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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 北海道南西沖地震(2003年)</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>北海道南西沖地震　体験手記③　島が沈没する</title>
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		<pubDate>Thu, 10 Jun 2010 05:14:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[北海道南西沖地震(2003年)]]></category>
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		<description><![CDATA[　　あの夜。明るい月がべたなぎの海面を照らし、漁師の多くは早朝のウニ、アワビ漁に備えて寝込んでいた。鴈原課長も、フェリーターミナルから２キロほどの球浦の自宅で布団に入っていた。
　バーンという衝撃波を受けたような激しい揺 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　　あの夜。明るい月がべたなぎの海面を照らし、漁師の多くは早朝のウニ、アワビ漁に備えて寝込んでいた。鴈原課長も、フェリーターミナルから２キロほどの球浦の自宅で布団に入っていた。<span id="more-230"></span></p>
<p>　バーンという衝撃波を受けたような激しい揺れでした。その後の記憶は「悲惨」の一言に尽きます。あの光景はいま思い出してもざわっとくる。波の中で手を離した子供を探して歩く半狂乱の若い奥さんの姿、海面をびっしりと覆ったおびただしいがれき……。「奥尻が沈没した」と思ったほどの衝撃でした。（住宅被害は５２５棟。町の３分の１に相当する家屋を失った。中でも青苗や稲穂、松江地区は壊滅状態だった。）</p>
<p>　揺れがおさまった時、１９８３年に起きた日本海中部地震での津波被害を瞬時に思い起こしました。目の前の浜に出ると、道路がぬれていて、すでに第１波が来た後だった。すぐ家族と高台に避難した。直接は見なかったが、１波は軟らかく、２波、３波はすごい状態で押し寄せてきたようだ。「もう大丈夫だろう」と近所の人と海を見ると、がれきとともに車が浮いていた。中からおばあちゃんを救出したが助かりませんでした。この間、着替えを取りに家に戻った妻が引き波で家もろとも沖に流された。泳ぎが得意なことが幸いし、約２時間半後、１キロほど離れた海岸に泳ぎついた。</p>
<p>　着の身着のまま翌日から報道担当をしました。２００人くらい来ましたか。同じことを何回もしゃべらせられたり、海上保安庁が運んできた被災者用の弁当を食べられたりと大変でした。でも、マスメディアの力の大きさも知りました。全国から義援金や救援物資などが、ものすごい速さで届きましたから。あの温かい支えが、復興の原動力になったと思っています。</p>
<p>　発生直後、私は再建に１０年はかかると思いました。ハード面は５年で完全復興宣言をしたが、宣言から今までが本当の意味での復興だったと思います。昨年の観光客は５万７０００人で震災前を初めて上回り、何年も漁を我慢して育つのを待っていたウニやアワビもやっと回復しました。かつての自然豊かな島にやっと戻ったなと思っています。</p>
<p>　半面、一般会計が５０億円そこそこの町は、住民１人当たり２４０万～２５０万円の大きな借金を抱えることになりました。この負担は大きいなんてもんじゃない。過疎や高齢化は進むし、離島の宿命である行政コストの高さも年々重くのしかかっています。でも、この島に住んで良かったと思える暮らしのために、前向きに頑張っていきたいです。（水道や道路など奥尻町の被害総額は約６６４億円。復興のために国、道、町の予算約８５０億円が投入された）</p>
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		<title>北海道南西沖地震 経験談②　津波の恐怖</title>
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		<pubDate>Tue, 25 May 2010 04:59:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[北海道南西沖地震(2003年)]]></category>
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		<category><![CDATA[津波]]></category>
