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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 体験</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>関東大震災　体験談⑥　焼けトタンに切られた友</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 06:35:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
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		<category><![CDATA[浅草]]></category>
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		<category><![CDATA[関東大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[　被災地：東京浅草
私は当時本所区柳島梅森町に住み、１４歳で精工社に入社しておりました。
その日は休日で朝のうち雨でしたが、午前１０時頃晴れてきた。
友人と一緒に午前１１時頃家を出、浅草で映画を見ていたところ、お昼頃不意 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　被災地：東京浅草</p>
<p>私は当時本所区柳島梅森町に住み、１４歳で精工社に入社しておりました。<br />
その日は休日で朝のうち雨でしたが、午前１０時頃晴れてきた。</p>
<p><span id="more-158"></span>友人と一緒に午前１１時頃家を出、浅草で映画を見ていたところ、お昼頃不意に体が持ち上げられ、左右に激しく傾いたと同時に、頭上から絶叫に似た声が起こって、３階から２、３人の客が落ちて来て、館内は大混乱におちいった。客は総立ちになり、出口へと殺到した。<br />
　</p>
<p>私は友人と人にもまれながらようやく館外に出たが、前は寿司屋横丁で余りの激しい震動で立っていることも出来ず、寿司屋の軒先の柱にしがみついたが、その柱も大きく左右に揺れて、今にも店の建物が倒れかかってくるような恐怖におそわれた。地面に手をついている者もいた。映画館の看板が随所で落下する音があたりに聞こえた。</p>
<p>揺れ方が僅かに衰えたので、柱から手を離し寿司屋横丁を出た。角に建っていた天麩羅屋が倒れ、一人の男が太い材木の下から顔を出し眼球が飛び出て口から下を誑らしており、初めて目にする死者の顔に驚き、どうしてよいかわからなかった。<br />
　</p>
<p> ひょうたん池へ逃げろという人の叫び声で、池の方へ走り出したが足が思うように進まず、ようやく池に来た時、前方の１２階の上方の部分が裂けると右方に倒れて、私達のところへ血だらけの人々が歩いてきた。そのうちに人々と共に観音様の境内に逃げたが、早くも花屋敷の方より火災が起き近づいたので、私は母のいる家へ帰るため吾妻橋を渡り本所の方へと逃げて来たが、途中アゴひもをかけ抜剣した警察官に、被服廠跡へ行けと強く言われたので、午後３時頃被服廠跡へ入りました。</p>
<p>　<br />
　付近の人々は続々と家財を持ち込んで避難してきた。その人達は家財を周囲に立てて、その中にゴザを敷いて寄り集まっていた。避難者の数は時を追うにしたがって激増し、やがて敷地内は人々と家財で身動き出来ぬほどでした。</p>
<p> <br />
　町並が徐々に焼きはらわれて、被服廠跡にも日が迫り、火の粉が一斉に空地に降りかかり始めると、一瞬の間に家財や荷物が音を立てて燃え出した。たちまち空地は大混乱に陥り、炎を避けようと走るが人々の体にぶつかり合い、倒れた者の上に多くの人々がのしかかる。炎は地をはうように走り、人々は衣服を焼かれ倒れる人もいた。その中を右に左に走っていたが、足にふれるのがあるので見ると、焼死体を踏んでおり、体がむれているのか、腹部が破れ内蔵がほとばしっていた。</p>
<p>そのうちに烈風が起こり、大旋風となり、初めのうちはトタンやフトンが舞い上がっていたが、見る間に家財や人も巻き上げられました。当時運送屋が使っていた馬力が馬ごと荷物を積んだまま空高く巻き上げられ、空中でおしつ位の大きさになり木の葉のようにキリキリ舞いして落ちて来た。馬にも火が付きあばれ出し、その車の下になって死んだ人も大勢いた。旋風と竜巻の恐ろしさにただただ驚きました。</p>
<p>私も友人と右と左に逃げ回っていましたが、突然焼けトタンがすさまじい勢いで飛んできた。と同時に、身近で変な音がした。友人が倒れたのだ。そして起こそうとしたが、意外にも友人の頭部が失われているのに気がついた。焼けトタンは、友人の首を鋭利な刃物で切ってしまったようでした。首のない友人の手は、私の手を堅くつつんだまま離さない。</p>
