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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 関東大震災（1923年）</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>関東大地震　経験談９　阿鼻叫喚の世界</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Apr 2010 07:23:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京　本所区
関東大震災当時私は９才、本所区立中和小学校４年生でした。あの日の事は生涯忘れられず、まるで昨日のことの様に恐怖がよみがえってきます。
　９月１日、父は朝から旅行に出かけました。その出かけに、なにか太 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　本所区</p>
<p>関東大震災当時私は９才、本所区立中和小学校４年生でした。あの日の事は生涯忘れられず、まるで昨日のことの様に恐怖がよみがえってきます。<span id="more-176"></span><br />
　９月１日、父は朝から旅行に出かけました。その出かけに、なにか太陽のまわりが黒ずんだ異様な色をしていたと申しておりました。</p>
<p> <br />
　当日私は始業式の後、夏休みの臨海学校の荷物を受取っていたため帰宅が遅れ、母が私と昼食を共にするため待っていました。忘れもしません、その時のおかずはほうれん草のおしたし、いかと焼豆腐の煮つけでした。お腹をすかした２人が箸をとった瞬間、地下がズンズンと響き、たてに大きく揺れたかと思うと、ガラガラ、もう揺れるなんてものではありません。庭の地面が地響きをたて、地割れし、石灯篭が倒れ、棚のものは勿論、壁、襖、ガラス戸、何も彼もくずれ落ちて差塵をたてています。</p>
<p> </p>
<p>やっとの思いで隣の八畳間の座卓の下に母と一緒にころがり込む様に入り、法華宗でもないのに夢中で、題目を唱えて地震の静まるのを待ちました。ずい分長い間揺れている様でした。とてもガス栓を閉めたり、火を消す状態ではありませんでした。</p>
<p> <br />
　やがて揺れがいくらかおさまったので、外へ出ようとしましたが、家の中は目茶目茶、足の踏場もありません。それに余震が絶えずきますので、とても恐ろしく生きた心地ではありません。店の方は鉄材が散乱し、外へ出られません。いち早く外へ飛び出した店員達が私達を見ますと抱え出してくれました。誰れの顔も蒼白で恐ろしさにおののいております。外は電線がたれさがり、あちらこちら大きな地割れで地震の凄さを物語っておりました。向い側の間口の大きい大石酒店さんの家はぺちゃんこにつぶれ、並びの金物屋さんのおばちゃんが、つぶされた家の中にいると家人が騒いでいました。</p>
<p> <br />
　やがて、あちこちで煙が立ち始め、ここに居ては危険だと皆で相談の結果、私達は本所被服廠跡に避難することとなりました。母が古足袋を家の中から見付けてきて皆に足袋をはかせてくれました。今にして思えば赤いベッチンの冬足袋が私の生命を救ってくれたと思います。</p>
<p> <br />
　私達は、背中に小さな風呂敷包みだけを背負い被服廠跡まで歩いていきました。途中、大八車に沢山の荷物を積んだ避難民で歩けないぐらいでした。被服廠跡にたどりつき、私達は荷物がないので奥の方に入りひとまずゴザを敷いて休んでおりましたが、やがて火の手がだんだんと近づき荷物に火がつきはじめ、もうそこにはいられなくなりました。火の勢いと一緒に何か遠くで花火の様な音がポンポンと絶えず聞こえました。</p>
<p> </p>
<p>そのうち強い風が吹き竜巻となり大きな荷物が飛び散り、炎に追われた人達の髪に火がつきぼうぼう燃え、着物に火がついても消す閑もなく力かぎり逃げまどいました。荷物と人がごろごろ倒れている炎の中をしっかり母の手に握られ、幾度も人波につぶされた私は気を失ったそうです。</p>
<p> </p>
