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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; ★阪神淡路大震災（1995年）</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>阪神淡路大震災　体験記③　紙のマンション</title>
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		<pubDate>Tue, 17 Nov 2009 14:45:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[★阪神淡路大震災（1995年）]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：神戸市（高校２年　男子）
阪神大震災から、もう５年が経とうとしています。けれども、僕はあの日のことをはっきりと覚えています。僕は震災の時はまだ小学校６年生で、姉は今の僕と同じ高校２年生でした。新居に引っ越してまだ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：神戸市（高校２年　男子）</p>
<p>阪神大震災から、もう５年が経とうとしています。けれども、僕はあの日のことをはっきりと覚えています。僕は震災の時はまだ小学校６年生で、姉は今の僕と同じ高校２年生でした。新居に引っ越してまだ１カ月目のことでした。やっと荷物を片付けたばかりで、机もベッドもピカピカでした。<span id="more-122"></span></p>
<p>僕はその当時まだ姉と２人部屋で、二段ベッドの上段の方に寝ていました。あの日はなぜか、嫌な予感がしていて、朝早く４時ぐらいから起きていました。けれどもベッドから降りていっては、姉の目が覚めて迷惑がかかるので、ベッドで横になっていました。</p>
<p>すると５時４６分、「ゴー」っとものすごい地響きとともに、ものすごい上下の揺れを感じました。家が崩れたのではないかと思いました。<br />
食器の割れる音、母の叫び声がとても恐ろしくて僕は布団にくるまっていました。そしてベッドの下段にいる姉のことがとても心配でした。ただ二段ベッドが壊れないことだけを願っていました。そしてだんだんと揺れがおさまってきました。</p>
<p>母が子供部屋に駆け込んで来ました。すごく僕達のことを心配してくれていました。姉も父も僕も、みんな大丈夫でした。</p>
<p> しかし、母は僕達の部屋に来る時に、割れた食器の上を素足で通って来たせいで、足の裏を切ってしまいました。それに、電気がついてから初めて分かったのですが、母の足には、青いあざがたくさんありました。よく見ると、たんすの跡がくっきりとついていました。母の部屋には、父でも一人では持ち上げられないとても大きな和箪笥があり、母はそれの下敷きになっていたのですが、僕達が心配で、それを押しのけて来たようで、大変驚きました。</p>
<p>その後テレビの報道を見て初めて地震の状況が分かり、交通機関もすべて動かない事が分かりました。そして父から「哲史、水を買ってこい」と言われました。母は危ないから外には出るなと反対しましたが、今後の事態を考えると、どうしても水が必要なのですから、一人で水を買いに行くことにしました。</p>
<p>外に出てとても驚きました。僕の親友のやっちゃんの家の、１階部分がなくなっているのです。けれども、どうしてあげることも出来ませんでした。そしてローソンに行くその途中で何人もの人が、瓦礫の下敷きになり、うめき声が聞こえました。助けられた人もいましたが、無理だった人もいました。こういう状況の中を通り過ぎてローソンにたどり着き、水を１０本買うことができました。<br />
帰り道に、公園にやっちゃんがいました。僕は水を３本あげ「僕の家に来るか」と聞きましたが、首を横に振るだけでした。祖父が死んだショックでしゃべれない様でした。</p>
<p>とりあえず僕は家に帰りました。そしてまた驚きました。改めてマンションの外観を見てみると、ピカピカだったマンションの水道管が折れ、壁には亀裂が入りぼろぼろでした。そして家族で屋上にのぼって西の空を見ると真っ赤になっていました。そして消防車のサイレンの音がけたたましく鳴り響いていました。こんどは神戸に住む祖母が心配になり、電話をしました。しかし電話は、つながりませんでした。その日は部屋を片付けて、余震に怯えながら家族いっしょにリビングで寝ました。その時、心から家族っていいなって思っていました。</p>
<p>次の日、僕は１２時ぐらいまで寝ていました。みんなもう起きて、いろいろ用事をしていました。僕は父と食べ物を買いに行きました。<br />
スーパーはすごい人でした。何軒も行きましたが、無料で水やお菓子をくれる店もあれば、商品はあるのに売ってくれない店もありました。こういう時にこそ、その人の人間性が出るなと思いました。</p>
<p>その日以後、僕は配給物資を取りに行ったり、水をくみに行ったり、街を見に行ったりの日々を過ごしていました。そしていろいろな悲惨な場面を目にしました。鉄筋のマンションがまるで紙で出来ているように曲がっていたり、電柱が折れていたり……。</p>
<p>あの地震で家や食器は壊れてしまったけれども、家族が生きているだけでも良かったです。それに僕は本当に家族のありがたさを思い知らされました。もう二度と、あんな出来事は起こらないで欲しいです。</p>
