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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 地震</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>関東大地震　体験談⑦　灼熱地獄</title>
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		<pubDate>Wed, 07 Apr 2010 06:44:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京浅草
私は当時、紅商伊勢半本店に勤めていた。当日は朝から大雨が降っていた。
浅草の銀行に行き用が済んで帰る途中、
勤め先のあと１００メートル位の所で俄かに地鳴りが起こり、揺れが始まり、やがて電柱は７５度位の角 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京浅草</p>
<p>私は当時、紅商伊勢半本店に勤めていた。当日は朝から大雨が降っていた。<br />
浅草の銀行に行き用が済んで帰る途中、</p>
<p><span id="more-164"></span>勤め先のあと１００メートル位の所で俄かに地鳴りが起こり、揺れが始まり、やがて電柱は７５度位の角度で左右に動き、立っていられず地面に伏した。付近の家屋は見る見るうちに倒壊し始め、瓦や積み上げた薪炭などが落下してくるので道端の下水溝に退避した。地震も少し静まったので店に駆け付けたところ右往左往の大混乱であった。</p>
<p> <br />
　火災は二之橋、吉田町法恩橋通り、浅草蔵前方面の３ケ所だったが、このままでは危険であるので避難することにし何も持たずに家を出た。亀戸、蔵前、本郷方面は火災のため通行出来ない。思案していると誰かが言うことなしに被服廠跡へ行けと声がし、私を含めた会社の人１５名がそこへ入った。この広場は相当な広さで、私達はその中央寄りに集まった。広場の南方向に当時、安田保善商業が建築中で、その建物および足場に津波を恐れた群衆が登り避難していた。広場は、荷車等に家財を満載し運び込む避難者で身動き出来ない状態になった。</p>
<p> <br />
　突然、物凄い竜巻と突風が吹き荒れ始め、家財や人体が中天高く吹き上げられ、人々の泣き叫ぶ声、助けを求める人、経文を唱える人などで大混乱となった。私は傍にあった布団を頭に被り地に伏した瞬間、煙が一面に立ち上がり見る見るうちに、荷物に火が付き、一面火の海と化した。私も立ち上がり、方向も分からず人と共にかけだし、物につまづいて転倒し多くの人に踏みつけられた。人々は行手に安田邸の塀があり、その上には硝子片が植付けられており、乗越えられず全員が焼死した。</p>
<p> <br />
　私は倒れるとともに耳、頭、手足に火傷を負い、呼吸が困難になり思わず寝返りをうち、うつ伏せとなった時、急に呼吸が楽になり同時に冷たい風が吹き付けた。私は生気を取り戻し、地面を５メートル位這ってゆくと水溜まりがあった。夢中でその中に飛び込み、炎が吹き付けるたびに水をかぶり火災を防いでいた。<br />
　</p>
<p>　どの位たったのか。気が付いたときは広場の到るところ死人の山、泣き叫び救いを求める人、経文を唱える人、水をくれと叫ぶ人で騒然としていた。死者の大半は、衣類は焼け黒焦げで性別さえわからずまた妊婦が産気づき、子供が生まれかかり、腹部に裂傷を負い子供が出かかっている人もいた。衣類などはそのままに、窒息して死んだ人も多数いた。</p>
<p>被服廠跡と電車通りの境に巾１メートル、長さ１００メートル位の下水溝には、折り重なって寿司詰めの状態で死んでいた。建築現場の足場に登っていた人達も一瞬の突風に吹き落とされ全員焼死した。若宮町に在った女学校の生徒数十名が避難していたが、全員焼死し、靴と紫のはかまをはいた片足だけが残っていた。このようなことを世に言う灼熱地獄かと思った。</p>
<p>一緒に避難した店の者の生存を確かめるため、大声で名前を呼び歩いたところ、１５名中、９名死に１名の重傷者（翌朝死亡）がわかった。このとき大声で群衆を整理していた人がおり、相生警察書でただ一人生き残った警察官であった。　</p>
<p>朝から何も食べていないので空腹と咽が渇ききっており、隣接地区の製氷会社の倉庫に行き、氷で渇きをしのいでいた</p>
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		<title>関東大震災　体験談④　群衆の頭上をなめる火</title>
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		<pubDate>Wed, 10 Mar 2010 06:14:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京都本所区
あの日は蒸風呂のような酷暑であった。私は工場の隅でブランコに乗っていた。突然、左右上下に揺れだして止まらなくなった。
「地震だ、モ－タ－を止めろ」と叫ぶ声が飛んだ。