<p>どの位い逃げ回ったでしょうか、気がついたときは私は母のひざでうつらうつらしておりました。多分夜中頃だったでしょう。あたりは助かった人達が大勢いましたが、火傷を負った人達のうめき声「水をくれ」「苦しい」「助けてくれ」と阿鼻叫喚さながら、地獄とはこの様なことと子供心に思いました。その中に元気な男の人がゴム靴の中に安田庭園の池の水を汲んできて飲ませていましたが、その水を飲むとぴくぴくとけいれんをして死んで行くのを幾人も見ました。悪夢の様な一日がやっと明け、私達のまわりは死人がごろごろ横たわり見渡すかぎり焼けこげた荷物と死者が山の様でした。</p>
<p> <br />
　近くの製氷会社から氷を貰ったので、私は小さな子供の焼死体を見ると口に氷を入れて歩きました。中には未だ呼吸があるのか口をぴくぴく動かしている子があり、思い出しても涙があふれてきます。</p>
<p> <br />
　ぼんやり母と二人で地面に座っていますと乞食の様になった我家の女中さんが大声で泣きながらとびついてきました。彼女もたいした火傷もせず助かったのです。又しばらくすると、谷さんの奥さんが両手に連れていた子供を亡くしたと、泣きながら私達の許へ来ました。背中の赤ちゃんは火傷で声も出ない程ですが、どうすることも出来ず、皆抱き合って泣きました。やがて私達は被服廠跡を出て千葉方向へとぼそぼそ歩き出しました。</p>
<p> <br />
　途中ビルの窓から首を出してそのまま黒こげになっている人、赤ちゃんをかばう様に抱きかかえて死んでいる人、もうきりがありません。馬もずいぶん死んでいました。しばらく歩いて行くと焼跡で五六人の男の人が炊き出しをしていました。女中さんがボロボロの前掛けの中に入れて貰ってきました。私達はよごれた手で一つかみづつむさぼり口にほおばりました。何しろ１日の昼から何も食べていませんでした。</p>
<p> </p>
<p> <br />
　母は顔と背中に大火傷をして、まるでお岩さんの様でした。私達の背中の小さい荷物はどこへやら、着物はぼろぼろ、髪の中はじゃりじゃりでした。</p>
<p> <br />
　私達は放心した様にそれでも荒川放水路の鉄橋まで来ました。雨がしとしとと降ってきて川の水は地震の後か茶色くよどみ、水かさも増しうづを巻いて流れております。橋の真中にやっと一人渡れる位の板があり、その板にしがみつく様にはえずって長い鉄橋を渡ったのがとても恐ろしかったと覚えております。</p>
<p> </p>
<p>途中、小岩あたりで畑の中で野宿し、そこから貨物列車に乗せて貰い船橋にたどり着きました。船橋の小学校も避難民でいっぱいでしたが、おにぎりや着物を貰い火傷の手当もしてくださり、やっと人間らしくなりました</p>
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		<title>関東大地震　経験談８　木に引っかかる死体</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Apr 2010 07:13:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
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		<category><![CDATA[関東地震]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京　本所区
当時私ども父母と兄妹３人は工場の従業員２０数人と住んでいた。
私は府立第一高女の二年生で始業式から帰宅、浴衣に着替えてアルバムを見ていた。
突然ゴーﾂという音に何だろうと思って顔をあげた瞬間、ドンと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　本所区</p>
<p>当時私ども父母と兄妹３人は工場の従業員２０数人と住んでいた。<br />
私は府立第一高女の二年生で始業式から帰宅、浴衣に着替えてアルバムを見ていた。</p>
<p><span id="more-174"></span>突然ゴーﾂという音に何だろうと思って顔をあげた瞬間、ドンと突き上がりガタンと落ち、大揺れに揺れて歩こうにも歩けない。畳の上を這うようにまごまごしているうちに、目の前に隣家の屋根瓦が現れた。驚いて外へ出ようと思ったが、思うように動けない。突然私の名を呼びながら父がよろけながら私の手を握った。早く逃げるのだと手を引っ張り、やっと外へ出て驚いた。</p>
<p> </p>
