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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 被害</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>北海道南西沖地震 経験談②　津波の恐怖</title>
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		<pubDate>Tue, 25 May 2010 04:59:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[北海道南西沖地震(2003年)]]></category>
		<category><![CDATA[北海道南西沖地震]]></category>
		<category><![CDATA[津波]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>
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		<description><![CDATA[北海道では地震・津波と言えばまず東側、つまり太平洋に面した釧路市や根室市が有名だ。日本海側では地震・津波は他人事のようにとらえていた。だが、ちょうど10年前の昭和58年5月26日に秋田沖を震源とする「日本海中部地震」が発 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>北海道では地震・津波と言えばまず東側、つまり太平洋に面した釧路市や根室市が有名だ。日本海側では地震・津波は他人事のようにとらえていた。だが、ちょうど10年前の昭和58年5月26日に秋田沖を震源とする「日本海中部地震」が発生、奥尻島にも3～4mの津波が襲い人々の脳裏に津波の恐怖が深く刻み込まれた。ただ、その時でも津波が来るなど町民は誰も予想しておらず、津波の前兆として一度海水が引いた際には、普段水面があって渡れない島の観光シンボル「なべつる岩」に渡って記念撮影する人もいたほどだ。 <span id="more-227"></span></p>
<p>　それからちょうど10年後の平成5年、北海道南西沖地震が発生した。日本海中部地震の際、あの地震の揺れと津波を一度経験しているからこそ、北海道南西沖地震の際には、町民は地震発生直後にすぐに避難しなければならないことを直感した。というのは、今回の地震の揺れの大きさと時間の長さは、日本海中部地震の際の規模とは比較にならないほど大きなものだった。町民はとっさに「この揺れは10年前よりも大きいし長い。これだけの大きな揺れなら絶対津波が押し寄せて来る。しかも10年前より大きな津波が。早く高いところへ逃げなければ」と判断したのだった。</p>
<p>地震情報の伝達状況等を振り返ってみると、地震発生が午後10時17分、札幌管区気象台がいち早く22分に、つまり地震発生から5分後に日本海沿岸に「大津波警報」が発表された。町役場にも職員が続々と駆けつけ、防災行政無線放送で27分に、つまり地震発生から10分後に全町民に向け「避難命令」を発令した。いずれも平常時で考えられる段階では迅速な初期対応だったが、津波の速度は我々の予想をはるかに越えた。</p>
<p>地震発生から3分後には島の北端である稲穂地区・稲穂岬に第1波が既に到達、集落は9～11mに及ぶ津波で壊滅状態を余儀なくされた。震源地から最も遠い距離にある島の南端である青苗地区・青苗岬でさえ、地震発生から5分後には9～12mに及ぶ津波がきており、警報も避難命令も間に合わなかった。津波の速度は一般に時速500㎞と言われるが、奥尻の場合は500～800㎞と推測、これはジェット機よりも早い速度とあとでわかった。</p>
<p>実際、青苗地区では「地震の揺れが収まってから逃げたのでは遅い」と判断し、揺れている最中にすぐに家外に飛び出し、走って高台を目指した者は助かり、揺れが収まってから逃げたり、車で逃げた者はその大半が津波に飲み込まれた。それが現実なのである。地震が発生し津波が予想される場合は、まず何よりも「着の身着のまますぐに走って少しでも高い場所へ逃げる」ということが鉄則である。あえて津波から助かる有効な手段は、この他にはないと私は断言したい。</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記⑤　二と一の繰り返しの不思議な日</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Oct 2009 09:13:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和南海地震（1946年）]]></category>
		<category><![CDATA[タンス]]></category>
		<category><![CDATA[井戸の水]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[地震]]></category>
		<category><![CDATA[昭和南海地震]]></category>
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		<category><![CDATA[被害]]></category>
		<category><![CDATA[飲み水]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：徳島市助任本町６丁目
昭和21年12月21日　忘れようとしても忘れることのできない２と１の繰り返しの不思議な冬の日です。旧制女学校３年の耐寒マラソンの行われる日でした。
得意ではないが頑張ろうと早くにやすみました [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市助任本町６丁目<br />
昭和21年12月21日　忘れようとしても忘れることのできない２と１の繰り返しの不思議な冬の日です。旧制女学校３年の耐寒マラソンの行われる日でした。</p>
<p><span id="more-30"></span>得意ではないが頑張ろうと早くにやすみました。ぐらっと来て、母はタンスの前で引き出しを押さえましたが、あまりにもひどい揺れで、母に言われて、私は祖母のこたつを、もう一つを母が抱えて家の外に飛び出し、一番離れたところで家族４人が伏せておりました。揺れがひどく、転びそうな足取りであったと思います。</p>
<p>どれくらい長いのかわかりませんでしたが、ひどく長い時間であったように思われました。揺れが収まって近所の方たちと無事を喜び合いました。戦後２年目２月に平屋バラックを建てたので、土壁は塗ってなく板壁でしたので、壊れることもなく家は無事でした。当時は焼け跡の防空壕にトタンで屋根にした家とか、焼け残りの蔵で住む人とかがバラバラと住んでいる程度でしたので、被害の話は聞かれなかったように思います。</p>
<p>父が電話局に勤めていた関係で、電話は早くからあり、市内中心部は大丈夫との連絡が入っており安心いたしました。ラジオで南方の津波被害の大きさを聞き、後で怖さが迫ってきました。<br />
　何日程過ぎてからかは思い出せませんが、飲用に使っていた掘り抜き井戸の水が全く湧かなくなりました。水道水も併用していたので困ることはありませんでしたが、不思議なことに、もう駄目かなと思っていると、前程にはコンコンと湧きませんでしたが少しずつ出るようになって来ました。しかし、飲めていた水に塩がさし、飲用にできなくなり、洗濯の下洗いしか使えなくなりました。地下水脈が地震で変わったのでしょう。<br />
　現在方々で地震の速報がよく聞かれますが、あの頃もよく地震があり、ガタガタと揺れており、当時とふと重ねることがあります。母に教えられた火の用心の大切さ、また飲み水の確保等を常に心しなければならないと心に言い聞かせています。</p>
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