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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 経験談</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>昭和三陸地震　体験手記②　～地震　海鳴り　ほら津浪～</title>
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		<pubDate>Tue, 10 Aug 2010 08:56:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和三陸地震（1933年）]]></category>
		<category><![CDATA[三陸地震]]></category>
		<category><![CDATA[体験手記]]></category>
		<category><![CDATA[体験談]]></category>
		<category><![CDATA[津波]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>

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		<description><![CDATA[昭和８年３月３日、早朝。
当時小学校１年生だったわたしは、ただならぬ気配に目を覚ました。寝ている部屋の畳が、下から突き上げられるように大きく揺れ、家全体がミシミシと異様な軋みを立てている。
　「地震だ。起きろッ」
おふく [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>昭和８年３月３日、早朝。<br />
当時小学校１年生だったわたしは、ただならぬ気配に目を覚ました。寝ている部屋の畳が、下から突き上げられるように大きく揺れ、家全体がミシミシと異様な軋みを立てている。<br />
　「地震だ。起きろッ」<br />
おふくろの声に慌てて床を飛び出し、服を着ようとしたが、足もとが定まらない。 まるで大波の海を漕いでゆく伝馬船のように、右へ寄ったり、左へ寄ったり、やっとの思いで服をつけ、ゴム長をはいて、おふくろの後に従った。<span id="more-241"></span></p>
<p>　 母は、わたしより３歳下の弟を背にして、綿入れねんねこに躰をつつんでいた。表へ出ると、外はまだ真っ暗だが、隣り近所の人々も道路へ出て、不安そうに身を寄せ合い、話し合っている。そのうちに、表通りを歩く人の数が急に多くなりだした。人ばかりでなく、大八車や、リヤカー、それに荷馬車まで、目の前の道路を溢れるように急いでゆく。 当時はまだ未舗装の乾いた道を、みんな一様に東から西の方へと向かって、ざわめきながら流れてゆく。</p>
<p>「津浪だ。津浪が来たぞ」　人々のざわめきのなかから、そんな声が聞こえてくる。<br />
ツナミ。ツナミって、何だろう。<br />
大人たちが、こんな大勢逃げてくるところをみると、よっぽどおっかない怪物か何かに違いない。わたしは、途方もない大きな魔物が海からあがってきて、海辺の人々を襲っている姿を思いうかべ、おふくろのねんねこの端を固く握りしめていた。</p>
<p>　翌朝、兄たちと一緒に浜に出てみた。<br />
わが家は、海から砂浜のひろい空地をへだてて、300ｍほどしか離れていないが、海岸段丘につらなる傾斜地の途中にある。浜へ出るゆるやかな勾配を下りてゆくと、砂地に横たわる防潮堤の切れ間、渚へ抜ける通路のあたりに大きな水溜りがひろがっていた。</p>
<p>　深夜の騒ぎの名残りをみせて、不気味な光を放っているそのどんよりした水面に、まるで大きなハマナスの花でも咲いたように、赤い輝きをみせてぽっかり浮かんでいるものがある。近づいてみるとそれはボックリであった。女の子供が晴着を着たときに履く、あの丸形のボックリ。朱の色に塗り上げられた可愛いボックリの片方が、水に浮かんでいるのであった。</p>
<p>　 鮮烈に輝く赤いボックリ。その瞬間、幼ないわたしは「ツナミ」というものの正体を見たような思いに打たれた。　夜の海の底からやってきた恐ろしいツナミが、晴着姿の女の子をひと呑みにしている光景がまざまざと浮かんできて、思わず首をすくめてあたりを見まわした。 怪物の大きな口に呑みこまれながら、懸命にもがいていたその印が、ここに残っている赤いボックリなのだ。途方もないツナミの恐ろしさ。７歳のわたしは独り合点をし、津浪の恐怖を幼い記憶のヒダに、しっかりと刻みつけているのだった。</p>
