<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 余震</title>
	<atom:link href="http://toukaijisin.com/archives/tag/%e4%bd%99%e9%9c%87/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://toukaijisin.com</link>
	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
	<lastBuildDate>Tue, 16 Nov 2010 12:06:49 +0000</lastBuildDate>
	<generator>http://wordpress.org/?v=2.8.4</generator>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
			<item>
		<title>関東大地震　経験談③　「ゴゴゴ・・・」という地鳴り</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/140</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/140#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 03 Mar 2010 03:06:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[地鳴り]]></category>
		<category><![CDATA[揺れ]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>
		<category><![CDATA[避難]]></category>
		<category><![CDATA[関東大地震]]></category>
		<category><![CDATA[関東大震災]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=140</guid>
		<description><![CDATA[被災地：東京　（祖父の体験より）
いきなり、「ゴゴゴ…」という地鳴りが聞こえてきたかと思うと、家がグラグラと揺れ始めた。

次は、いきなり「ドン！」 と突き上げるような大きな“縦揺れ”タンスの上に置いてあった物が落ち始め [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　（祖父の体験より）</p>
<p>いきなり、「ゴゴゴ…」という地鳴りが聞こえてきたかと思うと、家がグラグラと揺れ始めた。</p>
<p><span id="more-140"></span><br />
次は、いきなり「ドン！」 と突き上げるような大きな“縦揺れ”タンスの上に置いてあった物が落ち始め、照明器具の電球が不規則に暴れ始めた</p>
<p>逃げようとしたが、よろめきながら立っているのが、やっとの状態。<br />
尻餅をついた所にタンスが倒れてきたので、間一髪、横に転がってそれを避けた。<br />
「ドカン！」「ガラガラ」という音と悲鳴や怒号が近所中から聞こえてきた。</p>
<p>家の壁は崩れ、柱もバキバキ折れだし、みるみる部屋が潰れ始めた。そのうち、造りの弱い家から潰れ始め、次々と悲鳴が聞こえた。</p>
<p>外に逃げようとしたが、床に両手両足を大きく広げて、体を支えるのが精一杯でなんともならず。　床に踏ん張ったまま、されるがまま大きく揺れている状態が続く。<br />
這ったまま外に逃げ出すこともできなかった。</p>
<p>少しずつ、大きな揺れが収まり、潰れそうな家から外に飛び出した。<br />
すると、あたりの殆どの家が倒壊し、あるいは崩れかけている有様だった。<br />
あちこちから、家族を呼ぶ声や、助けを呼ぶ悲鳴にも似た声が聞こた。</p>
<p>崩れた家の瓦礫の中に、下敷きになっている近所の人たちが見えた。<br />
慌てて助けようと近づいた瞬間、また余震で大きく地面が揺れだした。</p>
<p>　<br />
「バキバキ！ ガラガラ！ 」という音と共に、傾いていた家が一気に倒壊した。<br />
すさまじい悲鳴が聞こえ「はっ！」とすると、さっきまで下敷きになっていた<br />
近所の人が目を大きく見開いたまま、動かなくなっていた。</p>
<p>言葉が出ず茫然としていると「火が出た！逃げろ～！」の声が聞こえた。<br />
何かが焼ける匂いと共に、あちこちから煙が上がっているのが見えた。<br />
ちょうど昼時で火を使っていた家庭が多かった。強い風がさらにその炎をあおった。</p>
<p>「家族は無事だろうか？」　「まずは、自分が避難しなくては！」<br />
「そうだ、あそこに学校があったはず…」<br />
家が崩れ、何も持たずに歩いている人々と、同じ方向に歩き出した。<br />
　</p>
<p>途中、燃える火の中の瓦礫の下で、泣き叫んで助けを呼ぶ人達を<br />
何度も見ましたが、とても近づく事もできなかった。<br />
火は風を起こすので余計に燃え広がり、どんどん炎と風を大きくしていく。</p>
<p>その時はただ、歩き続けるしか無かった。<br />