ミシミシと大きく揺れ、鋭く怒った [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京都本所区</p>
<p>あの日は蒸風呂のような酷暑であった。私は工場の隅でブランコに乗っていた。突然、左右上下に揺れだして止まらなくなった。<span id="more-147"></span></p>
<p>「地震だ、モ－タ－を止めろ」と叫ぶ声が飛んだ。</p>
<p>ミシミシと大きく揺れ、鋭く怒ったように揺れる。棚から物が落ちてくる、電燈のカサが目茶目茶に揺れ天井にぶつかりガラスの破片がすっ飛ぶ。梁と柱が悲鳴をあげて離れそうになる。近くの家の倒れる音が地響きをたて、砂じんが舞い込んでくる。</p>
<p>工場の屋根に大きな物干場があり、父母や兄姉、従業員などが集っていた。父は四方を眺め、火事場の数を見て「ここまでは燃えてこないだろう」と云っていた。父の指図で炊き出しを始め、握り飯を頬張りながら火事の様子を眺めていたが、若宮町の方角で一時衰えていた火勢が急に盛り返し、煙が私達の頭上まで拡がってきてキナ臭い匂いが漂い薄暗くなり、パラパラと燃えかすが落ちてきた。</p>
<p>「被服廠に行こう」と父が云い、足袋を集めさせて一同に履かせた。父の機転で足袋を履いたお蔭で助かったと感謝している。道路が狭く、路地が入り込んでいてなかなか表通りに出られない状態であった。血だらけの負傷者を背負う人、気が狂ったように泣き叫ぶ人、電車が立往生し、架線が垂れ下がり、水道管が破裂して被服廠前は水が溢れ、溝との境が見えない。既に広場は人と荷物でごったがえしていた。荷馬車を引き入れ口論している馬方もいた。</p>
<p>　　　　　　　　<br />
　あたりが急に薄暗くなってきた。四方から煙が空を覆い太陽を隠すように重なり合った時、突然、風が吹き始め忽ち強風となり、渦を巻いて砂じんを吹き付けた。顔や手足が痛い。眼も開けられず、立っても居られず、みな毛布や布団を頭から被った。いつの間にか砂じんが火の粉と変り、忽ち火の渦となり火焔となって人や荷物に燃え移って荒れ狂う。ゴ－ッと火焔が空にのびていくと、大八車や箪笥や人間が舞い上る。馬が人垣のなかで暴れ、火だるまになった人達がバタバタと倒れる。　　</p>
<p>　　　　　　　　　　　　<br />
　私は妹の手を引き、無我夢中でどこをどう歩いたのか記憶がない。妹が熱い熱いと云うので私の上衣を脱ぎ、頭にかぶせると忽ち誰かに奪われてしまった。人波に押されて下敷になる人、無理矢理に押されて火焔のなかに倒される人もいた。幾時間が過ぎて火勢が衰え暗さが増してきたとき、坊やと呼ばれたような気がして、声の方を見ると、母が妹を抱いて立っているのが見えた。</p>
<p>今でもはっきり記憶に残っているが、母の姿が白く浮きでていて他のものは何も見えなかった。私と妹は夢中で死体を踏み越えて駆け寄った。母は「助からないときは、一緒に死のう」と云ったが私はもう大丈夫だと母を慰めた。安全で座れる場所を探そうと安田庭園の近くまで死体を除けながら母の手を引いて歩いたが座る場所がなく、しかたなく３、４人の黒い死体を引っぱって場所をつくった。手が炭を塗ったように黒くなり、あとあとまで気になった。</p>
<p>やがて何処からとなく「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と呟きが聞こえ、その呟きが合唱のように一斉におきてあがった。暗闇が一枚一枚ベ－ルをはがすようにあたりが明るくなるとともに人影が動き始め、「誰誰や－い」と家族を探す声が腹を切ったように始まった</p>
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		<title>昭和南海地震 被災手記⑥我が町を傷めつけた地震</title>
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		<pubDate>Wed, 02 Dec 2009 09:19:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和南海地震（1946年）]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：徳島市応神町
私が昭和南海地震を体験した当時は十四歳だった。当時の住まいは現在と同じ応神町にあり、木造の二階建ての家で暮らしていた。当時の様子は今でもよく覚えている。自宅で寝ていたところに地震が起こり、あわてて外 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市応神町</p>
<p>私が昭和南海地震を体験した当時は十四歳だった。当時の住まいは現在と同じ応神町にあり、木造の二階建ての家で暮らしていた。<span id="more-33"></span>当時の様子は今でもよく覚えている。自宅で寝ていたところに地震が起こり、あわてて外に飛び出そうとしたが、雨戸が開かなくてなかなか逃げることができなかった。</p>
<p>そのときの揺れは大きく、地震が来たすぐはもちろんだが、その後しばらくしてからひどい横揺れがやってきた。そして、地面が左右に１ｍぐらいスライドしているような感覚で、その揺れは５分ぐらい続いた。その後の余震は30分に一度ぐらいあったがそんなに大きくはなかった。</p>
