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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 昭和南海地震</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>昭和南海地震 被災手記⑥我が町を傷めつけた地震</title>
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		<pubDate>Wed, 02 Dec 2009 09:19:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
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		<description><![CDATA[被災地：徳島市応神町
私が昭和南海地震を体験した当時は十四歳だった。当時の住まいは現在と同じ応神町にあり、木造の二階建ての家で暮らしていた。当時の様子は今でもよく覚えている。自宅で寝ていたところに地震が起こり、あわてて外 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市応神町</p>
<p>私が昭和南海地震を体験した当時は十四歳だった。当時の住まいは現在と同じ応神町にあり、木造の二階建ての家で暮らしていた。<span id="more-33"></span>当時の様子は今でもよく覚えている。自宅で寝ていたところに地震が起こり、あわてて外に飛び出そうとしたが、雨戸が開かなくてなかなか逃げることができなかった。</p>
<p>そのときの揺れは大きく、地震が来たすぐはもちろんだが、その後しばらくしてからひどい横揺れがやってきた。そして、地面が左右に１ｍぐらいスライドしているような感覚で、その揺れは５分ぐらい続いた。その後の余震は30分に一度ぐらいあったがそんなに大きくはなかった。</p>
<p>この揺れで、私の家も含め近所のほとんどの家で、床の間の座板が抜けたり、壁が崩れたり、二階への階段が崩れたりしていた。近所に古い借家（長屋）があったが、それが潰れたりしていた。しかし、けが人等が出たという話は無く、火災もなかった。津波が来たかどうかはわからない。<br />
　この地震で困ったことというのは、当時の井戸というのが竹を地面に打ち込んだ井戸だったが、それが傷んで水の出が悪くなったり濁ったりしたことだった。その他に停電もしたが、その日の昼には回復した。当時、消防団があって台風のときは活動していたが地震のときは活動していなかった。<br />
　最後に地震を経験しての教訓としては、(1)家が歪んでも逃げられるように戸をすぐに開けるようにする(2)火の始末をきちんとする(3)耐震住宅を建てる等といったことである。</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記⑤　二と一の繰り返しの不思議な日</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Oct 2009 09:13:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
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		<description><![CDATA[被災地：徳島市助任本町６丁目
昭和21年12月21日　忘れようとしても忘れることのできない２と１の繰り返しの不思議な冬の日です。旧制女学校３年の耐寒マラソンの行われる日でした。
得意ではないが頑張ろうと早くにやすみました [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市助任本町６丁目<br />
昭和21年12月21日　忘れようとしても忘れることのできない２と１の繰り返しの不思議な冬の日です。旧制女学校３年の耐寒マラソンの行われる日でした。</p>
<p><span id="more-30"></span>得意ではないが頑張ろうと早くにやすみました。ぐらっと来て、母はタンスの前で引き出しを押さえましたが、あまりにもひどい揺れで、母に言われて、私は祖母のこたつを、もう一つを母が抱えて家の外に飛び出し、一番離れたところで家族４人が伏せておりました。揺れがひどく、転びそうな足取りであったと思います。</p>
<p>どれくらい長いのかわかりませんでしたが、ひどく長い時間であったように思われました。揺れが収まって近所の方たちと無事を喜び合いました。戦後２年目２月に平屋バラックを建てたので、土壁は塗ってなく板壁でしたので、壊れることもなく家は無事でした。当時は焼け跡の防空壕にトタンで屋根にした家とか、焼け残りの蔵で住む人とかがバラバラと住んでいる程度でしたので、被害の話は聞かれなかったように思います。</p>
<p>父が電話局に勤めていた関係で、電話は早くからあり、市内中心部は大丈夫との連絡が入っており安心いたしました。ラジオで南方の津波被害の大きさを聞き、後で怖さが迫ってきました。<br />
　何日程過ぎてからかは思い出せませんが、飲用に使っていた掘り抜き井戸の水が全く湧かなくなりました。水道水も併用していたので困ることはありませんでしたが、不思議なことに、もう駄目かなと思っていると、前程にはコンコンと湧きませんでしたが少しずつ出るようになって来ました。しかし、飲めていた水に塩がさし、飲用にできなくなり、洗濯の下洗いしか使えなくなりました。地下水脈が地震で変わったのでしょう。<br />