<p>私は必死の思いで友人の指を開き、ようやく離れ逃げだしているうちに、荷物の上に乗りましたが、とたんに中に落ち、そこには５人ほどの人がおり、中の女の人が可哀相だと言って、魔除けと言い迷信でしょうが、赤い腰巻きを私の頭に被せました。その時にその人々の荷物が焼け、私は頭部、顔、左手、左足、腰部に大火傷をしました。なおも逃げているうちに、気が遠くなり何もわからなくなりました。</p>
<p> <br />
　気が付いたときは軍隊の担架に乗せられており、亀戸第一小学校に運ばれていました。当時の衛生状態と暑さのために、火傷のところからうじが湧き、それは苦しい思いでしたが、命を取りとめ生存しました。</p>
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		<title>関東大震災　体験談⑤　泥水そしてトタン板</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Mar 2010 06:28:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[倒壊]]></category>
		<category><![CDATA[地鳴り]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京　本所市
当時、私は９歳でした。突然「ゴオ－ッ」という異様な地鳴りがした。祖母は安政大地震の経験者であり、誰れよりも早く表へ飛び出していった。父は母と私を抱えて、タンスに寄りそっていたが、様子を見て「今だ逃げ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　本所市</p>
<p>当時、私は９歳でした。突然「ゴオ－ッ」という異様な地鳴りがした。祖母は安政大地震の経験者であり、誰れよりも早く表へ飛び出していった。<span id="more-156"></span>父は母と私を抱えて、タンスに寄りそっていたが、様子を見て「今だ逃げろ」と云われたが、二度ばかり転んでやっと表に出た、その瞬間に家は大音響と共に倒壊した。木造家屋はミシミシと音を立て、屋根瓦は落ち続け、私達の避難を妨害した。</p>
<p> <br />
父は、在郷軍人で、町内の人の救出作業に行き、残された私達三人は、父に命じられた被服廠に向ったが、道路は人と荷車で一杯で前に進めない。屋根の上で抜刀した巡査が、「荷物は捨てろ」と叫んでいた。数万坪の被服廠跡は人と荷物で既に満員であった。僅かに、前日の雨で水が溜ったところが空いているだけである。</p>
<p>私達はそこに陣取ったが、今にして思えばこれが幸したのでした。時間は不詳ですが、突然、竜巻が起った。この時、荷物と人間が空中に舞い上るのを見た。火勢は一挙に荷物に火がついたのです。私達は、目の前の水溜りに飛び込みました。私の膝あたりの深さの水溜りの底を祖母は懸命に掘り続け胸のあたりまで掘り下げるという超人的な作業をなしとげた。</p>
<p>火は熱く泥土と化した水に、顔を入れたり出したり、赤く焼けたトタン板が飛んできて何人もの人々が死んでいった。その板を頭に乗せて火の粉を防ぐが、すぐ熱くなり、水に浸しては頭に乗せる。これを何十回と繰り返し続けているうちに、誰かが「火は下火になったぞ」とどなっているのが聞えた。しかし、一度、下火になった火勢は再び盛り返し、又も死闘が続いた。</p>
<p> </p>
<p>それから数時間経った頃「万歳、万歳」と喚声が挙りました。周辺は暗く夜になっていた。私達はどうして助かったのか説明は出来ません。濡れねずみの身体を抱き合っていました。やや落ち付きを取り戻してみると、周辺の水溜り以外のところには焼死体が類類としており、焼けてふくれあがった様は人間とは思えない程です。</p>
<p>祖母と母は、煙で目が見えない、幸か不幸か、私だけが目が見えたので、私達は、少しづつ移動して被服廠を出ようとしましたが、途中で半死の状態の人が「水を呉れ、水を呉れ」と私の着物をつかんで離しません。濡れた着物をしぼって泥水を口に当ててあげましたが死んでしまいました。被服廠の廻りの溝にも焼死体が積み重なり見るも無惨の光景でした。</p>
<p> <br />
私は、目の見えない祖母と母を連れて安田庭園に落ち付き、二人の目を冷すため、近くの氷室に氷を取りに行きました。この時の氷は、まさに値千金のものでした。</p>
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		<title>関東大震災　体験談④　群衆の頭上をなめる火</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/147</link>
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		<pubDate>Wed, 10 Mar 2010 06:14:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京都本所区
あの日は蒸風呂のような酷暑であった。私は工場の隅でブランコに乗っていた。突然、左右上下に揺れだして止まらなくなった。
「地震だ、モ－タ－を止めろ」と叫ぶ声が飛んだ。