生きながら焼かれていく人たちに、目をそむけ耳をふさぎながら…。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/140/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>三河地震　被災体験②　家の下敷きに</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/96</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/96#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 14 Feb 2010 13:42:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[三河地震（1945年）]]></category>
		<category><![CDATA[のこぎり]]></category>
		<category><![CDATA[三河地震]]></category>
		<category><![CDATA[下敷き]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[被災]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=96</guid>
		<description><![CDATA[被災地：愛知県西尾市
「ズシン」と物すごくつき上げられるようなショックを体に感じ、そのままころげ出るように次の間へ。足がもつれ、倒れた母を夢中で助けおこしかけた時、「アア-ﾂ」おどろきおびえた母の声。電気か、稲妻か。一瞬 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：愛知県西尾市</p>
<p>「ズシン」と物すごくつき上げられるようなショックを体に感じ、そのままころげ出るように次の間へ。足がもつれ、倒れた母を夢中で助けおこしかけた時、「アア-ﾂ」おどろきおびえた母の声。電気か、稲妻か。一瞬の光に家がむざんにねじれ、建具もろとも大きく傾く様子が見えた。<span id="more-96"></span></p>
<p>ふと気が付いたら、体が全然動かない。家が倒れ、その下敷きになったのだ。どちらからともなく言葉だけで安否を確かめ合った。２人共動けないが命だけは助かった。わずかに動く両手で、方々なで回し、何とかならないかと力を入れてみた。もちろんビクッともしない。指先が火鉢にふれた。ああここは台所だなと思った。夜中のことで火の気の心配は全くない。右足の上に右肩と体を前に折り曲げた上、背から肩にかけ梁、体の線から少し左にそれた左足は鴨居にそれぞれはさまれていた。今一歩左に寄れば、鴨居をまともに受け、命は無かったそうだ。</p>
<p> <br />
ビリッとわずかに感じる程度から、かなりの余震まで何度か度重なるうち、いつの間にか右耳をむしろにおしつけられたまま、首も廻らなくなり、肩の梁はますます重くのしかかってきた。胸と腹を強くおされて居るので、次第に呼吸が苦しくなってきた。</p>
<p> <br />
「久子や久子やあ-、久子」前の方で、勘一さんのおばあさんの声が、二声三声聞こえただけ。外は以外に静か。「どの家も倒れ、皆んな下敷きになってしまったのだ」そんなような話をとぎれがちにしていた。そうだとすると、だれも来てはくれないだろう。人の身体はどれだけ重みに耐えるだろう。徐々にだから良いものの大きな余震が来て、何かのはずみで一気に重みが加わったら？国のためならいざ知らず、こんな事でと思うと残念で情けなかった。</p>
<p> <br />
どの位時間がたったか、兄の呼ぶ声がした。返事をしても、色々な物が上に乗っているので、どの辺に居るのか見当をつけるのに少なからず手間取ったようだ。瓦から屋根板を取り払い、二階板をはがす頃から、横向きの顔の上にかべつちやほこりがふりかかる。ただでさえ苦しい呼吸をじっとがまんした。細い木や板切れとちがい、肩の梁は大きな棒などでこじてもどうにもならなかった。かえって反動で思わずうめき声が出てしまう。<br />
間もなく、他家に貸してあったのこぎりが返ってきた。梁は切られ、取りのぞかれたおを感じた。</p>
<p> <br />
人の話し声は、はっきりわかるのだが、全身おぼえが無く、一人で起き上がることはもちろん出来なかった。だき起こされ、うしろの木にもたれかかり、初めて胸一杯呼吸した。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/96/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>三河地震　体験談①　繰り返す余震の恐怖</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/91</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/91#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 13:37:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[三河地震（1945年）]]></category>
		<category><![CDATA[三河地震]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[家具]]></category>
		<category><![CDATA[昭和２０年]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=91</guid>
		<description><![CDATA[被災地：愛知県西尾市
