で安心したのか、患者さん達もパニックを起すことも無く、冷静に地震が終わるのを待つことができました。もちろんクリニックにも、被害はありませんでした。<br />
　仙台市内の被害は軽微で安心していたのですが、時間が経つに連れてテレビを流れてくる映像を見るにつれ、宮城県北の栗駒市の甚大な被害には驚くばかりでした。ニュースでは、山の形が分らないほどの崩落、道路の一部だけが残っただけの土砂崩れ、旅館を押し流した土石流など、今までに目にしたこともないような大きな被害が報道されていました。直下型で限局された地域の強い揺れと、火山灰の地層の影響という理由で大きな被害になったようです。家屋の被害が少なかったことは不幸中の幸いでしたが、6月24日の官邸対策室の発表では、死者12人、行方不明者10人で、2週間後でも行方不明者が見つからないという異常な事態です。<br />
　災害時における政府の対応が遅れることがたびたび問題となってきましたが、今回の対応はかなり早かったという印象があります。警察庁や消防庁では直ちに災害本部を立ち上げ、政府も直ちに災害対策室を立ち上げ、福田総理も「被災状況の早期把握、迅速な広報、被災者などがある場合は救助に全力を挙げるように」と指示。自衛隊のヘリコプターが地震直後に派遣されました。内閣府特命担当大臣が、午後には現地に赴き、栗原市に政府現地連絡対策室を設置するなど、医療面でも当日中に医師団が診療を始めるなど、従来の地震の教訓がかなり活かされた迅速な対応は評価できるものでした。<br />
　話は変わりますが、宮城県沖地震は25～40年という比較的短い間隔で周期的に発生しています。地震調査研究推進本部によれば2007年1月1日から10年以内での発生確率は60%程度、30年以内では99%とされています。もうひとつ、三陸沖南部海溝寄り地震は30年以内の発生確率が80-90%とされ、宮城県沖地震と連動した場合にはマグニチュード8.0前後の大地震になると予想されています。今回の地震が宮城県沖地震でなかったことに安心しましたが、逆に目の前に迫って来ている宮城県沖地震への不安がつのるばかりです。<br />
　地震が起るたびに、教訓を活かすということが大事になります。今回のクリニックの対応や政府の対応は、教訓から生まれたものです。子育ても含め経験が教訓として形になることはとても大事なことですが、経験が活かされないということも侭あります。今回の経験を教訓として、必ず起る宮城県沖地震に向けての地震対策を忘れないようにしたいものです。<br />
　最後に、この岩手・宮城内陸地震で亡くなられた方々の御冥福と行方不明者の一日も早い発見を心よりお祈り申し上げます</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/251/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>新潟中越地震　体験談３　全国からの励まし</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/189</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/189#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 07:48:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[新潟県中越地震（2004年）]]></category>
		<category><![CDATA[ボランティア]]></category>
		<category><![CDATA[ライフライン]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[体験談]]></category>
		<category><![CDATA[新潟中越地震]]></category>
		<category><![CDATA[新潟県中越地震]]></category>
		<category><![CDATA[避難所]]></category>
		<category><![CDATA[震度6]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=189</guid>
		<description><![CDATA[被災場所：機内（新潟上級）
10月23日最初の大きな地震のあった時、私は大阪の学会からの帰りの飛行機の中にいました。もうすぐ新潟空港に着陸という時に機内放送で中越を中心とした震度６強の地震があり着陸ができないと案内があり [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災場所：機内（新潟上級）</p>
<p>10月23日最初の大きな地震のあった時、私は大阪の学会からの帰りの飛行機の中にいました。もうすぐ新潟空港に着陸という時に機内放送で中越を中心とした震度６強の地震があり着陸ができないと案内があり、新潟市上空を１時間ほど旋回を繰り返し、待たされました。<span id="more-189"></span>機内でのラジオ放送で大変なことになっていると知り、家族のことが心配で気が気ではありませんでした。</p>
<p> </p>
<p>それでもようやく着陸でき、何とか新潟駅までは行くことができましたが、そこから先、住居のある長岡市まで、新幹線、在来線、高速道路、あげくは一般国道まですべて遮断され、なすすべがありませんでした。家族に連絡をとりたくても携帯電話、公衆電話もパンク状態で何十回いや何百回かけたでしょうか。全くつながりません。いらだたしさとせつなさ、そしてわびしさがつのるばかりでした。二度とあんな思いはしたくありません。</p>
<p> </p>
<p>駅前で２、３時間したころ幸運にも県内にいる身内から携帯に連絡が入り、車で迎えにきてもらえることになりました。その車で長岡に向かいましたが、一般国道は通行止めということで、通れそうな裏道をさがしながら普段の道のりなら１時間のところ３時間以上もかかりました。長岡に近づくにつれて道は陥没や亀裂がひどくなっていき、停電で街灯や信号機もすべてストップしており、自分の家の付近まできたころは、電柱はたおれているは、マンホールは飛び出しているはで、大変なことがおきたことを実感しました。</p>
<p> </p>
<p>それでも夜中にようやく自宅に辿り着き家族が避難所に行っていることを知り、ようやく避難所で家族に会うことができました。全身から力が抜けるくらい安堵したのを鮮明に覚えています。翌日、夜明けと同時に自宅いってみましたが、それはもう言葉には言い表せないほど、酷いものでした。部屋の中はズタズタ・メチャメチャで割れたガラスと家具などで足の踏み場もないありさまでした。しかし、幸いにも家族が全員無事で怪我もなかったことを良しとして、必死に後片付けをしました。</p>