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		<description><![CDATA[北海道では地震・津波と言えばまず東側、つまり太平洋に面した釧路市や根室市が有名だ。日本海側では地震・津波は他人事のようにとらえていた。だが、ちょうど10年前の昭和58年5月26日に秋田沖を震源とする「日本海中部地震」が発 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>北海道では地震・津波と言えばまず東側、つまり太平洋に面した釧路市や根室市が有名だ。日本海側では地震・津波は他人事のようにとらえていた。だが、ちょうど10年前の昭和58年5月26日に秋田沖を震源とする「日本海中部地震」が発生、奥尻島にも3～4mの津波が襲い人々の脳裏に津波の恐怖が深く刻み込まれた。ただ、その時でも津波が来るなど町民は誰も予想しておらず、津波の前兆として一度海水が引いた際には、普段水面があって渡れない島の観光シンボル「なべつる岩」に渡って記念撮影する人もいたほどだ。 <span id="more-227"></span></p>
<p>　それからちょうど10年後の平成5年、北海道南西沖地震が発生した。日本海中部地震の際、あの地震の揺れと津波を一度経験しているからこそ、北海道南西沖地震の際には、町民は地震発生直後にすぐに避難しなければならないことを直感した。というのは、今回の地震の揺れの大きさと時間の長さは、日本海中部地震の際の規模とは比較にならないほど大きなものだった。町民はとっさに「この揺れは10年前よりも大きいし長い。これだけの大きな揺れなら絶対津波が押し寄せて来る。しかも10年前より大きな津波が。早く高いところへ逃げなければ」と判断したのだった。</p>
<p>地震情報の伝達状況等を振り返ってみると、地震発生が午後10時17分、札幌管区気象台がいち早く22分に、つまり地震発生から5分後に日本海沿岸に「大津波警報」が発表された。町役場にも職員が続々と駆けつけ、防災行政無線放送で27分に、つまり地震発生から10分後に全町民に向け「避難命令」を発令した。いずれも平常時で考えられる段階では迅速な初期対応だったが、津波の速度は我々の予想をはるかに越えた。</p>
<p>地震発生から3分後には島の北端である稲穂地区・稲穂岬に第1波が既に到達、集落は9～11mに及ぶ津波で壊滅状態を余儀なくされた。震源地から最も遠い距離にある島の南端である青苗地区・青苗岬でさえ、地震発生から5分後には9～12mに及ぶ津波がきており、警報も避難命令も間に合わなかった。津波の速度は一般に時速500㎞と言われるが、奥尻の場合は500～800㎞と推測、これはジェット機よりも早い速度とあとでわかった。</p>
<p>実際、青苗地区では「地震の揺れが収まってから逃げたのでは遅い」と判断し、揺れている最中にすぐに家外に飛び出し、走って高台を目指した者は助かり、揺れが収まってから逃げたり、車で逃げた者はその大半が津波に飲み込まれた。それが現実なのである。地震が発生し津波が予想される場合は、まず何よりも「着の身着のまますぐに走って少しでも高い場所へ逃げる」ということが鉄則である。あえて津波から助かる有効な手段は、この他にはないと私は断言したい。</p>
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		<title>北海道南西沖地震 体験談①　体感したことのない大きな揺れ</title>
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		<pubDate>Sat, 22 May 2010 04:54:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
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		<description><![CDATA[平成5年7月12日午後10時17分…
　その夜、妻と娘は就寝していたが、私は居間でテレビを見ながらくつろいでいた矢先、突然の縦揺れに飛び跳ねた。今まで体感したことのないその大きな揺れに「地震だあ！」と叫び、途中から横揺れ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>平成5年7月12日午後10時17分…<br />
　その夜、妻と娘は就寝していたが、私は居間でテレビを見ながらくつろいでいた矢先、突然の縦揺れに飛び跳ねた。今まで体感したことのないその大きな揺れに「地震だあ！」と叫び、途中から横揺れに変わった状態の中、転びながら妻子のもとへ駆けつけた。今にも倒れそうなタンスや鏡台を両手と片足で抑え、妻子の布団の上に倒れるのを夢中で防いでいた。<span id="more-224"></span></p>