　現在方々で地震の速報がよく聞かれますが、あの頃もよく地震があり、ガタガタと揺れており、当時とふと重ねることがあります。母に教えられた火の用心の大切さ、また飲み水の確保等を常に心しなければならないと心に言い聞かせています。</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記④　人生の中での大きな出来事</title>
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		<pubDate>Thu, 22 Oct 2009 09:05:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
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		<description><![CDATA[被災地：徳島市南沖洲五丁目
あの頃の私は親から離れて大和町の親戚に下宿していました。木造二階建ての一階に寝ていたとき、二階で寝ていた従兄弟の「地震じゃぁ～」の声で目が覚めました。そのとき、近所の小６の女の子が泊まりに来て [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市南沖洲五丁目</p>
<p>あの頃の私は親から離れて大和町の親戚に下宿していました。木造二階建ての一階に寝ていたとき、二階で寝ていた従兄弟の「地震じゃぁ～」の声で目が覚めました。<span id="more-27"></span>そのとき、近所の小６の女の子が泊まりに来ていたのですが、二人でギイギイという音と大きな揺れで「いや～ブランコに乗っとうみたい～」と言いながら、そのまま横になったまま揺れが止まるまで布団を被っていました。</p>
<p>揺れるのが収まってから起きたら、二階の部屋に置いてあった花瓶が倒れて出た水と壁土が混ざってドロドロになった物が、布団の上にたくさん落ちていました。それを見て地震の大きさを改めて感じました。揺れで歪んだ窓から外を見ると、真っ黒な雲が空一面に覆い被さり不気味な感じがしたのを今でもはっきり覚えています。<br />
　両親は住吉に住んでいたのですが私のことを心配して、父がやって来て「親戚の家屋は古いから余震で壊れたら危ない」と言って、泊まっていた女の子の家が木工所だったのですが、そこへ連れて行ってくれました。木工所では地割れ対策としてみんなで木を組み合わせて、その上に座って明るくなるまで待ちました。<br />
　幸いにも地割れは無く近所でも壊れた家も無く、壁が落ちたり戸が開き難くなった程度で大きな被害はありませんでした。父のいた住吉のご近所の方達は、井戸水が一度無くなってまた増えたのを見て津波が来ると感じ城山に逃げたそうです。大和町では津波の被害はありませんでした。</p>
<p>少し前までの戦争で戦火の中を逃げ回っていた恐さを思うと、それほどの恐怖はありませんでしたが人生の中での大きな二つの出来事の教訓として私は今でも寝ている枕元に、ラジオ、懐中電灯、水、貴重品等を入れた袋を置いて寝ています。<br />
　近い将来またこのような大きな地震が起こるかも知れないと言われています。体験した者として最小限の身の回り品を常日頃傍に置いて、揺れたらとりあえず押し入れの中、机の下などに隠れて揺れが収まるまで待ち、後は情報を早くキャッチして機敏に行動するのが一番であると考えております。</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記③　地が揺れる怖さ</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Oct 2009 08:53:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
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		<description><![CDATA[被災地：徳島市佐古四番町
「地震があった頃は、この辺りは戦争の空襲の傷が癒えず、まだ焼け野原の状態だった。家という家はほとんどなく、この辺りでは私の家があるだけだった。私の家からＪＲ佐古駅や佐古小学校の講堂についていた朝 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市佐古四番町</p>
<p>「地震があった頃は、この辺りは戦争の空襲の傷が癒えず、まだ焼け野原の状態だった。家という家はほとんどなく、この辺りでは私の家があるだけだった。<span id="more-22"></span>私の家からＪＲ佐古駅や佐古小学校の講堂についていた朝日マークまで見えるほど、周りに何もない状態だった。</p>
<p>当時私は、平屋建ての家の中にいたが、縦横がわからないくらいの大きな揺れを感じた。庭の角にあったモチノキがユサユサ揺れていたのを覚えている。その日、父は高知へ出張しており、母が必死で私たち６人兄妹を抱きしめていてくれたのを覚えている。</p>
<p>家族は、家の外には逃げずに、いつでも逃げられるように入り口の戸をあけて、じっと様子を伺っていた。その頃、父も同じように、高知駅で帰りの汽車を待っているときに地震を体験したらしく、突然の地震に驚き、隣にいた婦人が怖さのあまりにしがみついてきたという話を聞いた。<br />
　</p>
<p>私の家は、海際ではなかったので、津波の影響は受けていないが、当時中学１年生の私は、そのとき初めて「地が揺れる怖さ」を知った。地震が静まった後、母が作ってくれた「おみいさん」の温かさで、救われたような気がしたのを覚えている。<br />
　</p>