<p>この揺れで、私の家も含め近所のほとんどの家で、床の間の座板が抜けたり、壁が崩れたり、二階への階段が崩れたりしていた。近所に古い借家（長屋）があったが、それが潰れたりしていた。しかし、けが人等が出たという話は無く、火災もなかった。津波が来たかどうかはわからない。<br />
　この地震で困ったことというのは、当時の井戸というのが竹を地面に打ち込んだ井戸だったが、それが傷んで水の出が悪くなったり濁ったりしたことだった。その他に停電もしたが、その日の昼には回復した。当時、消防団があって台風のときは活動していたが地震のときは活動していなかった。<br />
　最後に地震を経験しての教訓としては、(1)家が歪んでも逃げられるように戸をすぐに開けるようにする(2)火の始末をきちんとする(3)耐震住宅を建てる等といったことである。</p>
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		<title>阪神淡路大震災　体験記③　紙のマンション</title>
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		<pubDate>Tue, 17 Nov 2009 14:45:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[★阪神淡路大震災（1995年）]]></category>
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		<category><![CDATA[余震]]></category>
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		<category><![CDATA[阪神淡路大震災]]></category>
		<category><![CDATA[５時４６分]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：神戸市（高校２年　男子）
阪神大震災から、もう５年が経とうとしています。けれども、僕はあの日のことをはっきりと覚えています。僕は震災の時はまだ小学校６年生で、姉は今の僕と同じ高校２年生でした。新居に引っ越してまだ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：神戸市（高校２年　男子）</p>
<p>阪神大震災から、もう５年が経とうとしています。けれども、僕はあの日のことをはっきりと覚えています。僕は震災の時はまだ小学校６年生で、姉は今の僕と同じ高校２年生でした。新居に引っ越してまだ１カ月目のことでした。やっと荷物を片付けたばかりで、机もベッドもピカピカでした。<span id="more-122"></span></p>
<p>僕はその当時まだ姉と２人部屋で、二段ベッドの上段の方に寝ていました。あの日はなぜか、嫌な予感がしていて、朝早く４時ぐらいから起きていました。けれどもベッドから降りていっては、姉の目が覚めて迷惑がかかるので、ベッドで横になっていました。</p>
<p>すると５時４６分、「ゴー」っとものすごい地響きとともに、ものすごい上下の揺れを感じました。家が崩れたのではないかと思いました。<br />
食器の割れる音、母の叫び声がとても恐ろしくて僕は布団にくるまっていました。そしてベッドの下段にいる姉のことがとても心配でした。ただ二段ベッドが壊れないことだけを願っていました。そしてだんだんと揺れがおさまってきました。</p>
<p>母が子供部屋に駆け込んで来ました。すごく僕達のことを心配してくれていました。姉も父も僕も、みんな大丈夫でした。</p>
<p> しかし、母は僕達の部屋に来る時に、割れた食器の上を素足で通って来たせいで、足の裏を切ってしまいました。それに、電気がついてから初めて分かったのですが、母の足には、青いあざがたくさんありました。よく見ると、たんすの跡がくっきりとついていました。母の部屋には、父でも一人では持ち上げられないとても大きな和箪笥があり、母はそれの下敷きになっていたのですが、僕達が心配で、それを押しのけて来たようで、大変驚きました。</p>
<p>その後テレビの報道を見て初めて地震の状況が分かり、交通機関もすべて動かない事が分かりました。そして父から「哲史、水を買ってこい」と言われました。母は危ないから外には出るなと反対しましたが、今後の事態を考えると、どうしても水が必要なのですから、一人で水を買いに行くことにしました。</p>
<p>外に出てとても驚きました。僕の親友のやっちゃんの家の、１階部分がなくなっているのです。けれども、どうしてあげることも出来ませんでした。そしてローソンに行くその途中で何人もの人が、瓦礫の下敷きになり、うめき声が聞こえました。助けられた人もいましたが、無理だった人もいました。こういう状況の中を通り過ぎてローソンにたどり着き、水を１０本買うことができました。<br />
帰り道に、公園にやっちゃんがいました。僕は水を３本あげ「僕の家に来るか」と聞きましたが、首を横に振るだけでした。祖父が死んだショックでしゃべれない様でした。</p>