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		<title>北海道南西沖地震 経験談②　津波の恐怖</title>
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		<pubDate>Tue, 25 May 2010 04:59:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[北海道南西沖地震(2003年)]]></category>
		<category><![CDATA[北海道南西沖地震]]></category>
		<category><![CDATA[津波]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>
		<category><![CDATA[被害]]></category>

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		<description><![CDATA[北海道では地震・津波と言えばまず東側、つまり太平洋に面した釧路市や根室市が有名だ。日本海側では地震・津波は他人事のようにとらえていた。だが、ちょうど10年前の昭和58年5月26日に秋田沖を震源とする「日本海中部地震」が発 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>北海道では地震・津波と言えばまず東側、つまり太平洋に面した釧路市や根室市が有名だ。日本海側では地震・津波は他人事のようにとらえていた。だが、ちょうど10年前の昭和58年5月26日に秋田沖を震源とする「日本海中部地震」が発生、奥尻島にも3～4mの津波が襲い人々の脳裏に津波の恐怖が深く刻み込まれた。ただ、その時でも津波が来るなど町民は誰も予想しておらず、津波の前兆として一度海水が引いた際には、普段水面があって渡れない島の観光シンボル「なべつる岩」に渡って記念撮影する人もいたほどだ。 <span id="more-227"></span></p>
<p>　それからちょうど10年後の平成5年、北海道南西沖地震が発生した。日本海中部地震の際、あの地震の揺れと津波を一度経験しているからこそ、北海道南西沖地震の際には、町民は地震発生直後にすぐに避難しなければならないことを直感した。というのは、今回の地震の揺れの大きさと時間の長さは、日本海中部地震の際の規模とは比較にならないほど大きなものだった。町民はとっさに「この揺れは10年前よりも大きいし長い。これだけの大きな揺れなら絶対津波が押し寄せて来る。しかも10年前より大きな津波が。早く高いところへ逃げなければ」と判断したのだった。</p>
<p>地震情報の伝達状況等を振り返ってみると、地震発生が午後10時17分、札幌管区気象台がいち早く22分に、つまり地震発生から5分後に日本海沿岸に「大津波警報」が発表された。町役場にも職員が続々と駆けつけ、防災行政無線放送で27分に、つまり地震発生から10分後に全町民に向け「避難命令」を発令した。いずれも平常時で考えられる段階では迅速な初期対応だったが、津波の速度は我々の予想をはるかに越えた。</p>
<p>地震発生から3分後には島の北端である稲穂地区・稲穂岬に第1波が既に到達、集落は9～11mに及ぶ津波で壊滅状態を余儀なくされた。震源地から最も遠い距離にある島の南端である青苗地区・青苗岬でさえ、地震発生から5分後には9～12mに及ぶ津波がきており、警報も避難命令も間に合わなかった。津波の速度は一般に時速500㎞と言われるが、奥尻の場合は500～800㎞と推測、これはジェット機よりも早い速度とあとでわかった。</p>
<p>実際、青苗地区では「地震の揺れが収まってから逃げたのでは遅い」と判断し、揺れている最中にすぐに家外に飛び出し、走って高台を目指した者は助かり、揺れが収まってから逃げたり、車で逃げた者はその大半が津波に飲み込まれた。それが現実なのである。地震が発生し津波が予想される場合は、まず何よりも「着の身着のまますぐに走って少しでも高い場所へ逃げる」ということが鉄則である。あえて津波から助かる有効な手段は、この他にはないと私は断言したい。</p>
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		<title>北海道南西沖地震 体験談①　体感したことのない大きな揺れ</title>