<p>つぶれた家々の屋根瓦の山、もうもうとした土煙りの中を父と私は、外手公園から石原町あたりまで走って来たとき、巡査が被服廠へ逃げろと誘導していたので、みな被服廠跡めがけてかけ出した。もう広場は一杯で、荷物を引いた馬、大八車に満載した畳、家財道具、そのそばでもたれるようにしている怪我人など、不安とあせりで私達は危険ということは全く気付かなかった。</p>
<p> <br />
被服廠跡は火に囲まれ黒煙の中を炎が上がっている。「広いけど大丈夫かしら」と話ながら少しでも落ち着きたいと思っていた。この大量の家財道具に火がついたらどんな惨事になるかなどは夢にも考えていなかった。空は真黒、その中に絵の具で塗ったような真っ赤な大きな太陽が見え何とも不気味な光景、「お母さん達、大丈夫かしら」「大丈夫だよ、大勢いるから皆と一緒に来ているよ」私達もこのまま火は消えるものと信じ込んでいた。と突然ゴーﾂという音と一緒にものすごい風が起こり、アﾂという間に物はみんな飛び散り、火が私達の中に舞い込んできた。</p>
<p> </p>
<p>「お父さんお父さん」と私はころげ廻りながら呼び続け、父の手を求めたが、その時はもう父と離れ父の声は聞こえない。私は声の続くかぎり父の名を呼び続けた。ころんでは起き、起きてはころびして真暗闇の中を走った。折り重なった死体の上も走った。闇と火の二色だけの中を走り廻ったのだ。</p>
<p> </p>
<p>急に気味悪いばかりの静かな所に出た。一方は火で明るく、一方は真暗で何ということなしに暗いほうへと歩いていった。安田邸の池に出た。私は夢中で池の中に飛び込んだが火の粉が顔にふりかかり、その度に頭を水の中に入れて防いだ。「駄目だ駄目だもっと頭を沈めて」と人の声、ああ人がいた、生きている人が。私はその男の人に支えられて初めて涙が溢れた。池の中にはかなりの人が生きていた。ああ、私は生きていたのだ。</p>
<p> <br />
あたりがボーﾂと明るくなって私はこんな光景は恐らく終生めぐり会う事はないだろうと思ったぐらい震えが止まらなかった。木という木は真黒に焼けぼっくいになり、その木の股に焼けただれた死体がまたがっているではないか、身体中の力が抜けてしまった。親切な人のお蔭で隅田川の川ぷちまできたとき初めて浴衣は裂け手足が血だらけなのに気がつき、急に痛みを感じその場に横になってしまった。</p>
<p> </p>
<p>ふと気づくと、何と軍隊にいっている隣の人がいるではないか、命令で救助隊員としてきたそうな、いろいろお世話になって、その後、両乳房が焼けただれた母や全身火傷になり気絶して暁方の雨で気がついたという兄、軽傷の従弟、工場の人達などど再会することが出来て初めて大声あげて泣いた。しかし父の姿はいくら探しても見当たらなかった</p>
]]></content:encoded>
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		<title>関東大地震　体験談⑦　灼熱地獄</title>
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		<pubDate>Wed, 07 Apr 2010 06:44:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
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		<description><![CDATA[被災地：東京浅草
私は当時、紅商伊勢半本店に勤めていた。当日は朝から大雨が降っていた。
浅草の銀行に行き用が済んで帰る途中、
勤め先のあと１００メートル位の所で俄かに地鳴りが起こり、揺れが始まり、やがて電柱は７５度位の角 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京浅草</p>
<p>私は当時、紅商伊勢半本店に勤めていた。当日は朝から大雨が降っていた。<br />
浅草の銀行に行き用が済んで帰る途中、</p>
<p><span id="more-164"></span>勤め先のあと１００メートル位の所で俄かに地鳴りが起こり、揺れが始まり、やがて電柱は７５度位の角度で左右に動き、立っていられず地面に伏した。付近の家屋は見る見るうちに倒壊し始め、瓦や積み上げた薪炭などが落下してくるので道端の下水溝に退避した。地震も少し静まったので店に駆け付けたところ右往左往の大混乱であった。</p>