昭和２０年１月１３日未明、小学校４年の子供を頭に、４人の子供達と一緒の部屋に寝ていた私達は、そのすさまじい振動に「地震よ、みんな外へ出て」と絶叫して、誰が先ともなく飛び出した。
棚から物が落ちるどこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：愛知県西尾市</p>
<p>昭和２０年１月１３日未明、小学校４年の子供を頭に、４人の子供達と一緒の部屋に寝ていた私達は、そのすさまじい振動に「地震よ、みんな外へ出て」と絶叫して、誰が先ともなく飛び出した。<span id="more-91"></span><br />
棚から物が落ちるどころか、真っ暗な部屋の中は、家具のひっくり返る音、割れる音、何もかもが一緒になって、私達の上へこわれかかってくる感じだった。きしんで開かない縁側の雨戸を、夫はけたくって破った。なだれのようにそのあとへつづいて、私達親子は、暗闇の厳寒の中へ寝巻きのまま、とも角逃れることが出来た。しかし５歳になる次男がいない。３男はまだ赤ん坊だったので、無意識のうちに抱いていた。<br />
ひっきりなしに余震が来た。夫はその中を２度３度家の中へ飛び込み、次男を連れ出したり、手に当る程度の布団を持ち出したりした。世の明けるまでを表庭ですごすために、ワラ屑を山と積み、体をくっつけ合って温みをとった。<br />
幸い怪我人はなかったが、しらじらと夜が明け始めてみると、何という我が家の無惨さ、倒れる寸前にまでひさしが傾いて、唐紙も障子もその大部分は縦に引き裂け、家具のあらゆるものは落ちて散らかっている。こまいは外れ、大方の壁は落ちかかり、真冬の風がヒュ－ヒュ－と家の中まで吹きこんできた。<br />
古木を集め、ワラを運んでいると、志籠谷の親戚の娘さんが飛び込んできた。<br />
「私んとこのお父っちゃんが、家の下敷きになって死んでしまった！」おそらく自転車できたのだろう。防空帽を被って、半てん着て、庭に立ったままボロボロと大粒な涙が先に落ちた。<br />
それは大変だ。夫はすぐに出掛けようとしたが、それよりも早く、また２人の男の人が来て、夫の妹が子供を抱いたまま下敷きになってしまった、すぐに来てくれという。私達の村より低い福地の方の村から、次々と死者の報せが入った</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/91/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>新潟中越地震　体験談２　水害、台風、そして地震</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/193</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/193#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Jan 2010 08:09:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[新潟県中越地震（2004年）]]></category>
		<category><![CDATA[ガス]]></category>
		<category><![CDATA[トイレ]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[懐中電灯]]></category>
		<category><![CDATA[新潟中越地震]]></category>
		<category><![CDATA[水]]></category>
		<category><![CDATA[食事]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=193</guid>
		<description><![CDATA[（体験談１の続き）
10月24日
午前零時を過ぎると、「昨日の地震」とラジオは言う。もう昨日になってしまったのだ。震度は６強という。時間は午後5時56分だったと知る。余震が続くだろうという。
入り口の濁沢の土砂崩れで、長 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>（体験談１の続き）</p>
<p><strong>10月24日</strong></p>
<p>午前零時を過ぎると、「昨日の地震」とラジオは言う。もう昨日になってしまったのだ。震度は６強という。時間は午後5時56分だったと知る。余震が続くだろうという。<span id="more-193"></span></p>
<p>入り口の濁沢の土砂崩れで、長岡蓬平温泉が孤立したという。一昨日宿泊したばかりのところだ。もしこの地震が一昨日に起きていたら、家に帰れなかっただろう。朝方冷えこむ。協力して、大釜に持ち寄った５升の米を炊く。味噌汁をつくり、炊き出し。いただいたあと解散。</p>
<p> <br />
　家の中に入ってそのすさまじい様子に息をのむ。本棚から落ちた本で通路は足の踏み場もない。玄関の壁に罅が、ふろばの白壁にも十字に罅が入る。妻も戻ってくる。将行君帰ろうとしたら道が通れず、引き返してくる。柏崎よりの峠でケータイはつながる。娘の資格試験が延期されたことを知る。</p>
<p> </p>
<p>家にあるプロパンを開けてお湯を沸かす。長岡に行くには、国道８号線を柏崎から116号へ抜けて薬師峠から宮本・関原経由でないとは入れないという。長岡が遠くなった。それにしても、なぜこんな災害に遭わねばならないのか、自嘲とも恨みとも取れる感情が湧いてきて、ため息付く。今から150年前の三条地震で良寛は「災害に遭う時は遭うがよかろう」といったではないか。しかし、そんな心境には程遠い。今まで気づいてきた俺の人生が崩れてゆくような錯覚になる。</p>