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		<pubDate>Sat, 22 May 2010 04:54:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[北海道南西沖地震(2003年)]]></category>
		<category><![CDATA[体験談]]></category>
		<category><![CDATA[北海道南西沖地震]]></category>
		<category><![CDATA[津波]]></category>
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		<description><![CDATA[平成5年7月12日午後10時17分…
　その夜、妻と娘は就寝していたが、私は居間でテレビを見ながらくつろいでいた矢先、突然の縦揺れに飛び跳ねた。今まで体感したことのないその大きな揺れに「地震だあ！」と叫び、途中から横揺れ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>平成5年7月12日午後10時17分…<br />
　その夜、妻と娘は就寝していたが、私は居間でテレビを見ながらくつろいでいた矢先、突然の縦揺れに飛び跳ねた。今まで体感したことのないその大きな揺れに「地震だあ！」と叫び、途中から横揺れに変わった状態の中、転びながら妻子のもとへ駆けつけた。今にも倒れそうなタンスや鏡台を両手と片足で抑え、妻子の布団の上に倒れるのを夢中で防いでいた。<span id="more-224"></span></p>
<p>その時の状況は今でも鮮明に記憶している。揺れと同時に食器棚から食器が落ちて割れる。家具の上にあった物が落ちて散乱する。その家具もドミノ倒しのように崩れ落ちる。本棚の本が飛び出す。熱帯魚の水槽の水は溢れ出す。窓ガラスの割れる音。蛍光灯が揺れて天井に繰り返しぶつかる。天井や家の柱がミシミシ音をたてる…。「もう収まるだろう」と心の中で冷静さを装うようにつぶやくが、同じ時間と同じ惨状が繰り返される…とにかく家全体が揺らぐ中、家中足の踏む場もないほどに物が散乱し、そのうち停電にもなり、妻は叫ぶ、子どもは泣きじゃくり、もう私もパニック状態となっていた。大きな揺れの影響で焦点の合わないその「現実」は語れるが、その恐怖心は今でも言葉にできないものである。</p>
<p>それでも揺れが弱くなったのを見計らい、妻子を連れて着の身着のまま走って高台に逃げたのは、これほどの揺れなら必ず「津波」が襲ってくることを予測し、目の前に日本海が拓け、海抜3メートルほどの地に建つ我が家が飲み込まれることを確信したからだ。暗夜の中を駆け抜け、津波の心配がない丘の上にたどり着いたとき、足から大量の血が出ていることに気が付いた。家を飛び出すときに真っ暗で何も見えなかったこと、散乱した家具やガラスの上を裸足で必死に逃げたためだとその場で思いながら、流血した足を見つめてなぜか安堵した記憶がある。</p>
<p>　正確な揺れの時間は感じ方によって十人十色だが、私は1分以上は続いたような気がした。当時、町内には地震計が設置されていないため正確な震度の記録はないが、建物の崩壊などから最低でも震度6以上の烈震であったと推定されている。震源地は奥尻島の南西沖で、震源の深さ34㎞、地震の強さを示す規模はマグニチュード7.8という日本海の観測史上最大級のもので、年配者に伺っても、昔の文献などを調べても、このような大きな地震はこの島初めての出来事だった。北海道全域や東北地方、遠くは石川県輪島までの広範囲で、最大で震度5の中震を記録していた。</p>
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		<title>関東大地震　経験談９　阿鼻叫喚の世界</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Apr 2010 07:23:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>
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		<category><![CDATA[関東大地震]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：東京　本所区
関東大震災当時私は９才、本所区立中和小学校４年生でした。あの日の事は生涯忘れられず、まるで昨日のことの様に恐怖がよみがえってきます。