<p> <br />
　火災は二之橋、吉田町法恩橋通り、浅草蔵前方面の３ケ所だったが、このままでは危険であるので避難することにし何も持たずに家を出た。亀戸、蔵前、本郷方面は火災のため通行出来ない。思案していると誰かが言うことなしに被服廠跡へ行けと声がし、私を含めた会社の人１５名がそこへ入った。この広場は相当な広さで、私達はその中央寄りに集まった。広場の南方向に当時、安田保善商業が建築中で、その建物および足場に津波を恐れた群衆が登り避難していた。広場は、荷車等に家財を満載し運び込む避難者で身動き出来ない状態になった。</p>
<p> <br />
　突然、物凄い竜巻と突風が吹き荒れ始め、家財や人体が中天高く吹き上げられ、人々の泣き叫ぶ声、助けを求める人、経文を唱える人などで大混乱となった。私は傍にあった布団を頭に被り地に伏した瞬間、煙が一面に立ち上がり見る見るうちに、荷物に火が付き、一面火の海と化した。私も立ち上がり、方向も分からず人と共にかけだし、物につまづいて転倒し多くの人に踏みつけられた。人々は行手に安田邸の塀があり、その上には硝子片が植付けられており、乗越えられず全員が焼死した。</p>
<p> <br />
　私は倒れるとともに耳、頭、手足に火傷を負い、呼吸が困難になり思わず寝返りをうち、うつ伏せとなった時、急に呼吸が楽になり同時に冷たい風が吹き付けた。私は生気を取り戻し、地面を５メートル位這ってゆくと水溜まりがあった。夢中でその中に飛び込み、炎が吹き付けるたびに水をかぶり火災を防いでいた。<br />
　</p>
<p>　どの位たったのか。気が付いたときは広場の到るところ死人の山、泣き叫び救いを求める人、経文を唱える人、水をくれと叫ぶ人で騒然としていた。死者の大半は、衣類は焼け黒焦げで性別さえわからずまた妊婦が産気づき、子供が生まれかかり、腹部に裂傷を負い子供が出かかっている人もいた。衣類などはそのままに、窒息して死んだ人も多数いた。</p>
<p>被服廠跡と電車通りの境に巾１メートル、長さ１００メートル位の下水溝には、折り重なって寿司詰めの状態で死んでいた。建築現場の足場に登っていた人達も一瞬の突風に吹き落とされ全員焼死した。若宮町に在った女学校の生徒数十名が避難していたが、全員焼死し、靴と紫のはかまをはいた片足だけが残っていた。このようなことを世に言う灼熱地獄かと思った。</p>
<p>一緒に避難した店の者の生存を確かめるため、大声で名前を呼び歩いたところ、１５名中、９名死に１名の重傷者（翌朝死亡）がわかった。このとき大声で群衆を整理していた人がおり、相生警察書でただ一人生き残った警察官であった。　</p>
<p>朝から何も食べていないので空腹と咽が渇ききっており、隣接地区の製氷会社の倉庫に行き、氷で渇きをしのいでいた</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>関東大震災　体験談⑥　焼けトタンに切られた友</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/158</link>
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		<pubDate>Fri, 26 Mar 2010 06:35:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[体験談]]></category>
		<category><![CDATA[映画館]]></category>
		<category><![CDATA[浅草]]></category>
		<category><![CDATA[避難]]></category>
		<category><![CDATA[関東大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[　被災地：東京浅草
私は当時本所区柳島梅森町に住み、１４歳で精工社に入社しておりました。
その日は休日で朝のうち雨でしたが、午前１０時頃晴れてきた。
友人と一緒に午前１１時頃家を出、浅草で映画を見ていたところ、お昼頃不意 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　被災地：東京浅草</p>