<p>その時の状況は今でも鮮明に記憶している。揺れと同時に食器棚から食器が落ちて割れる。家具の上にあった物が落ちて散乱する。その家具もドミノ倒しのように崩れ落ちる。本棚の本が飛び出す。熱帯魚の水槽の水は溢れ出す。窓ガラスの割れる音。蛍光灯が揺れて天井に繰り返しぶつかる。天井や家の柱がミシミシ音をたてる…。「もう収まるだろう」と心の中で冷静さを装うようにつぶやくが、同じ時間と同じ惨状が繰り返される…とにかく家全体が揺らぐ中、家中足の踏む場もないほどに物が散乱し、そのうち停電にもなり、妻は叫ぶ、子どもは泣きじゃくり、もう私もパニック状態となっていた。大きな揺れの影響で焦点の合わないその「現実」は語れるが、その恐怖心は今でも言葉にできないものである。</p>
<p>それでも揺れが弱くなったのを見計らい、妻子を連れて着の身着のまま走って高台に逃げたのは、これほどの揺れなら必ず「津波」が襲ってくることを予測し、目の前に日本海が拓け、海抜3メートルほどの地に建つ我が家が飲み込まれることを確信したからだ。暗夜の中を駆け抜け、津波の心配がない丘の上にたどり着いたとき、足から大量の血が出ていることに気が付いた。家を飛び出すときに真っ暗で何も見えなかったこと、散乱した家具やガラスの上を裸足で必死に逃げたためだとその場で思いながら、流血した足を見つめてなぜか安堵した記憶がある。</p>
<p>　正確な揺れの時間は感じ方によって十人十色だが、私は1分以上は続いたような気がした。当時、町内には地震計が設置されていないため正確な震度の記録はないが、建物の崩壊などから最低でも震度6以上の烈震であったと推定されている。震源地は奥尻島の南西沖で、震源の深さ34㎞、地震の強さを示す規模はマグニチュード7.8という日本海の観測史上最大級のもので、年配者に伺っても、昔の文献などを調べても、このような大きな地震はこの島初めての出来事だった。北海道全域や東北地方、遠くは石川県輪島までの広範囲で、最大で震度5の中震を記録していた。</p>
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		<title>北海道南西沖地震とは？</title>
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		<pubDate>Mon, 10 May 2010 04:47:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
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			<content:encoded><![CDATA[<p>北海道南西沖地震は、1993年（平成5年）7月12日午後10時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した地震である。マグニチュードは7.8、推定震度6（烈震）で、日本海側で発生した地震としては最大規模。<span id="more-219"></span></p>
<p>震源に近い奥尻島を中心に、火災や津波で大きな被害を出し、人的被害は、死者230名（青森の1名含む）、行方不明者29名、負傷者323名。家屋被害は、全壊601棟、半壊408棟、一部損壊5490棟、焼失192棟、浸水455棟、その他735棟に及んだ。さらに、道路の損壊630箇所、港湾・漁港の被害80箇所、船舶被害1729隻を出した。震度が推定になっている理由は、当時地震計が置かれていなかったことによる。</p>
<p>多くの死者・行方不明者をもたらした津波の第1波は地震発生後2-3分で奥尻島西部に到達し、5-7分後には藻内地区のホヤ石水力発電所に到達した。北海道本土側の茂津多岬付近では第1波が地震発生後約5分で到達している。津波の被害を最も大きく受けたのは、奥尻島南部の青苗地区である。三方を海に囲まれたこの地区は、震源より直接到達した波が、市街地でも高さ6.7mに達したほか、島を回り込んだ波、北海道本土で反射した波など複数方向から津波の襲来を受け、事実上壊滅状態になった。地区の人口1,401人、世帯数504に対し、死者・行方不明者109名、負傷者129名、家屋全壊400棟という被害を出した。このほか、藻内・松江など島の南半の各地区と、北端の岬にある稲穂地区でも津波で死者が出ている。</p>
<p>奥尻島の各地区における津波の高さ（波高）は、稲穂地区で8.5m、奥尻地区で3.5m、初松前地区で16.8mに達した。遡上高は、震源からの津波の直撃を受けた島の西側で特に高く、藻内地区で最大遡上高30.6mを記録した。</p>
<p>奥尻島は1983年（昭和58年）の日本海中部地震でも津波被害を受けており、このときの到達は、地震発生から17分後であった。この経験から徒歩で迅速に避難し助かった人も多くいたが、逆に津波到達までは時間があると判断し、車で避難しようとして渋滞中に、また車で避難中に避難路の選択を誤ったり、あるいは避難前に用を済ませようとするうちに津波に飲まれた人も少なくなかった。その一方、海岸付近に立てられた鉄筋コンクリート2～3階建ての住宅が一家の命を救ったという事例が存在する。</p>
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