被災地:愛知県西尾市
1月13日の朝夜明け、ドド-ンと言う音がしたような気がしましたが、その時は何もわかりませんでしたが、我に返ってみた時には、もう私達は家の下敷きになっておりました。私達母と子供の何人かで枕を並べて寝ていましたが、もう身動きも思うように出来ません。しばらくは、余震がガタガタと揺れる度に、かやぶきの屋根がだんだんと重くなって来るのです。小さい妹達はこわがって、大きな声で泣き出しますし、私達もふるえていました。その時母が「皆お念仏を唱えなさい。きっと仏さんが助けて下さるから」と… その時ばかりは心からお念仏を唱えました。姉妹皆してしばらくはだまったままでした。私はその時、もう死ぬかと思っていました。
それからしばらくして、外から男の人の声で「今助けてあげるからね」と言って、かやぶきの屋根を鎌で切って一人ずつ出して下さいました。その時の嬉しかった事は一生忘れられません。
出してもらって見れば、横屋も物置も全部倒れてしまっていました。横屋に寝ておられた義姉さんはと聞けば、まだ倒れた家の中に入っておられるとのこと。一緒に寝ていた姪二人は、そのままの所で寝ていて助かっており、義姉は下の男の子を抱いて座敷の方へ出られたばっかりに、自分は頭にひどい傷を負い、抱いていた子供は落ちてきたハリにはさまって、二度ほど「母ちゃん、母ちゃん」と呼んだそうですが、それっきり声も出なくなりました。
いっしょに寝ていた姪達が、倒れた屋根の上で泣いている声を聞いて、おばあさんやお母さんが皆下敷きになって死んでしまうから早く助けに来て下さるように頼んできてと言われ、姪達は前の家へ行き助けをもとめて来てくれたそうです。義姉は自分は何とか楽な所にいるから、母屋の母達をと言われたとのこと。それで私達を先に出しに来て下さいました。
そして、夜がしらじら明けてきた頃、義姉さんは助けてもらい、出て来られた時は、頭から流れ出た血が白い寝巻きにべっとり着いて、おばけのようでした。一言「みっちゃんは死んでしまった」と言って泣かれました。
その夜から、何とか寒さをしのぐだけのわら小屋を近所の人達が手伝って作ってくださって、そこでの生活が始まりました。寒い時ですので、土の上にわらを厚くしいてその上にむしろをしき、今で思うと一寸考えられないようです。ぎ姉は、亡くなった子供と最後の一晩をと言って、いっしょに布団の中で抱いて寝かせて、通夜だと言っておられました。
私達の近所が一番ひどかったのです。寝ていたままで亡くなられた人や、縁側まで出て亡くなられた人達が六人もみえて、合同の葬式を村の人達がして下さいました。