<p>私は当時本所区柳島梅森町に住み、１４歳で精工社に入社しておりました。<br />
その日は休日で朝のうち雨でしたが、午前１０時頃晴れてきた。</p>
<p><span id="more-158"></span>友人と一緒に午前１１時頃家を出、浅草で映画を見ていたところ、お昼頃不意に体が持ち上げられ、左右に激しく傾いたと同時に、頭上から絶叫に似た声が起こって、３階から２、３人の客が落ちて来て、館内は大混乱におちいった。客は総立ちになり、出口へと殺到した。<br />
　</p>
<p>私は友人と人にもまれながらようやく館外に出たが、前は寿司屋横丁で余りの激しい震動で立っていることも出来ず、寿司屋の軒先の柱にしがみついたが、その柱も大きく左右に揺れて、今にも店の建物が倒れかかってくるような恐怖におそわれた。地面に手をついている者もいた。映画館の看板が随所で落下する音があたりに聞こえた。</p>
<p>揺れ方が僅かに衰えたので、柱から手を離し寿司屋横丁を出た。角に建っていた天麩羅屋が倒れ、一人の男が太い材木の下から顔を出し眼球が飛び出て口から下を誑らしており、初めて目にする死者の顔に驚き、どうしてよいかわからなかった。<br />
　</p>
<p> ひょうたん池へ逃げろという人の叫び声で、池の方へ走り出したが足が思うように進まず、ようやく池に来た時、前方の１２階の上方の部分が裂けると右方に倒れて、私達のところへ血だらけの人々が歩いてきた。そのうちに人々と共に観音様の境内に逃げたが、早くも花屋敷の方より火災が起き近づいたので、私は母のいる家へ帰るため吾妻橋を渡り本所の方へと逃げて来たが、途中アゴひもをかけ抜剣した警察官に、被服廠跡へ行けと強く言われたので、午後３時頃被服廠跡へ入りました。</p>
<p>　<br />
　付近の人々は続々と家財を持ち込んで避難してきた。その人達は家財を周囲に立てて、その中にゴザを敷いて寄り集まっていた。避難者の数は時を追うにしたがって激増し、やがて敷地内は人々と家財で身動き出来ぬほどでした。</p>
<p> <br />
　町並が徐々に焼きはらわれて、被服廠跡にも日が迫り、火の粉が一斉に空地に降りかかり始めると、一瞬の間に家財や荷物が音を立てて燃え出した。たちまち空地は大混乱に陥り、炎を避けようと走るが人々の体にぶつかり合い、倒れた者の上に多くの人々がのしかかる。炎は地をはうように走り、人々は衣服を焼かれ倒れる人もいた。その中を右に左に走っていたが、足にふれるのがあるので見ると、焼死体を踏んでおり、体がむれているのか、腹部が破れ内蔵がほとばしっていた。</p>
<p>そのうちに烈風が起こり、大旋風となり、初めのうちはトタンやフトンが舞い上がっていたが、見る間に家財や人も巻き上げられました。当時運送屋が使っていた馬力が馬ごと荷物を積んだまま空高く巻き上げられ、空中でおしつ位の大きさになり木の葉のようにキリキリ舞いして落ちて来た。馬にも火が付きあばれ出し、その車の下になって死んだ人も大勢いた。旋風と竜巻の恐ろしさにただただ驚きました。</p>
<p>私も友人と右と左に逃げ回っていましたが、突然焼けトタンがすさまじい勢いで飛んできた。と同時に、身近で変な音がした。友人が倒れたのだ。そして起こそうとしたが、意外にも友人の頭部が失われているのに気がついた。焼けトタンは、友人の首を鋭利な刃物で切ってしまったようでした。首のない友人の手は、私の手を堅くつつんだまま離さない。</p>
<p>私は必死の思いで友人の指を開き、ようやく離れ逃げだしているうちに、荷物の上に乗りましたが、とたんに中に落ち、そこには５人ほどの人がおり、中の女の人が可哀相だと言って、魔除けと言い迷信でしょうが、赤い腰巻きを私の頭に被せました。その時にその人々の荷物が焼け、私は頭部、顔、左手、左足、腰部に大火傷をしました。なおも逃げているうちに、気が遠くなり何もわからなくなりました。</p>
<p> <br />
　気が付いたときは軍隊の担架に乗せられており、亀戸第一小学校に運ばれていました。当時の衛生状態と暑さのために、火傷のところからうじが湧き、それは苦しい思いでしたが、命を取りとめ生存しました。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>関東大震災　体験談⑤　泥水そしてトタン板</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Mar 2010 06:28:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[倒壊]]></category>