　９月１日、父は朝から旅行に出かけました。その出かけに、なにか太 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　本所区</p>
<p>関東大震災当時私は９才、本所区立中和小学校４年生でした。あの日の事は生涯忘れられず、まるで昨日のことの様に恐怖がよみがえってきます。<span id="more-176"></span><br />
　９月１日、父は朝から旅行に出かけました。その出かけに、なにか太陽のまわりが黒ずんだ異様な色をしていたと申しておりました。</p>
<p> <br />
　当日私は始業式の後、夏休みの臨海学校の荷物を受取っていたため帰宅が遅れ、母が私と昼食を共にするため待っていました。忘れもしません、その時のおかずはほうれん草のおしたし、いかと焼豆腐の煮つけでした。お腹をすかした２人が箸をとった瞬間、地下がズンズンと響き、たてに大きく揺れたかと思うと、ガラガラ、もう揺れるなんてものではありません。庭の地面が地響きをたて、地割れし、石灯篭が倒れ、棚のものは勿論、壁、襖、ガラス戸、何も彼もくずれ落ちて差塵をたてています。</p>
<p> </p>
<p>やっとの思いで隣の八畳間の座卓の下に母と一緒にころがり込む様に入り、法華宗でもないのに夢中で、題目を唱えて地震の静まるのを待ちました。ずい分長い間揺れている様でした。とてもガス栓を閉めたり、火を消す状態ではありませんでした。</p>
<p> <br />
　やがて揺れがいくらかおさまったので、外へ出ようとしましたが、家の中は目茶目茶、足の踏場もありません。それに余震が絶えずきますので、とても恐ろしく生きた心地ではありません。店の方は鉄材が散乱し、外へ出られません。いち早く外へ飛び出した店員達が私達を見ますと抱え出してくれました。誰れの顔も蒼白で恐ろしさにおののいております。外は電線がたれさがり、あちらこちら大きな地割れで地震の凄さを物語っておりました。向い側の間口の大きい大石酒店さんの家はぺちゃんこにつぶれ、並びの金物屋さんのおばちゃんが、つぶされた家の中にいると家人が騒いでいました。</p>
<p> <br />
　やがて、あちこちで煙が立ち始め、ここに居ては危険だと皆で相談の結果、私達は本所被服廠跡に避難することとなりました。母が古足袋を家の中から見付けてきて皆に足袋をはかせてくれました。今にして思えば赤いベッチンの冬足袋が私の生命を救ってくれたと思います。</p>
<p> <br />
　私達は、背中に小さな風呂敷包みだけを背負い被服廠跡まで歩いていきました。途中、大八車に沢山の荷物を積んだ避難民で歩けないぐらいでした。被服廠跡にたどりつき、私達は荷物がないので奥の方に入りひとまずゴザを敷いて休んでおりましたが、やがて火の手がだんだんと近づき荷物に火がつきはじめ、もうそこにはいられなくなりました。火の勢いと一緒に何か遠くで花火の様な音がポンポンと絶えず聞こえました。</p>
<p> </p>
<p>そのうち強い風が吹き竜巻となり大きな荷物が飛び散り、炎に追われた人達の髪に火がつきぼうぼう燃え、着物に火がついても消す閑もなく力かぎり逃げまどいました。荷物と人がごろごろ倒れている炎の中をしっかり母の手に握られ、幾度も人波につぶされた私は気を失ったそうです。</p>
<p> </p>
<p>どの位い逃げ回ったでしょうか、気がついたときは私は母のひざでうつらうつらしておりました。多分夜中頃だったでしょう。あたりは助かった人達が大勢いましたが、火傷を負った人達のうめき声「水をくれ」「苦しい」「助けてくれ」と阿鼻叫喚さながら、地獄とはこの様なことと子供心に思いました。その中に元気な男の人がゴム靴の中に安田庭園の池の水を汲んできて飲ませていましたが、その水を飲むとぴくぴくとけいれんをして死んで行くのを幾人も見ました。悪夢の様な一日がやっと明け、私達のまわりは死人がごろごろ横たわり見渡すかぎり焼けこげた荷物と死者が山の様でした。</p>
<p> <br />
　近くの製氷会社から氷を貰ったので、私は小さな子供の焼死体を見ると口に氷を入れて歩きました。中には未だ呼吸があるのか口をぴくぴく動かしている子があり、思い出しても涙があふれてきます。</p>
<p> <br />
　ぼんやり母と二人で地面に座っていますと乞食の様になった我家の女中さんが大声で泣きながらとびついてきました。彼女もたいした火傷もせず助かったのです。又しばらくすると、谷さんの奥さんが両手に連れていた子供を亡くしたと、泣きながら私達の許へ来ました。背中の赤ちゃんは火傷で声も出ない程ですが、どうすることも出来ず、皆抱き合って泣きました。やがて私達は被服廠跡を出て千葉方向へとぼそぼそ歩き出しました。</p>