<p> <br />
　娘一家が長岡に帰るというので、その道を探しに出る。404号は塚山先で通れないという。柏崎に向う。８号線を行く。ここも大積田代から先は通行止め、そこから左折して刈羽に出る。116号線、途中スタンドで給油。薬師峠なら長岡に行けるという。カーブの多い道を越え、宮本関原に入る、新産センターのコンビニに入るが飲み物は売れきれ。ともかくこれで長岡に行けると思って引き返す。</p>
<p> </p>
<p>家に2時半に着く。娘夫婦を見送り、総代から渋海小に避難するよう班内に呼びかけてくれという。班内をまわるが行こうというものはいない。妻の「おぐに荘」が人手がないというので、今夜はここに泊ることにする。体育館にずらりと布団が並び、ここで寝るという。暗い中を懐中電灯で、トイレに行く人の付き添い。朝は、御飯と煮物、プロパンで炊いたという。水は水道の上流から汲んできたという。80人の食事を水やガスなしで用意するのは大変だ。ライフラインの１日も早い復旧を祈るばかりだ。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/193/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>新潟中越地震　体験談１　水害、台風、そして地震</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/191</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/191#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 07 Jan 2010 07:53:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[新潟県中越地震（2004年）]]></category>
		<category><![CDATA[ラジオ]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[体験談]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[安否情報]]></category>
		<category><![CDATA[懐中電灯]]></category>
		<category><![CDATA[新潟中越地震]]></category>
		<category><![CDATA[新潟県中越地震]]></category>
		<category><![CDATA[炊き出し]]></category>
		<category><![CDATA[避難所]]></category>
		<category><![CDATA[防災無線]]></category>
		<category><![CDATA[震源地]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=191</guid>
		<description><![CDATA[被災地：新潟県小国町
１０月２３日
午後5時過ぎ、あたりは日暮れて家族は夕飯の準備が整った。長岡に嫁いだ娘は明日ケアマネージャーの試験、会場まで送ってゆくことになっていた。１歳の誕生日を来月14日に控えた孫を連れて実家へ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：新潟県小国町</p>
<p><strong>１０月２３日</strong></p>
<p>午後5時過ぎ、あたりは日暮れて家族は夕飯の準備が整った。長岡に嫁いだ娘は明日ケアマネージャーの試験、会場まで送ってゆくことになっていた。１歳の誕生日を来月14日に控えた孫を連れて実家へ来ていた。明日は妻が孫の子守役である。<span id="more-191"></span><br />
　</p>
<p>その時、突然激しい地震、一瞬プロパンガスが止まった。「ガスを止めました」のメッセージが流れる。一瞬孫が泣いた。娘が毛布で孫を抱いて外へ飛び出す。玄関の棚の花瓶がすさまじい音を立てて割れた。4人して家を飛び出す。前の床屋さんとお隣さんも出ていた。</p>
<p> </p>
<p>そこへ2回目の余震、これもひどい。電柱に寄りかかる。声も出ない。いまだに経験したことない大きな地震。一体どういう地震だ。どこが震源地か。少しおさまってから家の中からラジオつき懐中電灯を持ってきた。ラジオは小千谷の様子を伝えている。</p>
<p> </p>
<p>車を車庫からだし、そこに娘と孫が入る、「娘と孫を守ってくれ」といいながら、救護施設へあわてて出かける。こんな災害に一生に一度遭うことがあるなんて、今年は、水害、台風、地震と災害続きだ。なぜこんな災害がたびたび起こるのだろうか。布団を取りに家に入るが、出る時なんともなかった玄関のゲタ箱が倒れ、物が散らばって足の踏み場もない。</p>
<p> <br />
　役員が呼びに来て、車で集会所前に集まる。大勢集落の人が集まって炊き出しの準備に入る。ラジオでは死者が刻々と増えている。信じられない。夜が明けるともっと被害は広がるだろう。楢沢集会所は基礎が10センチも西に動き、床板がもり上がっている。</p>
<p> <br />
　車庫に泊っていたバス2台を総代が頼み込んで避難所に借りうける。ここに老人や子供を入ってもらう。ヒーターをつけ放しで車内は暖かい。10時頃、娘婿が長岡から2時間かかってきて来て、びっくりさせる、娘は喜ぶ、孫も目を覚まし、きゃつきゃと喜ぶ。この無邪気さが救いだ。ケータイは「圏外」で通じない。電話も通じない。電気が切れて、真っ暗。安否情報に地域の人の名が出るが、返事が出来ない。</p>
