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	<title>地震体験談(被災経験談) &#187; 三河地震（1945年）</title>
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	<description>悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。</description>
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		<title>三河地震　体験談③　　念仏を唱えながら・・</title>
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		<pubDate>Sat, 20 Feb 2010 13:48:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[三河地震（1945年）]]></category>
		<category><![CDATA[1月13日]]></category>
		<category><![CDATA[三河地震]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：愛知県西尾市
１月１３日の朝夜明け、ドド－ンと言う音がしたような気がしましたが、その時は何もわかりませんでしたが、我に返ってみた時には、もう私達は家の下敷きになっておりました。私達母と子供の何人かで枕を並べて寝て [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：愛知県西尾市</p>
<p>１月１３日の朝夜明け、ドド－ンと言う音がしたような気がしましたが、その時は何もわかりませんでしたが、我に返ってみた時には、もう私達は家の下敷きになっておりました。<span id="more-99"></span>私達母と子供の何人かで枕を並べて寝ていましたが、もう身動きも思うように出来ません。しばらくは、余震がガタガタと揺れる度に、かやぶきの屋根がだんだんと重くなって来るのです。小さい妹達はこわがって、大きな声で泣き出しますし、私達もふるえていました。その時母が「皆お念仏を唱えなさい。きっと仏さんが助けて下さるから」と…　その時ばかりは心からお念仏を唱えました。姉妹皆してしばらくはだまったままでした。私はその時、もう死ぬかと思っていました。</p>
<p>それからしばらくして、外から男の人の声で「今助けてあげるからね」と言って、かやぶきの屋根を鎌で切って一人ずつ出して下さいました。その時の嬉しかった事は一生忘れられません。</p>
<p> <br />
出してもらって見れば、横屋も物置も全部倒れてしまっていました。横屋に寝ておられた義姉さんはと聞けば、まだ倒れた家の中に入っておられるとのこと。一緒に寝ていた姪二人は、そのままの所で寝ていて助かっており、義姉は下の男の子を抱いて座敷の方へ出られたばっかりに、自分は頭にひどい傷を負い、抱いていた子供は落ちてきたハリにはさまって、二度ほど「母ちゃん、母ちゃん」と呼んだそうですが、それっきり声も出なくなりました。</p>
<p>いっしょに寝ていた姪達が、倒れた屋根の上で泣いている声を聞いて、おばあさんやお母さんが皆下敷きになって死んでしまうから早く助けに来て下さるように頼んできてと言われ、姪達は前の家へ行き助けをもとめて来てくれたそうです。義姉は自分は何とか楽な所にいるから、母屋の母達をと言われたとのこと。それで私達を先に出しに来て下さいました。</p>
<p> <br />
そして、夜がしらじら明けてきた頃、義姉さんは助けてもらい、出て来られた時は、頭から流れ出た血が白い寝巻きにべっとり着いて、おばけのようでした。一言「みっちゃんは死んでしまった」と言って泣かれました。</p>
<p> <br />
その夜から、何とか寒さをしのぐだけのわら小屋を近所の人達が手伝って作ってくださって、そこでの生活が始まりました。寒い時ですので、土の上にわらを厚くしいてその上にむしろをしき、今で思うと一寸考えられないようです。ぎ姉は、亡くなった子供と最後の一晩をと言って、いっしょに布団の中で抱いて寝かせて、通夜だと言っておられました。</p>
<p> <br />
私達の近所が一番ひどかったのです。寝ていたままで亡くなられた人や、縁側まで出て亡くなられた人達が六人もみえて、合同の葬式を村の人達がして下さいました。</p>
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		<title>三河地震　被災体験②　家の下敷きに</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/96</link>
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		<pubDate>Sun, 14 Feb 2010 13:42:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[三河地震（1945年）]]></category>
		<category><![CDATA[のこぎり]]></category>
		<category><![CDATA[三河地震]]></category>
		<category><![CDATA[下敷き]]></category>