<p> <br />
　途中ビルの窓から首を出してそのまま黒こげになっている人、赤ちゃんをかばう様に抱きかかえて死んでいる人、もうきりがありません。馬もずいぶん死んでいました。しばらく歩いて行くと焼跡で五六人の男の人が炊き出しをしていました。女中さんがボロボロの前掛けの中に入れて貰ってきました。私達はよごれた手で一つかみづつむさぼり口にほおばりました。何しろ１日の昼から何も食べていませんでした。</p>
<p> </p>
<p> <br />
　母は顔と背中に大火傷をして、まるでお岩さんの様でした。私達の背中の小さい荷物はどこへやら、着物はぼろぼろ、髪の中はじゃりじゃりでした。</p>
<p> <br />
　私達は放心した様にそれでも荒川放水路の鉄橋まで来ました。雨がしとしとと降ってきて川の水は地震の後か茶色くよどみ、水かさも増しうづを巻いて流れております。橋の真中にやっと一人渡れる位の板があり、その板にしがみつく様にはえずって長い鉄橋を渡ったのがとても恐ろしかったと覚えております。</p>
<p> </p>
<p>途中、小岩あたりで畑の中で野宿し、そこから貨物列車に乗せて貰い船橋にたどり着きました。船橋の小学校も避難民でいっぱいでしたが、おにぎりや着物を貰い火傷の手当もしてくださり、やっと人間らしくなりました</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>関東大地震　経験談８　木に引っかかる死体</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Apr 2010 07:13:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>
		<category><![CDATA[関東地震]]></category>
		<category><![CDATA[関東大地震]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：東京　本所区
当時私ども父母と兄妹３人は工場の従業員２０数人と住んでいた。
私は府立第一高女の二年生で始業式から帰宅、浴衣に着替えてアルバムを見ていた。
突然ゴーﾂという音に何だろうと思って顔をあげた瞬間、ドンと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　本所区</p>
<p>当時私ども父母と兄妹３人は工場の従業員２０数人と住んでいた。<br />
私は府立第一高女の二年生で始業式から帰宅、浴衣に着替えてアルバムを見ていた。</p>
<p><span id="more-174"></span>突然ゴーﾂという音に何だろうと思って顔をあげた瞬間、ドンと突き上がりガタンと落ち、大揺れに揺れて歩こうにも歩けない。畳の上を這うようにまごまごしているうちに、目の前に隣家の屋根瓦が現れた。驚いて外へ出ようと思ったが、思うように動けない。突然私の名を呼びながら父がよろけながら私の手を握った。早く逃げるのだと手を引っ張り、やっと外へ出て驚いた。</p>
<p> </p>
<p>つぶれた家々の屋根瓦の山、もうもうとした土煙りの中を父と私は、外手公園から石原町あたりまで走って来たとき、巡査が被服廠へ逃げろと誘導していたので、みな被服廠跡めがけてかけ出した。もう広場は一杯で、荷物を引いた馬、大八車に満載した畳、家財道具、そのそばでもたれるようにしている怪我人など、不安とあせりで私達は危険ということは全く気付かなかった。</p>
<p> <br />
被服廠跡は火に囲まれ黒煙の中を炎が上がっている。「広いけど大丈夫かしら」と話ながら少しでも落ち着きたいと思っていた。この大量の家財道具に火がついたらどんな惨事になるかなどは夢にも考えていなかった。空は真黒、その中に絵の具で塗ったような真っ赤な大きな太陽が見え何とも不気味な光景、「お母さん達、大丈夫かしら」「大丈夫だよ、大勢いるから皆と一緒に来ているよ」私達もこのまま火は消えるものと信じ込んでいた。と突然ゴーﾂという音と一緒にものすごい風が起こり、アﾂという間に物はみんな飛び散り、火が私達の中に舞い込んできた。</p>
<p> </p>
<p>「お父さんお父さん」と私はころげ廻りながら呼び続け、父の手を求めたが、その時はもう父と離れ父の声は聞こえない。私は声の続くかぎり父の名を呼び続けた。ころんでは起き、起きてはころびして真暗闇の中を走った。折り重なった死体の上も走った。闇と火の二色だけの中を走り廻ったのだ。</p>