ミシミシと大きく揺れ、鋭く怒った [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京都本所区</p>
<p>あの日は蒸風呂のような酷暑であった。私は工場の隅でブランコに乗っていた。突然、左右上下に揺れだして止まらなくなった。<span id="more-147"></span></p>
<p>「地震だ、モ－タ－を止めろ」と叫ぶ声が飛んだ。</p>
<p>ミシミシと大きく揺れ、鋭く怒ったように揺れる。棚から物が落ちてくる、電燈のカサが目茶目茶に揺れ天井にぶつかりガラスの破片がすっ飛ぶ。梁と柱が悲鳴をあげて離れそうになる。近くの家の倒れる音が地響きをたて、砂じんが舞い込んでくる。</p>
<p>工場の屋根に大きな物干場があり、父母や兄姉、従業員などが集っていた。父は四方を眺め、火事場の数を見て「ここまでは燃えてこないだろう」と云っていた。父の指図で炊き出しを始め、握り飯を頬張りながら火事の様子を眺めていたが、若宮町の方角で一時衰えていた火勢が急に盛り返し、煙が私達の頭上まで拡がってきてキナ臭い匂いが漂い薄暗くなり、パラパラと燃えかすが落ちてきた。</p>
<p>「被服廠に行こう」と父が云い、足袋を集めさせて一同に履かせた。父の機転で足袋を履いたお蔭で助かったと感謝している。道路が狭く、路地が入り込んでいてなかなか表通りに出られない状態であった。血だらけの負傷者を背負う人、気が狂ったように泣き叫ぶ人、電車が立往生し、架線が垂れ下がり、水道管が破裂して被服廠前は水が溢れ、溝との境が見えない。既に広場は人と荷物でごったがえしていた。荷馬車を引き入れ口論している馬方もいた。</p>
<p>　　　　　　　　<br />
　あたりが急に薄暗くなってきた。四方から煙が空を覆い太陽を隠すように重なり合った時、突然、風が吹き始め忽ち強風となり、渦を巻いて砂じんを吹き付けた。顔や手足が痛い。眼も開けられず、立っても居られず、みな毛布や布団を頭から被った。いつの間にか砂じんが火の粉と変り、忽ち火の渦となり火焔となって人や荷物に燃え移って荒れ狂う。ゴ－ッと火焔が空にのびていくと、大八車や箪笥や人間が舞い上る。馬が人垣のなかで暴れ、火だるまになった人達がバタバタと倒れる。　　</p>
<p>　　　　　　　　　　　　<br />
　私は妹の手を引き、無我夢中でどこをどう歩いたのか記憶がない。妹が熱い熱いと云うので私の上衣を脱ぎ、頭にかぶせると忽ち誰かに奪われてしまった。人波に押されて下敷になる人、無理矢理に押されて火焔のなかに倒される人もいた。幾時間が過ぎて火勢が衰え暗さが増してきたとき、坊やと呼ばれたような気がして、声の方を見ると、母が妹を抱いて立っているのが見えた。</p>
<p>今でもはっきり記憶に残っているが、母の姿が白く浮きでていて他のものは何も見えなかった。私と妹は夢中で死体を踏み越えて駆け寄った。母は「助からないときは、一緒に死のう」と云ったが私はもう大丈夫だと母を慰めた。安全で座れる場所を探そうと安田庭園の近くまで死体を除けながら母の手を引いて歩いたが座る場所がなく、しかたなく３、４人の黒い死体を引っぱって場所をつくった。手が炭を塗ったように黒くなり、あとあとまで気になった。</p>
<p>やがて何処からとなく「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と呟きが聞こえ、その呟きが合唱のように一斉におきてあがった。暗闇が一枚一枚ベ－ルをはがすようにあたりが明るくなるとともに人影が動き始め、「誰誰や－い」と家族を探す声が腹を切ったように始まった</p>
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		<title>三河地震　体験談③　　念仏を唱えながら・・</title>
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		<pubDate>Sat, 20 Feb 2010 13:48:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[三河地震（1945年）]]></category>
		<category><![CDATA[1月13日]]></category>
		<category><![CDATA[三河地震]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：愛知県西尾市
１月１３日の朝夜明け、ドド－ンと言う音がしたような気がしましたが、その時は何もわかりませんでしたが、我に返ってみた時には、もう私達は家の下敷きになっておりました。私達母と子供の何人かで枕を並べて寝て [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：愛知県西尾市</p>