<p> </p>
<p>集会所の石油ストーブがたかれ、お茶をいただく。長い夜だった。ストーブの周りでまんじりともせず夜を明かす。美しい星空だ。この星空の下で展開されている人間の喧騒を見守っているようだ。それにしても、何百年に一度に大地震をなぜ経験しなければならないのか。しきりに溜息が出る。</p>
<p> </p>
<p>町の五十嵐助役来て、防災無線が通じなくて小国の被害状況はマスコミで伝えられないという。生涯の内にこんな災害が来るとは、誰が予想していたか。阪神大地震なんか、他人事のように思っていた。孫は風邪を引いてセキするが、一人はしゃいでいてこの子からエネルギーをいただく。</p>
<p>（体験談２に続く）</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/191/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>昭和南海地震 被災手記⑦ 発光しながら揺れる山脈</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/35</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/35#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 16 Dec 2009 09:24:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和南海地震（1946年）]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[土台]]></category>
		<category><![CDATA[屋根]]></category>
		<category><![CDATA[柱]]></category>
		<category><![CDATA[瓦]]></category>
		<category><![CDATA[発光]]></category>
		<category><![CDATA[稲光]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
		<category><![CDATA[被災]]></category>
		<category><![CDATA[裸足]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=35</guid>
		<description><![CDATA[被災地：徳島市国府町
当時は木造本瓦ぶき二階建てに住んでいました。弟と私は大きな揺れで目が覚めて飛び起き、一番先に戸を開けて裸足で外へ逃げました。庭先で座っていましたら、二階で寝ていた家族も後から出て来ました。あの日は寒 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市国府町</p>
<p>当時は木造本瓦ぶき二階建てに住んでいました。弟と私は大きな揺れで目が覚めて飛び起き、一番先に戸を開けて裸足で外へ逃げました。<span id="more-35"></span>庭先で座っていましたら、二階で寝ていた家族も後から出て来ました。あの日は寒くて霜がおりていました。揺れも大きかったですが、音も大きかったように思います。</p>
<p>余震は数回来て、最初の揺れ程ではありませんが、大きなものも何回かありました。電柱の高圧線が縄跳びのように揺れていて、また南に見える四国山脈の山も揺れ、まだ暗いのに稲光のように光っていました。<br />
　約百五十年前の地震では、この辺で十軒ぐらいの家が崩れたらしいですが、この地震では倒れた家も無く、たいした被害も無かったです。我が家では、壁の隅が少し落ちて納屋が傾きましたが後に起こしました。<br />
　津波については翌日新聞、ラジオで県南に被害があったと知りました。ここでは井戸水にも影響は無かったです。停電については記憶がありません。<br />
　助かったことといえば、家が柱の少ない割には、大黒柱に24cmの太いケヤキを使っていたこと、幅広い「さしまわし」がしっかりしていたことだと思います。あれから瓦のふき替えをしましたが、後の阪神大震災のときに屋根を軽い袖瓦にしておけば良かったと思いました。また今では、前の軒が長いので支え柱があと一つあっても良かったのではないかとも思っています。しかし、納屋は柱を強くしていますし、土台も強くしています。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/35/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>阪神淡路大震災　体験記③　紙のマンション</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/122</link>
		<comments>http://toukaijisin.com/archives/122#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 17 Nov 2009 14:45:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[★阪神淡路大震災（1995年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験記]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[地震]]></category>
