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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 避難</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>関東大震災　体験談⑥　焼けトタンに切られた友</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 06:35:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
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		<description><![CDATA[　被災地：東京浅草
私は当時本所区柳島梅森町に住み、１４歳で精工社に入社しておりました。
その日は休日で朝のうち雨でしたが、午前１０時頃晴れてきた。
友人と一緒に午前１１時頃家を出、浅草で映画を見ていたところ、お昼頃不意 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　被災地：東京浅草</p>
<p>私は当時本所区柳島梅森町に住み、１４歳で精工社に入社しておりました。<br />
その日は休日で朝のうち雨でしたが、午前１０時頃晴れてきた。</p>
<p><span id="more-158"></span>友人と一緒に午前１１時頃家を出、浅草で映画を見ていたところ、お昼頃不意に体が持ち上げられ、左右に激しく傾いたと同時に、頭上から絶叫に似た声が起こって、３階から２、３人の客が落ちて来て、館内は大混乱におちいった。客は総立ちになり、出口へと殺到した。<br />
　</p>
<p>私は友人と人にもまれながらようやく館外に出たが、前は寿司屋横丁で余りの激しい震動で立っていることも出来ず、寿司屋の軒先の柱にしがみついたが、その柱も大きく左右に揺れて、今にも店の建物が倒れかかってくるような恐怖におそわれた。地面に手をついている者もいた。映画館の看板が随所で落下する音があたりに聞こえた。</p>
<p>揺れ方が僅かに衰えたので、柱から手を離し寿司屋横丁を出た。角に建っていた天麩羅屋が倒れ、一人の男が太い材木の下から顔を出し眼球が飛び出て口から下を誑らしており、初めて目にする死者の顔に驚き、どうしてよいかわからなかった。<br />
　</p>
<p> ひょうたん池へ逃げろという人の叫び声で、池の方へ走り出したが足が思うように進まず、ようやく池に来た時、前方の１２階の上方の部分が裂けると右方に倒れて、私達のところへ血だらけの人々が歩いてきた。そのうちに人々と共に観音様の境内に逃げたが、早くも花屋敷の方より火災が起き近づいたので、私は母のいる家へ帰るため吾妻橋を渡り本所の方へと逃げて来たが、途中アゴひもをかけ抜剣した警察官に、被服廠跡へ行けと強く言われたので、午後３時頃被服廠跡へ入りました。</p>
<p>　<br />
　付近の人々は続々と家財を持ち込んで避難してきた。その人達は家財を周囲に立てて、その中にゴザを敷いて寄り集まっていた。避難者の数は時を追うにしたがって激増し、やがて敷地内は人々と家財で身動き出来ぬほどでした。</p>
<p> <br />
　町並が徐々に焼きはらわれて、被服廠跡にも日が迫り、火の粉が一斉に空地に降りかかり始めると、一瞬の間に家財や荷物が音を立てて燃え出した。たちまち空地は大混乱に陥り、炎を避けようと走るが人々の体にぶつかり合い、倒れた者の上に多くの人々がのしかかる。炎は地をはうように走り、人々は衣服を焼かれ倒れる人もいた。その中を右に左に走っていたが、足にふれるのがあるので見ると、焼死体を踏んでおり、体がむれているのか、腹部が破れ内蔵がほとばしっていた。</p>
<p>そのうちに烈風が起こり、大旋風となり、初めのうちはトタンやフトンが舞い上がっていたが、見る間に家財や人も巻き上げられました。当時運送屋が使っていた馬力が馬ごと荷物を積んだまま空高く巻き上げられ、空中でおしつ位の大きさになり木の葉のようにキリキリ舞いして落ちて来た。馬にも火が付きあばれ出し、その車の下になって死んだ人も大勢いた。旋風と竜巻の恐ろしさにただただ驚きました。</p>
<p>私も友人と右と左に逃げ回っていましたが、突然焼けトタンがすさまじい勢いで飛んできた。と同時に、身近で変な音がした。友人が倒れたのだ。そして起こそうとしたが、意外にも友人の頭部が失われているのに気がついた。焼けトタンは、友人の首を鋭利な刃物で切ってしまったようでした。首のない友人の手は、私の手を堅くつつんだまま離さない。</p>
<p>私は必死の思いで友人の指を開き、ようやく離れ逃げだしているうちに、荷物の上に乗りましたが、とたんに中に落ち、そこには５人ほどの人がおり、中の女の人が可哀相だと言って、魔除けと言い迷信でしょうが、赤い腰巻きを私の頭に被せました。その時にその人々の荷物が焼け、私は頭部、顔、左手、左足、腰部に大火傷をしました。なおも逃げているうちに、気が遠くなり何もわからなくなりました。</p>
<p> <br />
　気が付いたときは軍隊の担架に乗せられており、亀戸第一小学校に運ばれていました。当時の衛生状態と暑さのために、火傷のところからうじが湧き、それは苦しい思いでしたが、命を取りとめ生存しました。</p>
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		<title>関東大震災　体験談⑤　泥水そしてトタン板</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Mar 2010 06:28:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京　本所市