<p>１月１３日の朝夜明け、ドド－ンと言う音がしたような気がしましたが、その時は何もわかりませんでしたが、我に返ってみた時には、もう私達は家の下敷きになっておりました。<span id="more-99"></span>私達母と子供の何人かで枕を並べて寝ていましたが、もう身動きも思うように出来ません。しばらくは、余震がガタガタと揺れる度に、かやぶきの屋根がだんだんと重くなって来るのです。小さい妹達はこわがって、大きな声で泣き出しますし、私達もふるえていました。その時母が「皆お念仏を唱えなさい。きっと仏さんが助けて下さるから」と…　その時ばかりは心からお念仏を唱えました。姉妹皆してしばらくはだまったままでした。私はその時、もう死ぬかと思っていました。</p>
<p>それからしばらくして、外から男の人の声で「今助けてあげるからね」と言って、かやぶきの屋根を鎌で切って一人ずつ出して下さいました。その時の嬉しかった事は一生忘れられません。</p>
<p> <br />
出してもらって見れば、横屋も物置も全部倒れてしまっていました。横屋に寝ておられた義姉さんはと聞けば、まだ倒れた家の中に入っておられるとのこと。一緒に寝ていた姪二人は、そのままの所で寝ていて助かっており、義姉は下の男の子を抱いて座敷の方へ出られたばっかりに、自分は頭にひどい傷を負い、抱いていた子供は落ちてきたハリにはさまって、二度ほど「母ちゃん、母ちゃん」と呼んだそうですが、それっきり声も出なくなりました。</p>
<p>いっしょに寝ていた姪達が、倒れた屋根の上で泣いている声を聞いて、おばあさんやお母さんが皆下敷きになって死んでしまうから早く助けに来て下さるように頼んできてと言われ、姪達は前の家へ行き助けをもとめて来てくれたそうです。義姉は自分は何とか楽な所にいるから、母屋の母達をと言われたとのこと。それで私達を先に出しに来て下さいました。</p>
<p> <br />
そして、夜がしらじら明けてきた頃、義姉さんは助けてもらい、出て来られた時は、頭から流れ出た血が白い寝巻きにべっとり着いて、おばけのようでした。一言「みっちゃんは死んでしまった」と言って泣かれました。</p>
<p> <br />
その夜から、何とか寒さをしのぐだけのわら小屋を近所の人達が手伝って作ってくださって、そこでの生活が始まりました。寒い時ですので、土の上にわらを厚くしいてその上にむしろをしき、今で思うと一寸考えられないようです。ぎ姉は、亡くなった子供と最後の一晩をと言って、いっしょに布団の中で抱いて寝かせて、通夜だと言っておられました。</p>
<p> <br />
私達の近所が一番ひどかったのです。寝ていたままで亡くなられた人や、縁側まで出て亡くなられた人達が六人もみえて、合同の葬式を村の人達がして下さいました。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>三河地震　被災体験②　家の下敷きに</title>
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		<pubDate>Sun, 14 Feb 2010 13:42:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[三河地震（1945年）]]></category>
		<category><![CDATA[のこぎり]]></category>
		<category><![CDATA[三河地震]]></category>
		<category><![CDATA[下敷き]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[被災]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：愛知県西尾市
「ズシン」と物すごくつき上げられるようなショックを体に感じ、そのままころげ出るように次の間へ。足がもつれ、倒れた母を夢中で助けおこしかけた時、「アア-ﾂ」おどろきおびえた母の声。電気か、稲妻か。一瞬 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：愛知県西尾市</p>
<p>「ズシン」と物すごくつき上げられるようなショックを体に感じ、そのままころげ出るように次の間へ。足がもつれ、倒れた母を夢中で助けおこしかけた時、「アア-ﾂ」おどろきおびえた母の声。電気か、稲妻か。一瞬の光に家がむざんにねじれ、建具もろとも大きく傾く様子が見えた。<span id="more-96"></span></p>
<p>ふと気が付いたら、体が全然動かない。家が倒れ、その下敷きになったのだ。どちらからともなく言葉だけで安否を確かめ合った。２人共動けないが命だけは助かった。わずかに動く両手で、方々なで回し、何とかならないかと力を入れてみた。もちろんビクッともしない。指先が火鉢にふれた。ああここは台所だなと思った。夜中のことで火の気の心配は全くない。右足の上に右肩と体を前に折り曲げた上、背から肩にかけ梁、体の線から少し左にそれた左足は鴨居にそれぞれはさまれていた。今一歩左に寄れば、鴨居をまともに受け、命は無かったそうだ。</p>
<p> <br />
ビリッとわずかに感じる程度から、かなりの余震まで何度か度重なるうち、いつの間にか右耳をむしろにおしつけられたまま、首も廻らなくなり、肩の梁はますます重くのしかかってきた。胸と腹を強くおされて居るので、次第に呼吸が苦しくなってきた。</p>
