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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 関東地震</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>関東大地震　経験談９　阿鼻叫喚の世界</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Apr 2010 07:23:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京　本所区
関東大震災当時私は９才、本所区立中和小学校４年生でした。あの日の事は生涯忘れられず、まるで昨日のことの様に恐怖がよみがえってきます。
　９月１日、父は朝から旅行に出かけました。その出かけに、なにか太 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　本所区</p>
<p>関東大震災当時私は９才、本所区立中和小学校４年生でした。あの日の事は生涯忘れられず、まるで昨日のことの様に恐怖がよみがえってきます。<span id="more-176"></span><br />
　９月１日、父は朝から旅行に出かけました。その出かけに、なにか太陽のまわりが黒ずんだ異様な色をしていたと申しておりました。</p>
<p> <br />
　当日私は始業式の後、夏休みの臨海学校の荷物を受取っていたため帰宅が遅れ、母が私と昼食を共にするため待っていました。忘れもしません、その時のおかずはほうれん草のおしたし、いかと焼豆腐の煮つけでした。お腹をすかした２人が箸をとった瞬間、地下がズンズンと響き、たてに大きく揺れたかと思うと、ガラガラ、もう揺れるなんてものではありません。庭の地面が地響きをたて、地割れし、石灯篭が倒れ、棚のものは勿論、壁、襖、ガラス戸、何も彼もくずれ落ちて差塵をたてています。</p>
<p> </p>
<p>やっとの思いで隣の八畳間の座卓の下に母と一緒にころがり込む様に入り、法華宗でもないのに夢中で、題目を唱えて地震の静まるのを待ちました。ずい分長い間揺れている様でした。とてもガス栓を閉めたり、火を消す状態ではありませんでした。</p>
<p> <br />
　やがて揺れがいくらかおさまったので、外へ出ようとしましたが、家の中は目茶目茶、足の踏場もありません。それに余震が絶えずきますので、とても恐ろしく生きた心地ではありません。店の方は鉄材が散乱し、外へ出られません。いち早く外へ飛び出した店員達が私達を見ますと抱え出してくれました。誰れの顔も蒼白で恐ろしさにおののいております。外は電線がたれさがり、あちらこちら大きな地割れで地震の凄さを物語っておりました。向い側の間口の大きい大石酒店さんの家はぺちゃんこにつぶれ、並びの金物屋さんのおばちゃんが、つぶされた家の中にいると家人が騒いでいました。</p>
<p> <br />
　やがて、あちこちで煙が立ち始め、ここに居ては危険だと皆で相談の結果、私達は本所被服廠跡に避難することとなりました。母が古足袋を家の中から見付けてきて皆に足袋をはかせてくれました。今にして思えば赤いベッチンの冬足袋が私の生命を救ってくれたと思います。</p>
<p> <br />
　私達は、背中に小さな風呂敷包みだけを背負い被服廠跡まで歩いていきました。途中、大八車に沢山の荷物を積んだ避難民で歩けないぐらいでした。被服廠跡にたどりつき、私達は荷物がないので奥の方に入りひとまずゴザを敷いて休んでおりましたが、やがて火の手がだんだんと近づき荷物に火がつきはじめ、もうそこにはいられなくなりました。火の勢いと一緒に何か遠くで花火の様な音がポンポンと絶えず聞こえました。</p>
<p> </p>
<p>そのうち強い風が吹き竜巻となり大きな荷物が飛び散り、炎に追われた人達の髪に火がつきぼうぼう燃え、着物に火がついても消す閑もなく力かぎり逃げまどいました。荷物と人がごろごろ倒れている炎の中をしっかり母の手に握られ、幾度も人波につぶされた私は気を失ったそうです。</p>
<p> </p>
<p>どの位い逃げ回ったでしょうか、気がついたときは私は母のひざでうつらうつらしておりました。多分夜中頃だったでしょう。あたりは助かった人達が大勢いましたが、火傷を負った人達のうめき声「水をくれ」「苦しい」「助けてくれ」と阿鼻叫喚さながら、地獄とはこの様なことと子供心に思いました。その中に元気な男の人がゴム靴の中に安田庭園の池の水を汲んできて飲ませていましたが、その水を飲むとぴくぴくとけいれんをして死んで行くのを幾人も見ました。悪夢の様な一日がやっと明け、私達のまわりは死人がごろごろ横たわり見渡すかぎり焼けこげた荷物と死者が山の様でした。</p>
<p> <br />
　近くの製氷会社から氷を貰ったので、私は小さな子供の焼死体を見ると口に氷を入れて歩きました。中には未だ呼吸があるのか口をぴくぴく動かしている子があり、思い出しても涙があふれてきます。</p>
<p> <br />
　ぼんやり母と二人で地面に座っていますと乞食の様になった我家の女中さんが大声で泣きながらとびついてきました。彼女もたいした火傷もせず助かったのです。又しばらくすると、谷さんの奥さんが両手に連れていた子供を亡くしたと、泣きながら私達の許へ来ました。背中の赤ちゃんは火傷で声も出ない程ですが、どうすることも出来ず、皆抱き合って泣きました。やがて私達は被服廠跡を出て千葉方向へとぼそぼそ歩き出しました。</p>
<p> <br />