当時、私は９歳でした。突然「ゴオ－ッ」という異様な地鳴りがした。祖母は安政大地震の経験者であり、誰れよりも早く表へ飛び出していった。父は母と私を抱えて、タンスに寄りそっていたが、様子を見て「今だ逃げ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　本所市</p>
<p>当時、私は９歳でした。突然「ゴオ－ッ」という異様な地鳴りがした。祖母は安政大地震の経験者であり、誰れよりも早く表へ飛び出していった。<span id="more-156"></span>父は母と私を抱えて、タンスに寄りそっていたが、様子を見て「今だ逃げろ」と云われたが、二度ばかり転んでやっと表に出た、その瞬間に家は大音響と共に倒壊した。木造家屋はミシミシと音を立て、屋根瓦は落ち続け、私達の避難を妨害した。</p>
<p> <br />
父は、在郷軍人で、町内の人の救出作業に行き、残された私達三人は、父に命じられた被服廠に向ったが、道路は人と荷車で一杯で前に進めない。屋根の上で抜刀した巡査が、「荷物は捨てろ」と叫んでいた。数万坪の被服廠跡は人と荷物で既に満員であった。僅かに、前日の雨で水が溜ったところが空いているだけである。</p>
<p>私達はそこに陣取ったが、今にして思えばこれが幸したのでした。時間は不詳ですが、突然、竜巻が起った。この時、荷物と人間が空中に舞い上るのを見た。火勢は一挙に荷物に火がついたのです。私達は、目の前の水溜りに飛び込みました。私の膝あたりの深さの水溜りの底を祖母は懸命に掘り続け胸のあたりまで掘り下げるという超人的な作業をなしとげた。</p>
<p>火は熱く泥土と化した水に、顔を入れたり出したり、赤く焼けたトタン板が飛んできて何人もの人々が死んでいった。その板を頭に乗せて火の粉を防ぐが、すぐ熱くなり、水に浸しては頭に乗せる。これを何十回と繰り返し続けているうちに、誰かが「火は下火になったぞ」とどなっているのが聞えた。しかし、一度、下火になった火勢は再び盛り返し、又も死闘が続いた。</p>
<p> </p>
<p>それから数時間経った頃「万歳、万歳」と喚声が挙りました。周辺は暗く夜になっていた。私達はどうして助かったのか説明は出来ません。濡れねずみの身体を抱き合っていました。やや落ち付きを取り戻してみると、周辺の水溜り以外のところには焼死体が類類としており、焼けてふくれあがった様は人間とは思えない程です。</p>
<p>祖母と母は、煙で目が見えない、幸か不幸か、私だけが目が見えたので、私達は、少しづつ移動して被服廠を出ようとしましたが、途中で半死の状態の人が「水を呉れ、水を呉れ」と私の着物をつかんで離しません。濡れた着物をしぼって泥水を口に当ててあげましたが死んでしまいました。被服廠の廻りの溝にも焼死体が積み重なり見るも無惨の光景でした。</p>
<p> <br />
私は、目の見えない祖母と母を連れて安田庭園に落ち付き、二人の目を冷すため、近くの氷室に氷を取りに行きました。この時の氷は、まさに値千金のものでした。</p>
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		<title>関東大地震　経験談③　「ゴゴゴ・・・」という地鳴り</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/140</link>
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		<pubDate>Wed, 03 Mar 2010 03:06:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京　（祖父の体験より）
いきなり、「ゴゴゴ…」という地鳴りが聞こえてきたかと思うと、家がグラグラと揺れ始めた。

次は、いきなり「ドン！」 と突き上げるような大きな“縦揺れ”タンスの上に置いてあった物が落ち始め [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　（祖父の体験より）</p>
<p>いきなり、「ゴゴゴ…」という地鳴りが聞こえてきたかと思うと、家がグラグラと揺れ始めた。</p>
<p><span id="more-140"></span><br />
次は、いきなり「ドン！」 と突き上げるような大きな“縦揺れ”タンスの上に置いてあった物が落ち始め、照明器具の電球が不規則に暴れ始めた</p>
<p>逃げようとしたが、よろめきながら立っているのが、やっとの状態。<br />
尻餅をついた所にタンスが倒れてきたので、間一髪、横に転がってそれを避けた。<br />
「ドカン！」「ガラガラ」という音と悲鳴や怒号が近所中から聞こえてきた。</p>
<p>家の壁は崩れ、柱もバキバキ折れだし、みるみる部屋が潰れ始めた。そのうち、造りの弱い家から潰れ始め、次々と悲鳴が聞こえた。</p>
<p>外に逃げようとしたが、床に両手両足を大きく広げて、体を支えるのが精一杯でなんともならず。　床に踏ん張ったまま、されるがまま大きく揺れている状態が続く。<br />
這ったまま外に逃げ出すこともできなかった。</p>
<p>少しずつ、大きな揺れが収まり、潰れそうな家から外に飛び出した。<br />
すると、あたりの殆どの家が倒壊し、あるいは崩れかけている有様だった。<br />
あちこちから、家族を呼ぶ声や、助けを呼ぶ悲鳴にも似た声が聞こた。</p>
<p>崩れた家の瓦礫の中に、下敷きになっている近所の人たちが見えた。<br />