		<category><![CDATA[地鳴り]]></category>
		<category><![CDATA[竜巻]]></category>
		<category><![CDATA[被服廠]]></category>
		<category><![CDATA[避難]]></category>
		<category><![CDATA[関東大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：東京　本所市
当時、私は９歳でした。突然「ゴオ－ッ」という異様な地鳴りがした。祖母は安政大地震の経験者であり、誰れよりも早く表へ飛び出していった。父は母と私を抱えて、タンスに寄りそっていたが、様子を見て「今だ逃げ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　本所市</p>
<p>当時、私は９歳でした。突然「ゴオ－ッ」という異様な地鳴りがした。祖母は安政大地震の経験者であり、誰れよりも早く表へ飛び出していった。<span id="more-156"></span>父は母と私を抱えて、タンスに寄りそっていたが、様子を見て「今だ逃げろ」と云われたが、二度ばかり転んでやっと表に出た、その瞬間に家は大音響と共に倒壊した。木造家屋はミシミシと音を立て、屋根瓦は落ち続け、私達の避難を妨害した。</p>
<p> <br />
父は、在郷軍人で、町内の人の救出作業に行き、残された私達三人は、父に命じられた被服廠に向ったが、道路は人と荷車で一杯で前に進めない。屋根の上で抜刀した巡査が、「荷物は捨てろ」と叫んでいた。数万坪の被服廠跡は人と荷物で既に満員であった。僅かに、前日の雨で水が溜ったところが空いているだけである。</p>
<p>私達はそこに陣取ったが、今にして思えばこれが幸したのでした。時間は不詳ですが、突然、竜巻が起った。この時、荷物と人間が空中に舞い上るのを見た。火勢は一挙に荷物に火がついたのです。私達は、目の前の水溜りに飛び込みました。私の膝あたりの深さの水溜りの底を祖母は懸命に掘り続け胸のあたりまで掘り下げるという超人的な作業をなしとげた。</p>
<p>火は熱く泥土と化した水に、顔を入れたり出したり、赤く焼けたトタン板が飛んできて何人もの人々が死んでいった。その板を頭に乗せて火の粉を防ぐが、すぐ熱くなり、水に浸しては頭に乗せる。これを何十回と繰り返し続けているうちに、誰かが「火は下火になったぞ」とどなっているのが聞えた。しかし、一度、下火になった火勢は再び盛り返し、又も死闘が続いた。</p>
<p> </p>
<p>それから数時間経った頃「万歳、万歳」と喚声が挙りました。周辺は暗く夜になっていた。私達はどうして助かったのか説明は出来ません。濡れねずみの身体を抱き合っていました。やや落ち付きを取り戻してみると、周辺の水溜り以外のところには焼死体が類類としており、焼けてふくれあがった様は人間とは思えない程です。</p>
<p>祖母と母は、煙で目が見えない、幸か不幸か、私だけが目が見えたので、私達は、少しづつ移動して被服廠を出ようとしましたが、途中で半死の状態の人が「水を呉れ、水を呉れ」と私の着物をつかんで離しません。濡れた着物をしぼって泥水を口に当ててあげましたが死んでしまいました。被服廠の廻りの溝にも焼死体が積み重なり見るも無惨の光景でした。</p>
<p> <br />
私は、目の見えない祖母と母を連れて安田庭園に落ち付き、二人の目を冷すため、近くの氷室に氷を取りに行きました。この時の氷は、まさに値千金のものでした。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>関東大震災　体験談④　群衆の頭上をなめる火</title>
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		<pubDate>Wed, 10 Mar 2010 06:14:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[体験談]]></category>