　途中ビルの窓から首を出してそのまま黒こげになっている人、赤ちゃんをかばう様に抱きかかえて死んでいる人、もうきりがありません。馬もずいぶん死んでいました。しばらく歩いて行くと焼跡で五六人の男の人が炊き出しをしていました。女中さんがボロボロの前掛けの中に入れて貰ってきました。私達はよごれた手で一つかみづつむさぼり口にほおばりました。何しろ１日の昼から何も食べていませんでした。</p>
<p> </p>
<p> <br />
　母は顔と背中に大火傷をして、まるでお岩さんの様でした。私達の背中の小さい荷物はどこへやら、着物はぼろぼろ、髪の中はじゃりじゃりでした。</p>
<p> <br />
　私達は放心した様にそれでも荒川放水路の鉄橋まで来ました。雨がしとしとと降ってきて川の水は地震の後か茶色くよどみ、水かさも増しうづを巻いて流れております。橋の真中にやっと一人渡れる位の板があり、その板にしがみつく様にはえずって長い鉄橋を渡ったのがとても恐ろしかったと覚えております。</p>
<p> </p>
<p>途中、小岩あたりで畑の中で野宿し、そこから貨物列車に乗せて貰い船橋にたどり着きました。船橋の小学校も避難民でいっぱいでしたが、おにぎりや着物を貰い火傷の手当もしてくださり、やっと人間らしくなりました</p>
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		<title>関東大地震　経験談８　木に引っかかる死体</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Apr 2010 07:13:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>
		<category><![CDATA[関東地震]]></category>
		<category><![CDATA[関東大地震]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：東京　本所区
当時私ども父母と兄妹３人は工場の従業員２０数人と住んでいた。
私は府立第一高女の二年生で始業式から帰宅、浴衣に着替えてアルバムを見ていた。
突然ゴーﾂという音に何だろうと思って顔をあげた瞬間、ドンと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　本所区</p>
<p>当時私ども父母と兄妹３人は工場の従業員２０数人と住んでいた。<br />
私は府立第一高女の二年生で始業式から帰宅、浴衣に着替えてアルバムを見ていた。</p>
<p><span id="more-174"></span>突然ゴーﾂという音に何だろうと思って顔をあげた瞬間、ドンと突き上がりガタンと落ち、大揺れに揺れて歩こうにも歩けない。畳の上を這うようにまごまごしているうちに、目の前に隣家の屋根瓦が現れた。驚いて外へ出ようと思ったが、思うように動けない。突然私の名を呼びながら父がよろけながら私の手を握った。早く逃げるのだと手を引っ張り、やっと外へ出て驚いた。</p>
<p> </p>
<p>つぶれた家々の屋根瓦の山、もうもうとした土煙りの中を父と私は、外手公園から石原町あたりまで走って来たとき、巡査が被服廠へ逃げろと誘導していたので、みな被服廠跡めがけてかけ出した。もう広場は一杯で、荷物を引いた馬、大八車に満載した畳、家財道具、そのそばでもたれるようにしている怪我人など、不安とあせりで私達は危険ということは全く気付かなかった。</p>
<p> <br />
被服廠跡は火に囲まれ黒煙の中を炎が上がっている。「広いけど大丈夫かしら」と話ながら少しでも落ち着きたいと思っていた。この大量の家財道具に火がついたらどんな惨事になるかなどは夢にも考えていなかった。空は真黒、その中に絵の具で塗ったような真っ赤な大きな太陽が見え何とも不気味な光景、「お母さん達、大丈夫かしら」「大丈夫だよ、大勢いるから皆と一緒に来ているよ」私達もこのまま火は消えるものと信じ込んでいた。と突然ゴーﾂという音と一緒にものすごい風が起こり、アﾂという間に物はみんな飛び散り、火が私達の中に舞い込んできた。</p>
<p> </p>
<p>「お父さんお父さん」と私はころげ廻りながら呼び続け、父の手を求めたが、その時はもう父と離れ父の声は聞こえない。私は声の続くかぎり父の名を呼び続けた。ころんでは起き、起きてはころびして真暗闇の中を走った。折り重なった死体の上も走った。闇と火の二色だけの中を走り廻ったのだ。</p>
<p> </p>
<p>急に気味悪いばかりの静かな所に出た。一方は火で明るく、一方は真暗で何ということなしに暗いほうへと歩いていった。安田邸の池に出た。私は夢中で池の中に飛び込んだが火の粉が顔にふりかかり、その度に頭を水の中に入れて防いだ。「駄目だ駄目だもっと頭を沈めて」と人の声、ああ人がいた、生きている人が。私はその男の人に支えられて初めて涙が溢れた。池の中にはかなりの人が生きていた。ああ、私は生きていたのだ。</p>
<p> <br />
あたりがボーﾂと明るくなって私はこんな光景は恐らく終生めぐり会う事はないだろうと思ったぐらい震えが止まらなかった。木という木は真黒に焼けぼっくいになり、その木の股に焼けただれた死体がまたがっているではないか、身体中の力が抜けてしまった。親切な人のお蔭で隅田川の川ぷちまできたとき初めて浴衣は裂け手足が血だらけなのに気がつき、急に痛みを感じその場に横になってしまった。</p>
<p> </p>
<p>ふと気づくと、何と軍隊にいっている隣の人がいるではないか、命令で救助隊員としてきたそうな、いろいろお世話になって、その後、両乳房が焼けただれた母や全身火傷になり気絶して暁方の雨で気がついたという兄、軽傷の従弟、工場の人達などど再会することが出来て初めて大声あげて泣いた。しかし父の姿はいくら探しても見当たらなかった</p>
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