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		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[被災]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：愛知県西尾市
「ズシン」と物すごくつき上げられるようなショックを体に感じ、そのままころげ出るように次の間へ。足がもつれ、倒れた母を夢中で助けおこしかけた時、「アア-ﾂ」おどろきおびえた母の声。電気か、稲妻か。一瞬 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：愛知県西尾市</p>
<p>「ズシン」と物すごくつき上げられるようなショックを体に感じ、そのままころげ出るように次の間へ。足がもつれ、倒れた母を夢中で助けおこしかけた時、「アア-ﾂ」おどろきおびえた母の声。電気か、稲妻か。一瞬の光に家がむざんにねじれ、建具もろとも大きく傾く様子が見えた。<span id="more-96"></span></p>
<p>ふと気が付いたら、体が全然動かない。家が倒れ、その下敷きになったのだ。どちらからともなく言葉だけで安否を確かめ合った。２人共動けないが命だけは助かった。わずかに動く両手で、方々なで回し、何とかならないかと力を入れてみた。もちろんビクッともしない。指先が火鉢にふれた。ああここは台所だなと思った。夜中のことで火の気の心配は全くない。右足の上に右肩と体を前に折り曲げた上、背から肩にかけ梁、体の線から少し左にそれた左足は鴨居にそれぞれはさまれていた。今一歩左に寄れば、鴨居をまともに受け、命は無かったそうだ。</p>
<p> <br />
ビリッとわずかに感じる程度から、かなりの余震まで何度か度重なるうち、いつの間にか右耳をむしろにおしつけられたまま、首も廻らなくなり、肩の梁はますます重くのしかかってきた。胸と腹を強くおされて居るので、次第に呼吸が苦しくなってきた。</p>
<p> <br />
「久子や久子やあ-、久子」前の方で、勘一さんのおばあさんの声が、二声三声聞こえただけ。外は以外に静か。「どの家も倒れ、皆んな下敷きになってしまったのだ」そんなような話をとぎれがちにしていた。そうだとすると、だれも来てはくれないだろう。人の身体はどれだけ重みに耐えるだろう。徐々にだから良いものの大きな余震が来て、何かのはずみで一気に重みが加わったら？国のためならいざ知らず、こんな事でと思うと残念で情けなかった。</p>
<p> <br />
どの位時間がたったか、兄の呼ぶ声がした。返事をしても、色々な物が上に乗っているので、どの辺に居るのか見当をつけるのに少なからず手間取ったようだ。瓦から屋根板を取り払い、二階板をはがす頃から、横向きの顔の上にかべつちやほこりがふりかかる。ただでさえ苦しい呼吸をじっとがまんした。細い木や板切れとちがい、肩の梁は大きな棒などでこじてもどうにもならなかった。かえって反動で思わずうめき声が出てしまう。<br />
間もなく、他家に貸してあったのこぎりが返ってきた。梁は切られ、取りのぞかれたおを感じた。</p>
<p> <br />
人の話し声は、はっきりわかるのだが、全身おぼえが無く、一人で起き上がることはもちろん出来なかった。だき起こされ、うしろの木にもたれかかり、初めて胸一杯呼吸した。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>三河地震　体験談①　繰り返す余震の恐怖</title>
		<link>http://toukaijisin.com/archives/91</link>
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		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 13:37:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[三河地震（1945年）]]></category>
		<category><![CDATA[三河地震]]></category>
		<category><![CDATA[体験]]></category>
		<category><![CDATA[余震]]></category>
		<category><![CDATA[家具]]></category>
		<category><![CDATA[昭和２０年]]></category>

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		<description><![CDATA[被災地：愛知県西尾市
昭和２０年１月１３日未明、小学校４年の子供を頭に、４人の子供達と一緒の部屋に寝ていた私達は、そのすさまじい振動に「地震よ、みんな外へ出て」と絶叫して、誰が先ともなく飛び出した。
棚から物が落ちるどこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>被災地：愛知県西尾市</p>
<p>昭和２０年１月１３日未明、小学校４年の子供を頭に、４人の子供達と一緒の部屋に寝ていた私達は、そのすさまじい振動に「地震よ、みんな外へ出て」と絶叫して、誰が先ともなく飛び出した。<span id="more-91"></span><br />