慌てて助けようと近づいた瞬間、また余震で大きく地面が揺れだした。</p>
<p>　<br />
「バキバキ！ ガラガラ！ 」という音と共に、傾いていた家が一気に倒壊した。<br />
すさまじい悲鳴が聞こえ「はっ！」とすると、さっきまで下敷きになっていた<br />
近所の人が目を大きく見開いたまま、動かなくなっていた。</p>
<p>言葉が出ず茫然としていると「火が出た！逃げろ～！」の声が聞こえた。<br />
何かが焼ける匂いと共に、あちこちから煙が上がっているのが見えた。<br />
ちょうど昼時で火を使っていた家庭が多かった。強い風がさらにその炎をあおった。</p>
<p>「家族は無事だろうか？」　「まずは、自分が避難しなくては！」<br />
「そうだ、あそこに学校があったはず…」<br />
家が崩れ、何も持たずに歩いている人々と、同じ方向に歩き出した。<br />
　</p>
<p>途中、燃える火の中の瓦礫の下で、泣き叫んで助けを呼ぶ人達を<br />
何度も見ましたが、とても近づく事もできなかった。<br />
火は風を起こすので余計に燃え広がり、どんどん炎と風を大きくしていく。</p>
<p>その時はただ、歩き続けるしか無かった。<br />
生きながら焼かれていく人たちに、目をそむけ耳をふさぎながら…。</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記①　千代ヶ丸山へ避難</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Sep 2009 21:45:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和南海地震（1946年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験談]]></category>
		<category><![CDATA[徳島]]></category>
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		<category><![CDATA[津波]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：徳島県徳島市論田町
「私の家は、昔の中二階建てで、この辺りの家は、全部で60戸くらいしかなかった。ほとんどが田圃で、その間にポツポツ家があった程度だった。地震の揺れは、かなりのものだった。当時、私の父親が「こんな [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島県徳島市論田町</p>
<p>「私の家は、昔の中二階建てで、この辺りの家は、全部で60戸くらいしかなかった。ほとんどが田圃で、その間にポツポツ家があった程度だった。<span id="more-1"></span>地震の揺れは、かなりのものだった。当時、私の父親が「こんな大きな地震は生まれてこのかた初めてじゃ」と言っていたのを覚えている。揺れの方向は、特に横揺れがひどかったように思う。近所の米の土蔵が半壊したのを覚えている。</p>
<p>近所の佐々木さん宅の隣に小さな消防ポンプと半鐘があり、警防団の人がその半鐘を激しく叩いていたのを聞いて、津波が押し寄せてくることを知った。津波が押し寄せてくるときに沖の方から「ゴーッ」というものすごい音がした。５回くらい、引いては寄せる激しい音がしていたように記憶している。津波は、２回目が大きかった。<br />
　</p>
<p>私の父親は、家で飼っていた農耕用の牛を連れ、母親は、小さい子供たちを連れて、大原町の千代ヶ丸山へ避難した。私は当時十八歳くらいだったので、津波で家財道具が流されないように、家の戸締まりをして、あとから家族を追いかけた。突然のことだったので、裸足のまま夢中で避難したが、冬の寒い朝であったため、ひどく足が冷たかったのを覚えている。<br />
　</p>
<p>今後の教訓としては、(1)あわてず冷静に判断をすること、(2)できるだけ広くて高いところへ避難すること（しかし、車で逃げるのは返って渋滞を招くおそれがあるので、車はやめた方がよい）、(3)ブロック塀には近づかないように避難すること、(4)履物を履いて避難すること、(5)常に家族と災害について話し合っておくこと、を伝えたいと思う。」</p>
]]></content:encoded>
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		<title>関東大震災　体験談②　そして無一文に</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/136</link>
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		<pubDate>Sat, 05 Sep 2009 02:51:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験談]]></category>
		<category><![CDATA[手記]]></category>
		<category><![CDATA[焼け野原]]></category>
		<category><![CDATA[焼失]]></category>
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		<category><![CDATA[関東大地震]]></category>
