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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; ラジオ</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>新潟中越地震　体験談１　水害、台風、そして地震</title>
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		<pubDate>Thu, 07 Jan 2010 07:53:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[新潟県中越地震（2004年）]]></category>
		<category><![CDATA[ラジオ]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：新潟県小国町
１０月２３日
午後5時過ぎ、あたりは日暮れて家族は夕飯の準備が整った。長岡に嫁いだ娘は明日ケアマネージャーの試験、会場まで送ってゆくことになっていた。１歳の誕生日を来月14日に控えた孫を連れて実家へ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：新潟県小国町</p>
<p><strong>１０月２３日</strong></p>
<p>午後5時過ぎ、あたりは日暮れて家族は夕飯の準備が整った。長岡に嫁いだ娘は明日ケアマネージャーの試験、会場まで送ってゆくことになっていた。１歳の誕生日を来月14日に控えた孫を連れて実家へ来ていた。明日は妻が孫の子守役である。<span id="more-191"></span><br />
　</p>
<p>その時、突然激しい地震、一瞬プロパンガスが止まった。「ガスを止めました」のメッセージが流れる。一瞬孫が泣いた。娘が毛布で孫を抱いて外へ飛び出す。玄関の棚の花瓶がすさまじい音を立てて割れた。4人して家を飛び出す。前の床屋さんとお隣さんも出ていた。</p>
<p> </p>
<p>そこへ2回目の余震、これもひどい。電柱に寄りかかる。声も出ない。いまだに経験したことない大きな地震。一体どういう地震だ。どこが震源地か。少しおさまってから家の中からラジオつき懐中電灯を持ってきた。ラジオは小千谷の様子を伝えている。</p>
<p> </p>
<p>車を車庫からだし、そこに娘と孫が入る、「娘と孫を守ってくれ」といいながら、救護施設へあわてて出かける。こんな災害に一生に一度遭うことがあるなんて、今年は、水害、台風、地震と災害続きだ。なぜこんな災害がたびたび起こるのだろうか。布団を取りに家に入るが、出る時なんともなかった玄関のゲタ箱が倒れ、物が散らばって足の踏み場もない。</p>
<p> <br />
　役員が呼びに来て、車で集会所前に集まる。大勢集落の人が集まって炊き出しの準備に入る。ラジオでは死者が刻々と増えている。信じられない。夜が明けるともっと被害は広がるだろう。楢沢集会所は基礎が10センチも西に動き、床板がもり上がっている。</p>
<p> <br />
　車庫に泊っていたバス2台を総代が頼み込んで避難所に借りうける。ここに老人や子供を入ってもらう。ヒーターをつけ放しで車内は暖かい。10時頃、娘婿が長岡から2時間かかってきて来て、びっくりさせる、娘は喜ぶ、孫も目を覚まし、きゃつきゃと喜ぶ。この無邪気さが救いだ。ケータイは「圏外」で通じない。電話も通じない。電気が切れて、真っ暗。安否情報に地域の人の名が出るが、返事が出来ない。</p>
<p> </p>
<p>集会所の石油ストーブがたかれ、お茶をいただく。長い夜だった。ストーブの周りでまんじりともせず夜を明かす。美しい星空だ。この星空の下で展開されている人間の喧騒を見守っているようだ。それにしても、何百年に一度に大地震をなぜ経験しなければならないのか。しきりに溜息が出る。</p>
<p> </p>
<p>町の五十嵐助役来て、防災無線が通じなくて小国の被害状況はマスコミで伝えられないという。生涯の内にこんな災害が来るとは、誰が予想していたか。阪神大地震なんか、他人事のように思っていた。孫は風邪を引いてセキするが、一人はしゃいでいてこの子からエネルギーをいただく。</p>
<p>（体験談２に続く）</p>
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		<title>昭和南海地震 体験手記④　人生の中での大きな出来事</title>
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		<pubDate>Thu, 22 Oct 2009 09:05:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和南海地震（1946年）]]></category>
		<category><![CDATA[ラジオ]]></category>
		<category><![CDATA[井戸水]]></category>
		<category><![CDATA[地割れ]]></category>
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		<category><![CDATA[昭和南海地震]]></category>
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		<category><![CDATA[水]]></category>
		<category><![CDATA[貴重品]]></category>
		<category><![CDATA[身の回り品]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：徳島市南沖洲五丁目
あの頃の私は親から離れて大和町の親戚に下宿していました。木造二階建ての一階に寝ていたとき、二階で寝ていた従兄弟の「地震じゃぁ～」の声で目が覚めました。そのとき、近所の小６の女の子が泊まりに来て [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：徳島市南沖洲五丁目</p>
<p>あの頃の私は親から離れて大和町の親戚に下宿していました。木造二階建ての一階に寝ていたとき、二階で寝ていた従兄弟の「地震じゃぁ～」の声で目が覚めました。<span id="more-27"></span>そのとき、近所の小６の女の子が泊まりに来ていたのですが、二人でギイギイという音と大きな揺れで「いや～ブランコに乗っとうみたい～」と言いながら、そのまま横になったまま揺れが止まるまで布団を被っていました。</p>
<p>揺れるのが収まってから起きたら、二階の部屋に置いてあった花瓶が倒れて出た水と壁土が混ざってドロドロになった物が、布団の上にたくさん落ちていました。それを見て地震の大きさを改めて感じました。揺れで歪んだ窓から外を見ると、真っ黒な雲が空一面に覆い被さり不気味な感じがしたのを今でもはっきり覚えています。<br />
　両親は住吉に住んでいたのですが私のことを心配して、父がやって来て「親戚の家屋は古いから余震で壊れたら危ない」と言って、泊まっていた女の子の家が木工所だったのですが、そこへ連れて行ってくれました。木工所では地割れ対策としてみんなで木を組み合わせて、その上に座って明るくなるまで待ちました。<br />
　幸いにも地割れは無く近所でも壊れた家も無く、壁が落ちたり戸が開き難くなった程度で大きな被害はありませんでした。父のいた住吉のご近所の方達は、井戸水が一度無くなってまた増えたのを見て津波が来ると感じ城山に逃げたそうです。大和町では津波の被害はありませんでした。</p>
<p>少し前までの戦争で戦火の中を逃げ回っていた恐さを思うと、それほどの恐怖はありませんでしたが人生の中での大きな二つの出来事の教訓として私は今でも寝ている枕元に、ラジオ、懐中電灯、水、貴重品等を入れた袋を置いて寝ています。<br />
　近い将来またこのような大きな地震が起こるかも知れないと言われています。体験した者として最小限の身の回り品を常日頃傍に置いて、揺れたらとりあえず押し入れの中、机の下などに隠れて揺れが収まるまで待ち、後は情報を早くキャッチして機敏に行動するのが一番であると考えております。</p>
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