Zum Inhalt springen


地震体験談(被災経験談)
悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。


三河地震 体験談① 繰り返す余震の恐怖

被災地:愛知県西尾市

昭和20年1月13日未明、小学校4年の子供を頭に、4人の子供達と一緒の部屋に寝ていた私達は、そのすさまじい振動に「地震よ、みんな外へ出て」と絶叫して、誰が先ともなく飛び出した。
棚から物が落ちるどころか、真っ暗な部屋の中は、家具のひっくり返る音、割れる音、何もかもが一緒になって、私達の上へこわれかかってくる感じだった。きしんで開かない縁側の雨戸を、夫はけたくって破った。なだれのようにそのあとへつづいて、私達親子は、暗闇の厳寒の中へ寝巻きのまま、とも角逃れることが出来た。しかし5歳になる次男がいない。3男はまだ赤ん坊だったので、無意識のうちに抱いていた。
ひっきりなしに余震が来た。夫はその中を2度3度家の中へ飛び込み、次男を連れ出したり、手に当る程度の布団を持ち出したりした。世の明けるまでを表庭ですごすために、ワラ屑を山と積み、体をくっつけ合って温みをとった。
幸い怪我人はなかったが、しらじらと夜が明け始めてみると、何という我が家の無惨さ、倒れる寸前にまでひさしが傾いて、唐紙も障子もその大部分は縦に引き裂け、家具のあらゆるものは落ちて散らかっている。こまいは外れ、大方の壁は落ちかかり、真冬の風がヒュ-ヒュ-と家の中まで吹きこんできた。
古木を集め、ワラを運んでいると、志籠谷の親戚の娘さんが飛び込んできた。
「私んとこのお父っちゃんが、家の下敷きになって死んでしまった!」おそらく自転車できたのだろう。防空帽を被って、半てん着て、庭に立ったままボロボロと大粒な涙が先に落ちた。
それは大変だ。夫はすぐに出掛けようとしたが、それよりも早く、また2人の男の人が来て、夫の妹が子供を抱いたまま下敷きになってしまった、すぐに来てくれという。私達の村より低い福地の方の村から、次々と死者の報せが入った

« 新潟中越地震 体験談3 全国からの励まし – 三河地震 被災体験② 家の下敷きに »

作成者:
地震体験・被災経験
日付:
2010年2月7日 um 10:37 PM
カテゴリー:
三河地震(1945年)
Tags:
, , , ,  
Trackback:
Trackback URI

コメントはまだありません

コメントはまだありません。

コメントフォームは現在閉鎖中です。