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		<title>阪神淡路大震災　体験談②　あの大地震でぼくは</title>
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		<pubDate>Sun, 15 Nov 2009 14:34:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[★阪神淡路大震災（1995年）]]></category>
		<category><![CDATA[1月17日]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：神戸市中央区（中学２年　男子）
１月１７日５時４６分、ぼくにとって、いや、この阪神一円に住んでいる人にとって、一生忘れられない、あのかつてない大地震が熟睡していたぼくたちを直撃した瞬間だった。
あの瞬間ぼくは、パ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：神戸市中央区（中学２年　男子）</p>
<p>１月１７日５時４６分、ぼくにとって、いや、この阪神一円に住んでいる人にとって、一生忘れられない、あのかつてない大地震が熟睡していたぼくたちを直撃した瞬間だった。<span id="more-120"></span></p>
<p>あの瞬間ぼくは、パッと目が覚めた。家中の窓や障子、ふすまが破れんばかりの音を出している中で、そして次の瞬間、ぼくが寝ていたベッドがまるで荒れくるった波の中でただひたすら流れにまかせる小舟のように激しく揺れ出した。蛍光灯やグラス、食器が「バリバリ」と、とにかくすごい音を出しながら強く地面に打ちつけられ、水槽もあまりの揺れでサイドボードからとび出し、棚と衝突したらしくガラスが割れ、中にいる十数ひきの金魚や鯉が音を立てながら必死に跳ねていた。</p>
<p>突然のできごとに、普段から地震の時は、座布団でもなんでもいいから頭だけは守れと言われてきたが、ぼくは身動きひとつできずに、ただ呆然とベッドに横たわっていた。揺れが一段おさまってから、ぼくはパジャマのままで、裸足でガラスや金魚があるかどうかもわからないまま、妹と両親の部屋に行こうとひたすら思っていて、まさに理性を失ったパニック状態だった。地面は水槽の水でぬれていて、冷たかった。両親と会ってからも眼鏡がないとほとんど見えないので、両親に「眼鏡を捜して」とばかり言っていた。</p>
<p>この時、一番落ち着いていたのは父さんでした。父さんはまず、ガラスが割れているのでスリッパがないと危ないと言った。それから懐中電灯と眼鏡だ。そして、スリッパをはいて、母さんは懐中電灯を探し出したが、ガラスで少し足を切った。ぼくも父さんに「さっき裸足で歩いていたから、足切ってないか」ときかれたが、幸い足の裏は奇跡的に無傷で、母さんと同じくすねを少し切ったぐらいですんだ。</p>
<p> </p>
<p>しかし、なぜか妹がいない。母さんが声をかけると、妹はタンスが倒れて、身動きができないが、幸い怪我はなかった。眼鏡は確かケースに入れてなかった。半ばあきらめていたが、こっちも奇跡的に無傷だった。</p>
<p>６時ぐらいになると、ようやくお日様はいつもどおりのぼってきた。家の中はめちゃくちゃだった。重そうに見えたタンスやサイドボード、テーブルなどは倒れているのもあれば１０数センチも動いたのもあった。１回も使ったことのない食器やグラスなどが棚から落ち２センチぐらい積もっていた。本とかも本棚から落ち、散乱していた。台所は調味料がおちていたもののごま油以外は割れなかった。</p>
<p>午後５時ぐらいには電気が来た。電子レンジや電気炊飯器は棚から落ちたが、幸い　こわれていなかったおかげで温かいご飯とおかずを食べることができた。テレビも見ることができて、本当に心強かった。夜中に隣の棟のポートビレッジに火事が起こったが、すぐに消してもらえた。こうして、ぼくの１月１７日は終わった。</p>
<p>あの日から５７日の今日３月１５日までに、ぼくは、この地震がなかったら、体験できないいろんなことを体験してきた。</p>
<p>まず、この阪神大震災によって、父さんを尊敬できた。こんな大地震でも落ち着いていて、そして、揺れがおさまった後すぐに浴槽に半分ぐらい水をためたおかげで、どれだけ、助かっただろうか。ふだんは、頑固で、あんまりぼくや妹をかまわないが、初めて、父さんはたよりになるなあ、と思った。</p>
<p>そして、何時間も並んでやっともらえた食料品、このポートアイランドを歩き回っての水探し、水運び、三宮から５キロの米をかついでかえった買い出しで、水のありがたさや食べ物の貴重さが身にしみるほど分かった。</p>
<p>ぼくが２年間ぐらい飼ってきた金魚は半分以上死んだ。犬みたいに人になついたり、遊んだりすることはできないが、なにか家族のようなきずなでつながっていたと思う。水がなくて死んだ金魚もいれば、暗い時に家族にふまれたり、重い物につぶされたりで、無残な遺体を見た時には、涙がでるぐらい、心が引きさかれた。</p>
<p>この阪神大震災によって一番大切に思ったものは何かと聞かれると、ぼくは絶対「家族」と答える。トイレが使えなくて、仮設トイレで仕方なく用をすますのは、むちゃくちゃつらいけど、ぼくがこの体験記を書くため、わざわざ夜中の１時半まで待ってくれた母さんがいなければ、ぼくもここまでがんばれなかったと思う。最後に、ありがとう、お母さん。</p>