<p> <br />
「久子や久子やあ-、久子」前の方で、勘一さんのおばあさんの声が、二声三声聞こえただけ。外は以外に静か。「どの家も倒れ、皆んな下敷きになってしまったのだ」そんなような話をとぎれがちにしていた。そうだとすると、だれも来てはくれないだろう。人の身体はどれだけ重みに耐えるだろう。徐々にだから良いものの大きな余震が来て、何かのはずみで一気に重みが加わったら？国のためならいざ知らず、こんな事でと思うと残念で情けなかった。</p>
<p> <br />
どの位時間がたったか、兄の呼ぶ声がした。返事をしても、色々な物が上に乗っているので、どの辺に居るのか見当をつけるのに少なからず手間取ったようだ。瓦から屋根板を取り払い、二階板をはがす頃から、横向きの顔の上にかべつちやほこりがふりかかる。ただでさえ苦しい呼吸をじっとがまんした。細い木や板切れとちがい、肩の梁は大きな棒などでこじてもどうにもならなかった。かえって反動で思わずうめき声が出てしまう。<br />
間もなく、他家に貸してあったのこぎりが返ってきた。梁は切られ、取りのぞかれたおを感じた。</p>
<p> <br />
人の話し声は、はっきりわかるのだが、全身おぼえが無く、一人で起き上がることはもちろん出来なかった。だき起こされ、うしろの木にもたれかかり、初めて胸一杯呼吸した。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>三河地震　体験談①　繰り返す余震の恐怖</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 13:37:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[三河地震（1945年）]]></category>
		<category><![CDATA[三河地震]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[家具]]></category>
		<category><![CDATA[昭和２０年]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：愛知県西尾市
昭和２０年１月１３日未明、小学校４年の子供を頭に、４人の子供達と一緒の部屋に寝ていた私達は、そのすさまじい振動に「地震よ、みんな外へ出て」と絶叫して、誰が先ともなく飛び出した。
棚から物が落ちるどこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：愛知県西尾市</p>
<p>昭和２０年１月１３日未明、小学校４年の子供を頭に、４人の子供達と一緒の部屋に寝ていた私達は、そのすさまじい振動に「地震よ、みんな外へ出て」と絶叫して、誰が先ともなく飛び出した。<span id="more-91"></span><br />
棚から物が落ちるどころか、真っ暗な部屋の中は、家具のひっくり返る音、割れる音、何もかもが一緒になって、私達の上へこわれかかってくる感じだった。きしんで開かない縁側の雨戸を、夫はけたくって破った。なだれのようにそのあとへつづいて、私達親子は、暗闇の厳寒の中へ寝巻きのまま、とも角逃れることが出来た。しかし５歳になる次男がいない。３男はまだ赤ん坊だったので、無意識のうちに抱いていた。<br />
ひっきりなしに余震が来た。夫はその中を２度３度家の中へ飛び込み、次男を連れ出したり、手に当る程度の布団を持ち出したりした。世の明けるまでを表庭ですごすために、ワラ屑を山と積み、体をくっつけ合って温みをとった。<br />
幸い怪我人はなかったが、しらじらと夜が明け始めてみると、何という我が家の無惨さ、倒れる寸前にまでひさしが傾いて、唐紙も障子もその大部分は縦に引き裂け、家具のあらゆるものは落ちて散らかっている。こまいは外れ、大方の壁は落ちかかり、真冬の風がヒュ－ヒュ－と家の中まで吹きこんできた。<br />
古木を集め、ワラを運んでいると、志籠谷の親戚の娘さんが飛び込んできた。<br />
「私んとこのお父っちゃんが、家の下敷きになって死んでしまった！」おそらく自転車できたのだろう。防空帽を被って、半てん着て、庭に立ったままボロボロと大粒な涙が先に落ちた。<br />
それは大変だ。夫はすぐに出掛けようとしたが、それよりも早く、また２人の男の人が来て、夫の妹が子供を抱いたまま下敷きになってしまった、すぐに来てくれという。私達の村より低い福地の方の村から、次々と死者の報せが入った</p>
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		<title>新潟中越地震　体験談３　全国からの励まし</title>
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		<pubDate>Sun, 24 Jan 2010 07:48:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[新潟県中越地震（2004年）]]></category>