		<category><![CDATA[関東大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[（体験談１の続きから）
家族の行方が心にかかった
本所方面に避難した弟も気がかりだった
本所方面では数万人の焼死者があったとの噂
私は火の鎮まるのを待って尋ねに出たが
浅草橋の広場の
焼け死んだ死体の惨状は言語に絶した
 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>（体験談１の続きから）</p>
<p>家族の行方が心にかかった<br />
本所方面に避難した弟も気がかりだった<span id="more-136"></span><br />
本所方面では数万人の焼死者があったとの噂<br />
私は火の鎮まるのを待って尋ねに出たが<br />
浅草橋の広場の<br />
焼け死んだ死体の惨状は言語に絶した<br />
中にもしや弟でもと思い<br />
死体の一人一人を覗いて歩いた</p>
<p>それから程なく母親と子達と<br />
弟にも巡り合うことが出来<br />
皆で無事を喜び合った<br />
一同は私の母親の生地、埼玉県草加のＡ方に厄介になった</p>
<p>当時の私の商品は店の他に<br />
尾張屋倉庫、東神倉庫、自家工場<br />
および二十余軒の請負職方等に散在していたが<br />
そのどれもが焼失<br />
僅か一、二の職方の元にあった加工依頼品だけが焼け残った</p>
<p>トラックで搬出した商品や家財も灰になり<br />
積み出しの際、手に触った白金の時計だけが手元に残った</p>
<p>当時の私の不動産は<br />
店と<br />
隣家を買収して拡張準備中の工場と<br />
貸しつけてあった店舗四戸と土蔵一棟の<br />
どれ一つとして焼け残ったものはなかった</p>
<p>余焔の鎮まるのを待って私は店の焼け跡に立った<br />
どちらを向いても果ても知らない焼け野原であった<br />
再び旧のように家が立ち並ぶのは幾年後であろうか<br />
営々と築き上げた努力の結晶も一夕にして煙と化した<br />
それを思うと商売する気力が起こらず<br />
田舎で鮒を釣って暮した</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>関東大震災　体験談①　一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/131</link>
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		<pubDate>Thu, 03 Sep 2009 02:44:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[体験談]]></category>
		<category><![CDATA[避難]]></category>
		<category><![CDATA[関東大地震]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京都心
快晴　微風が吹いていた
午前十一時五十八分に地震
東京は一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した

私の付近では潰れた家は殆どなかったが
屋根瓦が崩れ落ち
電車通りを土煙りが朦々と立ち込めた
遠くに火の手
妻は先 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京都心</p>
<p>快晴　微風が吹いていた<br />
午前十一時五十八分に地震<br />
東京は一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化した</p>
<p><span id="more-131"></span></p>
<p>私の付近では潰れた家は殆どなかったが<br />
屋根瓦が崩れ落ち<br />
電車通りを土煙りが朦々と立ち込めた</p>
<p>遠くに火の手</p>
<p>妻は先に母親と子達を連れ丸の内方面へ逃げた<br />
私は店の前でトラックを呼び止め<br />
商品や家財の搬出を交渉<br />
手当たり次第に積み込んで<br />
秋葉原の広場へ運び込ませ<br />
それを二度繰り返した所で火の手が迫り<br />
運転手は二十円払ってくれないと積まぬと言い出し<br />
お金は残らず妻が持って行ったので<br />
店員の手持ちを借りて積ませたが<br />
五時頃<br />
急に風が強まり<br />
店にも煙が覆ってきて<br />
諦めるよりほかはなかった</p>
<p>私は残っていた店員四、五人を連れ上野公園へ逃げた<br />
途中、パンを買いたかったがどこの店にも食べ物はなく<br />
公園は避難の人で立錐の余地もなかった</p>
<p>芝生の上で一夜を明かし<br />
翌朝、避難していた妻の母親と巡り合った</p>
<p>腹が空いてどうにもならなかったので<br />
店員の金を借り集め<br />
谷中方面へ米を買いに出かけ<br />
売れ残りの南京米を買い<br />
拾った洗面器で米を煮ようと<br />
博物館の噴水を汲みに行ったところ<br />
職方の某に出合い<br />
その住まい(箕輪)に同行<br />
火事を免れていたので<br />
ひとまず厄介になった</p>
<p>関東大震災　体験談②へ続く</p>
]]></content:encoded>
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