<p>今は、その頃とは違い、この辺りはたくさんの家が並ぶ界隈になったが、少子高齢化のあおりを受けて、今では、高齢者の一人暮らしやご夫婦だけの家が、町内の半数を占めている。今の状態で、もし、あのときのような大きな地震が来ることを考えると、町内に住む一人暮らしの高齢者の避難方法や救助について、昔とは違った観点での課題が生じていることを感じている。緊急時の近所同士の呼びかけ方や、避難場所への誘導など、昔より以上に、事前に気を配っておかなければならないことがたくさんあるように思われる。」</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記②　電線から火花</title>
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		<pubDate>Thu, 08 Oct 2009 08:41:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
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		<description><![CDATA[被災地：徳島市住吉一丁目
[「当時、私は小学校５年生だった。家は昔の家だったが、今と同じ場所に住んでいた。揺れ初めてからすぐ、家族で家を飛び出した。かなりの横揺れがしていた。
外に出ると、電柱が揺れ、電線から火花が散って [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市住吉一丁目</p>
<p>[「当時、私は小学校５年生だった。家は昔の家だったが、今と同じ場所に住んでいた。揺れ初めてからすぐ、家族で家を飛び出した。かなりの横揺れがしていた。<span id="more-12"></span></p>
<p>外に出ると、電柱が揺れ、電線から火花が散っていた。当時父が鏡台を作る仕事をしており、家の中に棚があった。揺れが収まってから家に戻ると、棚からたくさんのものが落ちて散乱していた。電気は停電していた。</p>
<p> 津波については、地震が収まってからしばらくして、どこからともなく、「津波がきよるぞー。沖洲まで押し寄せていっきょるぞー」と言う声を聞いて、家族で、必死で城山へ逃げた。逃げている途中で渡った橋から川を見ると、川の水が変な流れ方をしており、どんどん底が見え始めていた。</p>
<p> 城山には、たくさんの人が避難してきていた。避難場所は、城山のてっぺんではなく、少し下の平坦な広場にみんな集まっていた。城山では５時間くらい避難していた。</p>
<p>地震の揺れはかなり大きかったが、特に被害もなく、津波の心配もなかったが、周りの噂で行動していたため、きちんとした情報が入ってこない怖さがあった。</p>
<p>現在この辺りの避難場所は、城東小学校になっているが、常に正しい情報を入手し、落ち着いた行動をすることを心がけることが大切であると思う。」</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記①　千代ヶ丸山へ避難</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Sep 2009 21:45:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
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		<description><![CDATA[被災地：徳島県徳島市論田町
「私の家は、昔の中二階建てで、この辺りの家は、全部で60戸くらいしかなかった。ほとんどが田圃で、その間にポツポツ家があった程度だった。地震の揺れは、かなりのものだった。当時、私の父親が「こんな [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島県徳島市論田町</p>
<p>「私の家は、昔の中二階建てで、この辺りの家は、全部で60戸くらいしかなかった。ほとんどが田圃で、その間にポツポツ家があった程度だった。<span id="more-1"></span>地震の揺れは、かなりのものだった。当時、私の父親が「こんな大きな地震は生まれてこのかた初めてじゃ」と言っていたのを覚えている。揺れの方向は、特に横揺れがひどかったように思う。近所の米の土蔵が半壊したのを覚えている。</p>
<p>近所の佐々木さん宅の隣に小さな消防ポンプと半鐘があり、警防団の人がその半鐘を激しく叩いていたのを聞いて、津波が押し寄せてくることを知った。津波が押し寄せてくるときに沖の方から「ゴーッ」というものすごい音がした。５回くらい、引いては寄せる激しい音がしていたように記憶している。津波は、２回目が大きかった。<br />
　</p>
<p>私の父親は、家で飼っていた農耕用の牛を連れ、母親は、小さい子供たちを連れて、大原町の千代ヶ丸山へ避難した。私は当時十八歳くらいだったので、津波で家財道具が流されないように、家の戸締まりをして、あとから家族を追いかけた。突然のことだったので、裸足のまま夢中で避難したが、冬の寒い朝であったため、ひどく足が冷たかったのを覚えている。<br />
　</p>
<p>今後の教訓としては、(1)あわてず冷静に判断をすること、(2)できるだけ広くて高いところへ避難すること（しかし、車で逃げるのは返って渋滞を招くおそれがあるので、車はやめた方がよい）、(3)ブロック塀には近づかないように避難すること、(4)履物を履いて避難すること、(5)常に家族と災害について話し合っておくこと、を伝えたいと思う。」</p>
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