		<category><![CDATA[地震]]></category>
		<category><![CDATA[関東大地震]]></category>
		<category><![CDATA[関東大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：東京都本所区
あの日は蒸風呂のような酷暑であった。私は工場の隅でブランコに乗っていた。突然、左右上下に揺れだして止まらなくなった。
「地震だ、モ－タ－を止めろ」と叫ぶ声が飛んだ。
ミシミシと大きく揺れ、鋭く怒った [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京都本所区</p>
<p>あの日は蒸風呂のような酷暑であった。私は工場の隅でブランコに乗っていた。突然、左右上下に揺れだして止まらなくなった。<span id="more-147"></span></p>
<p>「地震だ、モ－タ－を止めろ」と叫ぶ声が飛んだ。</p>
<p>ミシミシと大きく揺れ、鋭く怒ったように揺れる。棚から物が落ちてくる、電燈のカサが目茶目茶に揺れ天井にぶつかりガラスの破片がすっ飛ぶ。梁と柱が悲鳴をあげて離れそうになる。近くの家の倒れる音が地響きをたて、砂じんが舞い込んでくる。</p>
<p>工場の屋根に大きな物干場があり、父母や兄姉、従業員などが集っていた。父は四方を眺め、火事場の数を見て「ここまでは燃えてこないだろう」と云っていた。父の指図で炊き出しを始め、握り飯を頬張りながら火事の様子を眺めていたが、若宮町の方角で一時衰えていた火勢が急に盛り返し、煙が私達の頭上まで拡がってきてキナ臭い匂いが漂い薄暗くなり、パラパラと燃えかすが落ちてきた。</p>
<p>「被服廠に行こう」と父が云い、足袋を集めさせて一同に履かせた。父の機転で足袋を履いたお蔭で助かったと感謝している。道路が狭く、路地が入り込んでいてなかなか表通りに出られない状態であった。血だらけの負傷者を背負う人、気が狂ったように泣き叫ぶ人、電車が立往生し、架線が垂れ下がり、水道管が破裂して被服廠前は水が溢れ、溝との境が見えない。既に広場は人と荷物でごったがえしていた。荷馬車を引き入れ口論している馬方もいた。</p>
<p>　　　　　　　　<br />
　あたりが急に薄暗くなってきた。四方から煙が空を覆い太陽を隠すように重なり合った時、突然、風が吹き始め忽ち強風となり、渦を巻いて砂じんを吹き付けた。顔や手足が痛い。眼も開けられず、立っても居られず、みな毛布や布団を頭から被った。いつの間にか砂じんが火の粉と変り、忽ち火の渦となり火焔となって人や荷物に燃え移って荒れ狂う。ゴ－ッと火焔が空にのびていくと、大八車や箪笥や人間が舞い上る。馬が人垣のなかで暴れ、火だるまになった人達がバタバタと倒れる。　　</p>
<p>　　　　　　　　　　　　<br />
　私は妹の手を引き、無我夢中でどこをどう歩いたのか記憶がない。妹が熱い熱いと云うので私の上衣を脱ぎ、頭にかぶせると忽ち誰かに奪われてしまった。人波に押されて下敷になる人、無理矢理に押されて火焔のなかに倒される人もいた。幾時間が過ぎて火勢が衰え暗さが増してきたとき、坊やと呼ばれたような気がして、声の方を見ると、母が妹を抱いて立っているのが見えた。</p>
<p>今でもはっきり記憶に残っているが、母の姿が白く浮きでていて他のものは何も見えなかった。私と妹は夢中で死体を踏み越えて駆け寄った。母は「助からないときは、一緒に死のう」と云ったが私はもう大丈夫だと母を慰めた。安全で座れる場所を探そうと安田庭園の近くまで死体を除けながら母の手を引いて歩いたが座る場所がなく、しかたなく３、４人の黒い死体を引っぱって場所をつくった。手が炭を塗ったように黒くなり、あとあとまで気になった。</p>
<p>やがて何処からとなく「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と呟きが聞こえ、その呟きが合唱のように一斉におきてあがった。暗闇が一枚一枚ベ－ルをはがすようにあたりが明るくなるとともに人影が動き始め、「誰誰や－い」と家族を探す声が腹を切ったように始まった</p>