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		<title>阪神淡路大震災　体験談①　生きている日を大切に</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 14:28:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[★阪神淡路大震災（1995年）]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：神戸市東灘区　（高校１年女子）
あの瞬間は、本当に何が何んだかわかりませんでした。死にたくないと、思い切り叫びました。ガラスが割れて、本棚が倒れてきました。お母さんの声が聞こえて、それっきり静かになりました。お母 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：神戸市東灘区　（高校１年女子）</p>
<p>あの瞬間は、本当に何が何んだかわかりませんでした。死にたくないと、思い切り叫びました。ガラスが割れて、本棚が倒れてきました。<span id="more-118"></span>お母さんの声が聞こえて、それっきり静かになりました。お母さんは、すぐに私の部屋の入り口まできました。私は自力で本棚を抜け出して、お母さん達と一緒に外へ出ました。</p>
<p>近所の人達は、みんなグラウンドでうろたえていました。家の中に埋まったままの人もいて、男の人達は何とか掘り出そうと必死でした。私は、何も出来ない自分をさびしく思いました。私には、それだけの力はありません。私やお母さん達は家の中を片付けに入りました。</p>
<p>あっという間に夕方になりました。熱いみそ汁を飲みました。空っぽの胃の中に広がるみその味は格別でした。６時になると、みんなは集会所へ入りました。それからは１０分、２０分がなかなか過ぎなくて、私は近所の幼友達二人とずっと歌っていました。</p>
<p>懐中電灯は電池がなくなるといけないので、消したままでした。日中働き詰めた大人の人達は、みんな先に眠ってしまいました。私は怖かったけれど、友達と笑っているうちに少し気持ちが明るくなりました。</p>
<p>次の日の明け方、突然避難勧告が出ました。私達は、毛布をまとって、山の方向を向いて歩きました。やっと辿り着いた所は、野寄公園でした。私は熱が出て、幼友達と一緒に毛布にくるまって寝ていました。公園に身体を横たえるなんて初めてでした。</p>
<p>私は、名前も何も持たない人間になったように感じました。足先が氷のように冷たくて、靴を脱いでマフラー等を巻き付けました。<br />
私達がそうしている間に、お母さん達や他の大人は、風よけ程度のテントを作ってくれました。私と友達は、その中で一日中何も出来ませんでした。</p>
<p>サイレンの音が、ずっと聞こえていました。耳が痛くて、怖くて、聞きたくありませんでした。早く普通の暮らしに戻りたいと思いました。<br />
食料はアンパン等でしたが、数が足りませんでした。私はアンパンが少しの間食べられなくて、ポケットに入れておきました。</p>
<p>夜になって、私は自分の家族や、友達の家族と一緒に、一晩中火の傍にいました。ポケットに入れておいたアンパンを食べると、石けんの味がしました。ポケットに石けんを入れていたからです。私は、みんなが生きていてくれて、本当に幸せです。自分を支えてくれる家族や友達がいるから、落ち込まずに頑張れるのだと思います。</p>
<p>それから数日後、私達は元の家へ帰っていました。水もガスも出ませんでしたが、電気だけはつきました。私は真っ黒な夜が怖かったので、飛び上がる程うれしかったです。洗たく物がたまってきたら、住吉川へいきました。冷たい水に足を浸すと、血管がズキズキして凍りつきそうでした。でもその日は天気が良くて、仕事に慣れてくると楽しくなりました。</p>
<p>水運びも、お風呂で何時間も並ぶことも嫌でなくなりました。私は生きているから、地震で亡くなった人達とは比べられない程幸せです。私の同級生も、３人死んでしまいました。そのうち２人は私の友達でした。私は今でも実感が湧きません。どうして今まで生きて、一緒に勉強して、やっと高校生になれたのに、何のために悩んで苦しんで受験を受けたのでしょうか。仲良くなって、その人を好きになっても、別れなくてはいけないのなら、どうして友達になったのでしょうか。</p>
<p>私はこれからも生きてゆくことができます。生きて、自分次第で精一杯人生を満喫できます。死ぬことは本当に怖いけれど、生きていれば、どんなことでも切り抜けてゆけると思います。</p>
<p>せっかく自分として生まれてきたのだから、いじけてばかりではつまらないとおもいます。わり込みをしたり、働かずに避難所巡りをしたり、お互いにいがみ合ったり、そういうことはいじけたつまらないことだと思います。人間の姿は、こんな時にさらけ出されてしまうのだと思います。</p>
<p>そんな人のいる半面、雨の日、傘もささずに歩いていた私に、自分の身につけていた傘と手袋をくれた人もいました。</p>
<p>私は、人間は醜い欲望の塊ではないのだと思い、感動で胸がいっぱいになりました。私はあの人を見習って、一生懸命生きてゆく中でも、他人を思いやることのできる人間になれるように努力していきたいです。そしてできる限り明るく、今を大切に生きていきたいです。</p>
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