<p>とりあえず僕は家に帰りました。そしてまた驚きました。改めてマンションの外観を見てみると、ピカピカだったマンションの水道管が折れ、壁には亀裂が入りぼろぼろでした。そして家族で屋上にのぼって西の空を見ると真っ赤になっていました。そして消防車のサイレンの音がけたたましく鳴り響いていました。こんどは神戸に住む祖母が心配になり、電話をしました。しかし電話は、つながりませんでした。その日は部屋を片付けて、余震に怯えながら家族いっしょにリビングで寝ました。その時、心から家族っていいなって思っていました。</p>
<p>次の日、僕は１２時ぐらいまで寝ていました。みんなもう起きて、いろいろ用事をしていました。僕は父と食べ物を買いに行きました。<br />
スーパーはすごい人でした。何軒も行きましたが、無料で水やお菓子をくれる店もあれば、商品はあるのに売ってくれない店もありました。こういう時にこそ、その人の人間性が出るなと思いました。</p>
<p>その日以後、僕は配給物資を取りに行ったり、水をくみに行ったり、街を見に行ったりの日々を過ごしていました。そしていろいろな悲惨な場面を目にしました。鉄筋のマンションがまるで紙で出来ているように曲がっていたり、電柱が折れていたり……。</p>
<p>あの地震で家や食器は壊れてしまったけれども、家族が生きているだけでも良かったです。それに僕は本当に家族のありがたさを思い知らされました。もう二度と、あんな出来事は起こらないで欲しいです。</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記⑤　二と一の繰り返しの不思議な日</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Oct 2009 09:13:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和南海地震（1946年）]]></category>
		<category><![CDATA[タンス]]></category>
		<category><![CDATA[井戸の水]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[地震]]></category>
		<category><![CDATA[昭和南海地震]]></category>
		<category><![CDATA[確保]]></category>
		<category><![CDATA[被害]]></category>
		<category><![CDATA[飲み水]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：徳島市助任本町６丁目
昭和21年12月21日　忘れようとしても忘れることのできない２と１の繰り返しの不思議な冬の日です。旧制女学校３年の耐寒マラソンの行われる日でした。
得意ではないが頑張ろうと早くにやすみました [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市助任本町６丁目<br />
昭和21年12月21日　忘れようとしても忘れることのできない２と１の繰り返しの不思議な冬の日です。旧制女学校３年の耐寒マラソンの行われる日でした。</p>
<p><span id="more-30"></span>得意ではないが頑張ろうと早くにやすみました。ぐらっと来て、母はタンスの前で引き出しを押さえましたが、あまりにもひどい揺れで、母に言われて、私は祖母のこたつを、もう一つを母が抱えて家の外に飛び出し、一番離れたところで家族４人が伏せておりました。揺れがひどく、転びそうな足取りであったと思います。</p>
<p>どれくらい長いのかわかりませんでしたが、ひどく長い時間であったように思われました。揺れが収まって近所の方たちと無事を喜び合いました。戦後２年目２月に平屋バラックを建てたので、土壁は塗ってなく板壁でしたので、壊れることもなく家は無事でした。当時は焼け跡の防空壕にトタンで屋根にした家とか、焼け残りの蔵で住む人とかがバラバラと住んでいる程度でしたので、被害の話は聞かれなかったように思います。</p>
<p>父が電話局に勤めていた関係で、電話は早くからあり、市内中心部は大丈夫との連絡が入っており安心いたしました。ラジオで南方の津波被害の大きさを聞き、後で怖さが迫ってきました。<br />
　何日程過ぎてからかは思い出せませんが、飲用に使っていた掘り抜き井戸の水が全く湧かなくなりました。水道水も併用していたので困ることはありませんでしたが、不思議なことに、もう駄目かなと思っていると、前程にはコンコンと湧きませんでしたが少しずつ出るようになって来ました。しかし、飲めていた水に塩がさし、飲用にできなくなり、洗濯の下洗いしか使えなくなりました。地下水脈が地震で変わったのでしょう。<br />
　現在方々で地震の速報がよく聞かれますが、あの頃もよく地震があり、ガタガタと揺れており、当時とふと重ねることがあります。母に教えられた火の用心の大切さ、また飲み水の確保等を常に心しなければならないと心に言い聞かせています。</p>
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