<p>長岡市や小千谷市を中心とした中越地区の被害状況が徐々に明らかになってくると、私の家はまだ被害の少ない良いほうなんだということがわかりました。周辺をみても倒壊した家や半壊の家がいくつもありました。　ライフラインがダメだったことと、強い余震のため私たち家族は５日間ほど避難所で過ごしざるをえませんでした。これも二度と体験したくないほど悲惨な経験でした。</p>
<p> </p>
<p>食べ物の配給は極くわずかでしたし、風呂にも入れない、そしてなによりも寒かったです。本当につらい毎日でした。私たち家族は５日間ほどでしたが、２週間以上経った今でも避難所でつらい生活を強いられている人がまだまだ沢山います。その方々の身体と精神的な面が非常に心配です。</p>
<p>しかし、今回の地震というつらい試練の中で一つだけすばらしいと感激したことがあります。それは全国各地からの支援してくださる方々です。地震のあった翌日か翌々日には兵庫ナンバーや茨城、福島ナンバーなど数多くの他県の災害支援車がかけつけてくれて、ライフラインの復旧に全力をあげて取り組んでくれていました。石川県からの看護師さんも見かけました。全国各地からの多くのボランティアの方々が「がんばろう新潟」のワッペンを胸に一生懸命支援してくださる姿をあちこちで見ました。励ましの電話やメールもたくさんいただきました。本当に心が熱くなる思いでした。我々がどれだけ救われたことか…。</p>
<p> </p>
<p>私たちの本当の戦いはこれからです。全国のみなさんからのあたたかい支援を励みとしてがんばっていきたいと思います。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/189/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>福井地震とは？福井地震の概要</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/64</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/64#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 07 Sep 2009 08:09:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[福井地震（1948年）]]></category>
		<category><![CDATA[1948]]></category>
		<category><![CDATA[全壊]]></category>
		<category><![CDATA[概要]]></category>
		<category><![CDATA[死者]]></category>
		<category><![CDATA[福井地震]]></category>
		<category><![CDATA[規模]]></category>
		<category><![CDATA[震度6]]></category>
		<category><![CDATA[震源]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=64</guid>
		<description><![CDATA[1948年6月28日17時13分（夏時間）に，福井県丸岡町を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生した．この地震で，当時の気象庁震度階級では最大であった震度6を記録した．この地震による死者の主な原因は火災であり，全壊 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: small; color: #000000; font-family: ＭＳ ゴシック;"><span style="font-size: small; color: #000000; font-family: ＭＳ ゴシック;">1948年6月28日17時13分（夏時間）に，福井県丸岡町を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生した．この地震で，当時の気象庁震度階級では最大であった震度6を記録した．この地震による死者の主な原因は火災であり，全壊率が100%に達する集落も多いことから，その被害は甚大だった．</span></span></p>
<p><span style="font-size: small; color: #000000; font-family: ＭＳ ゴシック;"></span><span style="font-size: small; color: #000000; font-family: ＭＳ ゴシック;"><span style="font-size: small; color: #000000; font-family: ＭＳ ゴシック;"><br />
　明治以降の震災について死者数で比較すると，福井地震は大正12年の関東地震，明治29年の三陸地震津波，明治24年の濃尾地震，平成7年の兵庫県南部地震に次いで第5位であり，典型的な都市直下型の震災であった．最も被害の大きかった福井市では、人口約８万６０００人のうち約９３０人が死亡。死亡率１・１％は、阪神大震災時の神戸市東灘区を上回っている。<!--DetailBox-->また，この地震を契機に，気象庁震度階には震度7が制定されることとなった。</span></span></p>
<div id="attachment_66" class="wp-caption aligncenter" style="width: 466px"><img class="size-full wp-image-66" title="福井地震の震源・被害" src="http://toukaijisin.com/hisai/wp-content/uploads/2009/11/ad56e57fb39e88126e69afb0bee071f5.gif" alt="福井地震の震源位置・規模" width="456" height="233" /><p class="wp-caption-text">福井地震の震源位置・規模</p></div>
<p><span style="font-size: small; font-family: ＭＳ ゴシック;">人的被害：<span style="color: #000000;">死亡者3,769名，負傷者22,203名</span></span></p>
<p><span style="font-size: small; font-family: ＭＳ ゴシック;">建物被害：<span style="color: #000000;">全壊36,184戸，半壊11,816戸（<span style="color: #000000;">焼失3, 851戸</span>）</span></span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/64/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>