<p> </p>
<p>急に気味悪いばかりの静かな所に出た。一方は火で明るく、一方は真暗で何ということなしに暗いほうへと歩いていった。安田邸の池に出た。私は夢中で池の中に飛び込んだが火の粉が顔にふりかかり、その度に頭を水の中に入れて防いだ。「駄目だ駄目だもっと頭を沈めて」と人の声、ああ人がいた、生きている人が。私はその男の人に支えられて初めて涙が溢れた。池の中にはかなりの人が生きていた。ああ、私は生きていたのだ。</p>
<p> <br />
あたりがボーﾂと明るくなって私はこんな光景は恐らく終生めぐり会う事はないだろうと思ったぐらい震えが止まらなかった。木という木は真黒に焼けぼっくいになり、その木の股に焼けただれた死体がまたがっているではないか、身体中の力が抜けてしまった。親切な人のお蔭で隅田川の川ぷちまできたとき初めて浴衣は裂け手足が血だらけなのに気がつき、急に痛みを感じその場に横になってしまった。</p>
<p> </p>
<p>ふと気づくと、何と軍隊にいっている隣の人がいるではないか、命令で救助隊員としてきたそうな、いろいろお世話になって、その後、両乳房が焼けただれた母や全身火傷になり気絶して暁方の雨で気がついたという兄、軽傷の従弟、工場の人達などど再会することが出来て初めて大声あげて泣いた。しかし父の姿はいくら探しても見当たらなかった</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>関東大地震　経験談③　「ゴゴゴ・・・」という地鳴り</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Mar 2010 03:06:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[地鳴り]]></category>
		<category><![CDATA[揺れ]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>
		<category><![CDATA[避難]]></category>
		<category><![CDATA[関東大地震]]></category>
		<category><![CDATA[関東大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：東京　（祖父の体験より）
いきなり、「ゴゴゴ…」という地鳴りが聞こえてきたかと思うと、家がグラグラと揺れ始めた。

次は、いきなり「ドン！」 と突き上げるような大きな“縦揺れ”タンスの上に置いてあった物が落ち始め [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　（祖父の体験より）</p>
<p>いきなり、「ゴゴゴ…」という地鳴りが聞こえてきたかと思うと、家がグラグラと揺れ始めた。</p>
<p><span id="more-140"></span><br />
次は、いきなり「ドン！」 と突き上げるような大きな“縦揺れ”タンスの上に置いてあった物が落ち始め、照明器具の電球が不規則に暴れ始めた</p>
<p>逃げようとしたが、よろめきながら立っているのが、やっとの状態。<br />
尻餅をついた所にタンスが倒れてきたので、間一髪、横に転がってそれを避けた。<br />
「ドカン！」「ガラガラ」という音と悲鳴や怒号が近所中から聞こえてきた。</p>
<p>家の壁は崩れ、柱もバキバキ折れだし、みるみる部屋が潰れ始めた。そのうち、造りの弱い家から潰れ始め、次々と悲鳴が聞こえた。</p>
<p>外に逃げようとしたが、床に両手両足を大きく広げて、体を支えるのが精一杯でなんともならず。　床に踏ん張ったまま、されるがまま大きく揺れている状態が続く。<br />
這ったまま外に逃げ出すこともできなかった。</p>
<p>少しずつ、大きな揺れが収まり、潰れそうな家から外に飛び出した。<br />
すると、あたりの殆どの家が倒壊し、あるいは崩れかけている有様だった。<br />
あちこちから、家族を呼ぶ声や、助けを呼ぶ悲鳴にも似た声が聞こた。</p>
<p>崩れた家の瓦礫の中に、下敷きになっている近所の人たちが見えた。<br />
慌てて助けようと近づいた瞬間、また余震で大きく地面が揺れだした。</p>
<p>　<br />
「バキバキ！ ガラガラ！ 」という音と共に、傾いていた家が一気に倒壊した。<br />
すさまじい悲鳴が聞こえ「はっ！」とすると、さっきまで下敷きになっていた<br />