		<category><![CDATA[ボランティア]]></category>
		<category><![CDATA[ライフライン]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
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		<category><![CDATA[新潟中越地震]]></category>
		<category><![CDATA[新潟県中越地震]]></category>
		<category><![CDATA[避難所]]></category>
		<category><![CDATA[震度6]]></category>

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		<description><![CDATA[被災場所：機内（新潟上級）
10月23日最初の大きな地震のあった時、私は大阪の学会からの帰りの飛行機の中にいました。もうすぐ新潟空港に着陸という時に機内放送で中越を中心とした震度６強の地震があり着陸ができないと案内があり [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災場所：機内（新潟上級）</p>
<p>10月23日最初の大きな地震のあった時、私は大阪の学会からの帰りの飛行機の中にいました。もうすぐ新潟空港に着陸という時に機内放送で中越を中心とした震度６強の地震があり着陸ができないと案内があり、新潟市上空を１時間ほど旋回を繰り返し、待たされました。<span id="more-189"></span>機内でのラジオ放送で大変なことになっていると知り、家族のことが心配で気が気ではありませんでした。</p>
<p> </p>
<p>それでもようやく着陸でき、何とか新潟駅までは行くことができましたが、そこから先、住居のある長岡市まで、新幹線、在来線、高速道路、あげくは一般国道まですべて遮断され、なすすべがありませんでした。家族に連絡をとりたくても携帯電話、公衆電話もパンク状態で何十回いや何百回かけたでしょうか。全くつながりません。いらだたしさとせつなさ、そしてわびしさがつのるばかりでした。二度とあんな思いはしたくありません。</p>
<p> </p>
<p>駅前で２、３時間したころ幸運にも県内にいる身内から携帯に連絡が入り、車で迎えにきてもらえることになりました。その車で長岡に向かいましたが、一般国道は通行止めということで、通れそうな裏道をさがしながら普段の道のりなら１時間のところ３時間以上もかかりました。長岡に近づくにつれて道は陥没や亀裂がひどくなっていき、停電で街灯や信号機もすべてストップしており、自分の家の付近まできたころは、電柱はたおれているは、マンホールは飛び出しているはで、大変なことがおきたことを実感しました。</p>
<p> </p>
<p>それでも夜中にようやく自宅に辿り着き家族が避難所に行っていることを知り、ようやく避難所で家族に会うことができました。全身から力が抜けるくらい安堵したのを鮮明に覚えています。翌日、夜明けと同時に自宅いってみましたが、それはもう言葉には言い表せないほど、酷いものでした。部屋の中はズタズタ・メチャメチャで割れたガラスと家具などで足の踏み場もないありさまでした。しかし、幸いにも家族が全員無事で怪我もなかったことを良しとして、必死に後片付けをしました。</p>
<p>長岡市や小千谷市を中心とした中越地区の被害状況が徐々に明らかになってくると、私の家はまだ被害の少ない良いほうなんだということがわかりました。周辺をみても倒壊した家や半壊の家がいくつもありました。　ライフラインがダメだったことと、強い余震のため私たち家族は５日間ほど避難所で過ごしざるをえませんでした。これも二度と体験したくないほど悲惨な経験でした。</p>
<p> </p>
<p>食べ物の配給は極くわずかでしたし、風呂にも入れない、そしてなによりも寒かったです。本当につらい毎日でした。私たち家族は５日間ほどでしたが、２週間以上経った今でも避難所でつらい生活を強いられている人がまだまだ沢山います。その方々の身体と精神的な面が非常に心配です。</p>
<p>しかし、今回の地震というつらい試練の中で一つだけすばらしいと感激したことがあります。それは全国各地からの支援してくださる方々です。地震のあった翌日か翌々日には兵庫ナンバーや茨城、福島ナンバーなど数多くの他県の災害支援車がかけつけてくれて、ライフラインの復旧に全力をあげて取り組んでくれていました。石川県からの看護師さんも見かけました。全国各地からの多くのボランティアの方々が「がんばろう新潟」のワッペンを胸に一生懸命支援してくださる姿をあちこちで見ました。励ましの電話やメールもたくさんいただきました。本当に心が熱くなる思いでした。我々がどれだけ救われたことか…。</p>
<p> </p>
<p>私たちの本当の戦いはこれからです。全国のみなさんからのあたたかい支援を励みとしてがんばっていきたいと思います。</p>
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