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		<title>関東大地震　経験談③　「ゴゴゴ・・・」という地鳴り</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Mar 2010 03:06:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[関東大震災（1923年）]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[地鳴り]]></category>
		<category><![CDATA[揺れ]]></category>
		<category><![CDATA[経験]]></category>
		<category><![CDATA[経験談]]></category>
		<category><![CDATA[避難]]></category>
		<category><![CDATA[関東大地震]]></category>
		<category><![CDATA[関東大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：東京　（祖父の体験より）
いきなり、「ゴゴゴ…」という地鳴りが聞こえてきたかと思うと、家がグラグラと揺れ始めた。

次は、いきなり「ドン！」 と突き上げるような大きな“縦揺れ”タンスの上に置いてあった物が落ち始め [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：東京　（祖父の体験より）</p>
<p>いきなり、「ゴゴゴ…」という地鳴りが聞こえてきたかと思うと、家がグラグラと揺れ始めた。</p>
<p><span id="more-140"></span><br />
次は、いきなり「ドン！」 と突き上げるような大きな“縦揺れ”タンスの上に置いてあった物が落ち始め、照明器具の電球が不規則に暴れ始めた</p>
<p>逃げようとしたが、よろめきながら立っているのが、やっとの状態。<br />
尻餅をついた所にタンスが倒れてきたので、間一髪、横に転がってそれを避けた。<br />
「ドカン！」「ガラガラ」という音と悲鳴や怒号が近所中から聞こえてきた。</p>
<p>家の壁は崩れ、柱もバキバキ折れだし、みるみる部屋が潰れ始めた。そのうち、造りの弱い家から潰れ始め、次々と悲鳴が聞こえた。</p>
<p>外に逃げようとしたが、床に両手両足を大きく広げて、体を支えるのが精一杯でなんともならず。　床に踏ん張ったまま、されるがまま大きく揺れている状態が続く。<br />
這ったまま外に逃げ出すこともできなかった。</p>
<p>少しずつ、大きな揺れが収まり、潰れそうな家から外に飛び出した。<br />
すると、あたりの殆どの家が倒壊し、あるいは崩れかけている有様だった。<br />
あちこちから、家族を呼ぶ声や、助けを呼ぶ悲鳴にも似た声が聞こた。</p>
<p>崩れた家の瓦礫の中に、下敷きになっている近所の人たちが見えた。<br />
慌てて助けようと近づいた瞬間、また余震で大きく地面が揺れだした。</p>
<p>　<br />
「バキバキ！ ガラガラ！ 」という音と共に、傾いていた家が一気に倒壊した。<br />
すさまじい悲鳴が聞こえ「はっ！」とすると、さっきまで下敷きになっていた<br />
近所の人が目を大きく見開いたまま、動かなくなっていた。</p>
<p>言葉が出ず茫然としていると「火が出た！逃げろ～！」の声が聞こえた。<br />
何かが焼ける匂いと共に、あちこちから煙が上がっているのが見えた。<br />
ちょうど昼時で火を使っていた家庭が多かった。強い風がさらにその炎をあおった。</p>
<p>「家族は無事だろうか？」　「まずは、自分が避難しなくては！」<br />
「そうだ、あそこに学校があったはず…」<br />
家が崩れ、何も持たずに歩いている人々と、同じ方向に歩き出した。<br />
　</p>
<p>途中、燃える火の中の瓦礫の下で、泣き叫んで助けを呼ぶ人達を<br />
何度も見ましたが、とても近づく事もできなかった。<br />
火は風を起こすので余計に燃え広がり、どんどん炎と風を大きくしていく。</p>
<p>その時はただ、歩き続けるしか無かった。<br />
生きながら焼かれていく人たちに、目をそむけ耳をふさぎながら…。</p>
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