近所の人が目を大きく見開いたまま、動かなくなっていた。</p>
<p>言葉が出ず茫然としていると「火が出た！逃げろ～！」の声が聞こえた。<br />
何かが焼ける匂いと共に、あちこちから煙が上がっているのが見えた。<br />
ちょうど昼時で火を使っていた家庭が多かった。強い風がさらにその炎をあおった。</p>
<p>「家族は無事だろうか？」　「まずは、自分が避難しなくては！」<br />
「そうだ、あそこに学校があったはず…」<br />
家が崩れ、何も持たずに歩いている人々と、同じ方向に歩き出した。<br />
　</p>
<p>途中、燃える火の中の瓦礫の下で、泣き叫んで助けを呼ぶ人達を<br />
何度も見ましたが、とても近づく事もできなかった。<br />
火は風を起こすので余計に燃え広がり、どんどん炎と風を大きくしていく。</p>
<p>その時はただ、歩き続けるしか無かった。<br />
生きながら焼かれていく人たちに、目をそむけ耳をふさぎながら…。</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記③　地が揺れる怖さ</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Oct 2009 08:53:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和南海地震（1946年）]]></category>
		<category><![CDATA[入り口]]></category>
		<category><![CDATA[大きな揺れ]]></category>
		<category><![CDATA[昭和南海地震]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>
		<category><![CDATA[避難場所]]></category>
		<category><![CDATA[避難方法]]></category>
		<category><![CDATA[高齢者]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：徳島市佐古四番町
「地震があった頃は、この辺りは戦争の空襲の傷が癒えず、まだ焼け野原の状態だった。家という家はほとんどなく、この辺りでは私の家があるだけだった。私の家からＪＲ佐古駅や佐古小学校の講堂についていた朝 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市佐古四番町</p>
<p>「地震があった頃は、この辺りは戦争の空襲の傷が癒えず、まだ焼け野原の状態だった。家という家はほとんどなく、この辺りでは私の家があるだけだった。<span id="more-22"></span>私の家からＪＲ佐古駅や佐古小学校の講堂についていた朝日マークまで見えるほど、周りに何もない状態だった。</p>
<p>当時私は、平屋建ての家の中にいたが、縦横がわからないくらいの大きな揺れを感じた。庭の角にあったモチノキがユサユサ揺れていたのを覚えている。その日、父は高知へ出張しており、母が必死で私たち６人兄妹を抱きしめていてくれたのを覚えている。</p>
<p>家族は、家の外には逃げずに、いつでも逃げられるように入り口の戸をあけて、じっと様子を伺っていた。その頃、父も同じように、高知駅で帰りの汽車を待っているときに地震を体験したらしく、突然の地震に驚き、隣にいた婦人が怖さのあまりにしがみついてきたという話を聞いた。<br />
　</p>
<p>私の家は、海際ではなかったので、津波の影響は受けていないが、当時中学１年生の私は、そのとき初めて「地が揺れる怖さ」を知った。地震が静まった後、母が作ってくれた「おみいさん」の温かさで、救われたような気がしたのを覚えている。<br />
　</p>
<p>今は、その頃とは違い、この辺りはたくさんの家が並ぶ界隈になったが、少子高齢化のあおりを受けて、今では、高齢者の一人暮らしやご夫婦だけの家が、町内の半数を占めている。今の状態で、もし、あのときのような大きな地震が来ることを考えると、町内に住む一人暮らしの高齢者の避難方法や救助について、昔とは違った観点での課題が生じていることを感じている。緊急時の近所同士の呼びかけ方や、避難場所への誘導など、昔より以上に、事前に気を配っておかなければならないことがたくさんあるように思われる。」</p>
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