		<category><![CDATA[地響き]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>
		<category><![CDATA[水]]></category>
		<category><![CDATA[水汲み]]></category>
		<category><![CDATA[阪神淡路大震災]]></category>
		<category><![CDATA[５時４６分]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://toukaijisin.com/?p=122</guid>
		<description><![CDATA[被災地：神戸市（高校２年　男子）
阪神大震災から、もう５年が経とうとしています。けれども、僕はあの日のことをはっきりと覚えています。僕は震災の時はまだ小学校６年生で、姉は今の僕と同じ高校２年生でした。新居に引っ越してまだ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：神戸市（高校２年　男子）</p>
<p>阪神大震災から、もう５年が経とうとしています。けれども、僕はあの日のことをはっきりと覚えています。僕は震災の時はまだ小学校６年生で、姉は今の僕と同じ高校２年生でした。新居に引っ越してまだ１カ月目のことでした。やっと荷物を片付けたばかりで、机もベッドもピカピカでした。<span id="more-122"></span></p>
<p>僕はその当時まだ姉と２人部屋で、二段ベッドの上段の方に寝ていました。あの日はなぜか、嫌な予感がしていて、朝早く４時ぐらいから起きていました。けれどもベッドから降りていっては、姉の目が覚めて迷惑がかかるので、ベッドで横になっていました。</p>
<p>すると５時４６分、「ゴー」っとものすごい地響きとともに、ものすごい上下の揺れを感じました。家が崩れたのではないかと思いました。<br />
食器の割れる音、母の叫び声がとても恐ろしくて僕は布団にくるまっていました。そしてベッドの下段にいる姉のことがとても心配でした。ただ二段ベッドが壊れないことだけを願っていました。そしてだんだんと揺れがおさまってきました。</p>
<p>母が子供部屋に駆け込んで来ました。すごく僕達のことを心配してくれていました。姉も父も僕も、みんな大丈夫でした。</p>
<p> しかし、母は僕達の部屋に来る時に、割れた食器の上を素足で通って来たせいで、足の裏を切ってしまいました。それに、電気がついてから初めて分かったのですが、母の足には、青いあざがたくさんありました。よく見ると、たんすの跡がくっきりとついていました。母の部屋には、父でも一人では持ち上げられないとても大きな和箪笥があり、母はそれの下敷きになっていたのですが、僕達が心配で、それを押しのけて来たようで、大変驚きました。</p>
<p>その後テレビの報道を見て初めて地震の状況が分かり、交通機関もすべて動かない事が分かりました。そして父から「哲史、水を買ってこい」と言われました。母は危ないから外には出るなと反対しましたが、今後の事態を考えると、どうしても水が必要なのですから、一人で水を買いに行くことにしました。</p>
<p>外に出てとても驚きました。僕の親友のやっちゃんの家の、１階部分がなくなっているのです。けれども、どうしてあげることも出来ませんでした。そしてローソンに行くその途中で何人もの人が、瓦礫の下敷きになり、うめき声が聞こえました。助けられた人もいましたが、無理だった人もいました。こういう状況の中を通り過ぎてローソンにたどり着き、水を１０本買うことができました。<br />
帰り道に、公園にやっちゃんがいました。僕は水を３本あげ「僕の家に来るか」と聞きましたが、首を横に振るだけでした。祖父が死んだショックでしゃべれない様でした。</p>
<p>とりあえず僕は家に帰りました。そしてまた驚きました。改めてマンションの外観を見てみると、ピカピカだったマンションの水道管が折れ、壁には亀裂が入りぼろぼろでした。そして家族で屋上にのぼって西の空を見ると真っ赤になっていました。そして消防車のサイレンの音がけたたましく鳴り響いていました。こんどは神戸に住む祖母が心配になり、電話をしました。しかし電話は、つながりませんでした。その日は部屋を片付けて、余震に怯えながら家族いっしょにリビングで寝ました。その時、心から家族っていいなって思っていました。</p>
<p>次の日、僕は１２時ぐらいまで寝ていました。みんなもう起きて、いろいろ用事をしていました。僕は父と食べ物を買いに行きました。<br />
スーパーはすごい人でした。何軒も行きましたが、無料で水やお菓子をくれる店もあれば、商品はあるのに売ってくれない店もありました。こういう時にこそ、その人の人間性が出るなと思いました。</p>
<p>その日以後、僕は配給物資を取りに行ったり、水をくみに行ったり、街を見に行ったりの日々を過ごしていました。そしていろいろな悲惨な場面を目にしました。鉄筋のマンションがまるで紙で出来ているように曲がっていたり、電柱が折れていたり……。</p>
<p>あの地震で家や食器は壊れてしまったけれども、家族が生きているだけでも良かったです。それに僕は本当に家族のありがたさを思い知らされました。もう二度と、あんな出来事は起こらないで欲しいです。</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://toukaijisin.com/archives/122/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>