棚から物が落ちるどころか、真っ暗な部屋の中は、家具のひっくり返る音、割れる音、何もかもが一緒になって、私達の上へこわれかかってくる感じだった。きしんで開かない縁側の雨戸を、夫はけたくって破った。なだれのようにそのあとへつづいて、私達親子は、暗闇の厳寒の中へ寝巻きのまま、とも角逃れることが出来た。しかし５歳になる次男がいない。３男はまだ赤ん坊だったので、無意識のうちに抱いていた。<br />
ひっきりなしに余震が来た。夫はその中を２度３度家の中へ飛び込み、次男を連れ出したり、手に当る程度の布団を持ち出したりした。世の明けるまでを表庭ですごすために、ワラ屑を山と積み、体をくっつけ合って温みをとった。<br />
幸い怪我人はなかったが、しらじらと夜が明け始めてみると、何という我が家の無惨さ、倒れる寸前にまでひさしが傾いて、唐紙も障子もその大部分は縦に引き裂け、家具のあらゆるものは落ちて散らかっている。こまいは外れ、大方の壁は落ちかかり、真冬の風がヒュ－ヒュ－と家の中まで吹きこんできた。<br />
古木を集め、ワラを運んでいると、志籠谷の親戚の娘さんが飛び込んできた。<br />
「私んとこのお父っちゃんが、家の下敷きになって死んでしまった！」おそらく自転車できたのだろう。防空帽を被って、半てん着て、庭に立ったままボロボロと大粒な涙が先に落ちた。<br />
それは大変だ。夫はすぐに出掛けようとしたが、それよりも早く、また２人の男の人が来て、夫の妹が子供を抱いたまま下敷きになってしまった、すぐに来てくれという。私達の村より低い福地の方の村から、次々と死者の報せが入った</p>
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		<title>三河地震とは？　東南海地震を超える被害</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Nov 2009 13:27:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>地震体験・被災経験</dc:creator>
				<category><![CDATA[三河地震（1945年）]]></category>
		<category><![CDATA[1945年]]></category>
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		<category><![CDATA[愛知県]]></category>
		<category><![CDATA[東南海地震]]></category>
		<category><![CDATA[震源]]></category>

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		<description><![CDATA[三河地震は、東南海地震の約一カ月（３７日）後の昭和二十年（一九四五年）一月十三日、愛知県南部を震源に局地的に激しく揺れた地震。マグニチュード（Ｍ）は東南海の７・９に比べ、規模で約三十分の一程度の６・８だったが、犠牲者は倍 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>三河地震は、東南海地震の約一カ月（３７日）後の昭和二十年（一九四五年）一月十三日、愛知県南部を震源に局地的に激しく揺れた地震。マグニチュード（Ｍ）は東南海の７・９に比べ、規模で約三十分の一程度の６・８だったが、犠牲者は倍近い約二千三百人にも達した。<span id="more-84"></span></p>
<div id="attachment_115" class="wp-caption aligncenter" style="width: 426px"><img class="size-full wp-image-115" title="三河地震　震源　震度" src="http://toukaijisin.com/hisai/wp-content/uploads/2009/11/b8a435a8579a76881f5acbe76556fdc5.gif" alt="三河地震の震度　・震源" width="416" height="276" /><p class="wp-caption-text">三河地震の震度　・震源</p></div>
<p>震源地　渥美湾（震源の深さ　10ＫＭ以下の浅所）<br />
規　模　　マグニチュ－ド7.1　有感半径　690ＫＭ<br />
震　域　　東は関東から西は中<br />
被　害　　合計死者　２３０６名　　負傷者　　３８６６名<br />
　　　　　　住家全壊　　７２２１戸　　同半壊　１６５５５戸<br />
　　　　　　非住家全半壊　２４３１１戸<br />
震度　　震度７　　明治村、桜井村、三和村、横須賀村、福地村の６町村<br />
　　　　　震度６　　西尾町、室場村、平坂町、寺津町、一色町、吉田町など２４市町村</p>
<p>その他：愛知県下では矢作川下流域の幡豆・碧海郡方面を中心に大被害が集中した。<br />
死者が多数に上ったのは、全壊家屋の多さに加え、被災時が夜半で、ほとんど就寝中であったからと思われる。また１ヶ月前に発生した東南海地震で損傷した家屋を修繕する間も無く、三河地震が襲ったことも被害を大きくしたと思われる。<br />
（記録によれば、三河地震の前震が２日前に集中して発生し、音を伴った地震が多数あった模様である。しかし戦時中であり、三ヶ根山方面に光が発生するのを見た人もいたため、アメリカ軍の爆撃だと思われていたようである。）</p>
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