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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 阪神大震災</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>阪神淡路大震災　体験談②　あの大地震でぼくは</title>
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		<pubDate>Sun, 15 Nov 2009 14:34:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
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		<description><![CDATA[被災地：神戸市中央区（中学２年　男子）
１月１７日５時４６分、ぼくにとって、いや、この阪神一円に住んでいる人にとって、一生忘れられない、あのかつてない大地震が熟睡していたぼくたちを直撃した瞬間だった。
あの瞬間ぼくは、パ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：神戸市中央区（中学２年　男子）</p>
<p>１月１７日５時４６分、ぼくにとって、いや、この阪神一円に住んでいる人にとって、一生忘れられない、あのかつてない大地震が熟睡していたぼくたちを直撃した瞬間だった。<span id="more-120"></span></p>
<p>あの瞬間ぼくは、パッと目が覚めた。家中の窓や障子、ふすまが破れんばかりの音を出している中で、そして次の瞬間、ぼくが寝ていたベッドがまるで荒れくるった波の中でただひたすら流れにまかせる小舟のように激しく揺れ出した。蛍光灯やグラス、食器が「バリバリ」と、とにかくすごい音を出しながら強く地面に打ちつけられ、水槽もあまりの揺れでサイドボードからとび出し、棚と衝突したらしくガラスが割れ、中にいる十数ひきの金魚や鯉が音を立てながら必死に跳ねていた。</p>
<p>突然のできごとに、普段から地震の時は、座布団でもなんでもいいから頭だけは守れと言われてきたが、ぼくは身動きひとつできずに、ただ呆然とベッドに横たわっていた。揺れが一段おさまってから、ぼくはパジャマのままで、裸足でガラスや金魚があるかどうかもわからないまま、妹と両親の部屋に行こうとひたすら思っていて、まさに理性を失ったパニック状態だった。地面は水槽の水でぬれていて、冷たかった。両親と会ってからも眼鏡がないとほとんど見えないので、両親に「眼鏡を捜して」とばかり言っていた。</p>
<p>この時、一番落ち着いていたのは父さんでした。父さんはまず、ガラスが割れているのでスリッパがないと危ないと言った。それから懐中電灯と眼鏡だ。そして、スリッパをはいて、母さんは懐中電灯を探し出したが、ガラスで少し足を切った。ぼくも父さんに「さっき裸足で歩いていたから、足切ってないか」ときかれたが、幸い足の裏は奇跡的に無傷で、母さんと同じくすねを少し切ったぐらいですんだ。</p>
<p> </p>
<p>しかし、なぜか妹がいない。母さんが声をかけると、妹はタンスが倒れて、身動きができないが、幸い怪我はなかった。眼鏡は確かケースに入れてなかった。半ばあきらめていたが、こっちも奇跡的に無傷だった。</p>
<p>６時ぐらいになると、ようやくお日様はいつもどおりのぼってきた。家の中はめちゃくちゃだった。重そうに見えたタンスやサイドボード、テーブルなどは倒れているのもあれば１０数センチも動いたのもあった。１回も使ったことのない食器やグラスなどが棚から落ち２センチぐらい積もっていた。本とかも本棚から落ち、散乱していた。台所は調味料がおちていたもののごま油以外は割れなかった。</p>
<p>午後５時ぐらいには電気が来た。電子レンジや電気炊飯器は棚から落ちたが、幸い　こわれていなかったおかげで温かいご飯とおかずを食べることができた。テレビも見ることができて、本当に心強かった。夜中に隣の棟のポートビレッジに火事が起こったが、すぐに消してもらえた。こうして、ぼくの１月１７日は終わった。</p>
<p>あの日から５７日の今日３月１５日までに、ぼくは、この地震がなかったら、体験できないいろんなことを体験してきた。</p>
<p>まず、この阪神大震災によって、父さんを尊敬できた。こんな大地震でも落ち着いていて、そして、揺れがおさまった後すぐに浴槽に半分ぐらい水をためたおかげで、どれだけ、助かっただろうか。ふだんは、頑固で、あんまりぼくや妹をかまわないが、初めて、父さんはたよりになるなあ、と思った。</p>
<p>そして、何時間も並んでやっともらえた食料品、このポートアイランドを歩き回っての水探し、水運び、三宮から５キロの米をかついでかえった買い出しで、水のありがたさや食べ物の貴重さが身にしみるほど分かった。</p>
<p>ぼくが２年間ぐらい飼ってきた金魚は半分以上死んだ。犬みたいに人になついたり、遊んだりすることはできないが、なにか家族のようなきずなでつながっていたと思う。水がなくて死んだ金魚もいれば、暗い時に家族にふまれたり、重い物につぶされたりで、無残な遺体を見た時には、涙がでるぐらい、心が引きさかれた。</p>
<p>この阪神大震災によって一番大切に思ったものは何かと聞かれると、ぼくは絶対「家族」と答える。トイレが使えなくて、仮設トイレで仕方なく用をすますのは、むちゃくちゃつらいけど、ぼくがこの体験記を書くため、わざわざ夜中の１時半まで待ってくれた母さんがいなければ、ぼくもここまでがんばれなかったと思う。最後に、ありがとう、お母さん。</p>
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		<title>阪神淡路大震災　体験談①　生きている日を大切に</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 14:28:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[★阪神淡路大震災（1995年）]]></category>
		<category><![CDATA[ガス]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：神戸市東灘区　（高校１年女子）
あの瞬間は、本当に何が何んだかわかりませんでした。死にたくないと、思い切り叫びました。ガラスが割れて、本棚が倒れてきました。お母さんの声が聞こえて、それっきり静かになりました。お母 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：神戸市東灘区　（高校１年女子）</p>
<p>あの瞬間は、本当に何が何んだかわかりませんでした。死にたくないと、思い切り叫びました。ガラスが割れて、本棚が倒れてきました。<span id="more-118"></span>お母さんの声が聞こえて、それっきり静かになりました。お母さんは、すぐに私の部屋の入り口まできました。私は自力で本棚を抜け出して、お母さん達と一緒に外へ出ました。</p>
<p>近所の人達は、みんなグラウンドでうろたえていました。家の中に埋まったままの人もいて、男の人達は何とか掘り出そうと必死でした。私は、何も出来ない自分をさびしく思いました。私には、それだけの力はありません。私やお母さん達は家の中を片付けに入りました。</p>
<p>あっという間に夕方になりました。熱いみそ汁を飲みました。空っぽの胃の中に広がるみその味は格別でした。６時になると、みんなは集会所へ入りました。それからは１０分、２０分がなかなか過ぎなくて、私は近所の幼友達二人とずっと歌っていました。</p>
<p>懐中電灯は電池がなくなるといけないので、消したままでした。日中働き詰めた大人の人達は、みんな先に眠ってしまいました。私は怖かったけれど、友達と笑っているうちに少し気持ちが明るくなりました。</p>
<p>次の日の明け方、突然避難勧告が出ました。私達は、毛布をまとって、山の方向を向いて歩きました。やっと辿り着いた所は、野寄公園でした。私は熱が出て、幼友達と一緒に毛布にくるまって寝ていました。公園に身体を横たえるなんて初めてでした。</p>
<p>私は、名前も何も持たない人間になったように感じました。足先が氷のように冷たくて、靴を脱いでマフラー等を巻き付けました。<br />
私達がそうしている間に、お母さん達や他の大人は、風よけ程度のテントを作ってくれました。私と友達は、その中で一日中何も出来ませんでした。</p>
<p>サイレンの音が、ずっと聞こえていました。耳が痛くて、怖くて、聞きたくありませんでした。早く普通の暮らしに戻りたいと思いました。<br />
食料はアンパン等でしたが、数が足りませんでした。私はアンパンが少しの間食べられなくて、ポケットに入れておきました。</p>
<p>夜になって、私は自分の家族や、友達の家族と一緒に、一晩中火の傍にいました。ポケットに入れておいたアンパンを食べると、石けんの味がしました。ポケットに石けんを入れていたからです。私は、みんなが生きていてくれて、本当に幸せです。自分を支えてくれる家族や友達がいるから、落ち込まずに頑張れるのだと思います。</p>
<p>それから数日後、私達は元の家へ帰っていました。水もガスも出ませんでしたが、電気だけはつきました。私は真っ黒な夜が怖かったので、飛び上がる程うれしかったです。洗たく物がたまってきたら、住吉川へいきました。冷たい水に足を浸すと、血管がズキズキして凍りつきそうでした。でもその日は天気が良くて、仕事に慣れてくると楽しくなりました。</p>
<p>水運びも、お風呂で何時間も並ぶことも嫌でなくなりました。私は生きているから、地震で亡くなった人達とは比べられない程幸せです。私の同級生も、３人死んでしまいました。そのうち２人は私の友達でした。私は今でも実感が湧きません。どうして今まで生きて、一緒に勉強して、やっと高校生になれたのに、何のために悩んで苦しんで受験を受けたのでしょうか。仲良くなって、その人を好きになっても、別れなくてはいけないのなら、どうして友達になったのでしょうか。</p>
<p>私はこれからも生きてゆくことができます。生きて、自分次第で精一杯人生を満喫できます。死ぬことは本当に怖いけれど、生きていれば、どんなことでも切り抜けてゆけると思います。</p>
<p>せっかく自分として生まれてきたのだから、いじけてばかりではつまらないとおもいます。わり込みをしたり、働かずに避難所巡りをしたり、お互いにいがみ合ったり、そういうことはいじけたつまらないことだと思います。人間の姿は、こんな時にさらけ出されてしまうのだと思います。</p>
<p>そんな人のいる半面、雨の日、傘もささずに歩いていた私に、自分の身につけていた傘と手袋をくれた人もいました。</p>
<p>私は、人間は醜い欲望の塊ではないのだと思い、感動で胸がいっぱいになりました。私はあの人を見習って、一生懸命生きてゆく中でも、他人を思いやることのできる人間になれるように努力していきたいです。そしてできる限り明るく、今を大切に生きていきたいです。</p>
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