三河地震は、東南海地震の約一カ月(37日)後の昭和二十年(一九四五年)一月十三日、愛知県南部を震源に局地的に激しく揺れた地震。マグニチュード(M)は東南海の7・9に比べ、規模で約三十分の一程度の6・8だったが、犠牲者は倍近い約二千三百人にも達した。

三河地震の震度 ・震源
震源地 渥美湾(震源の深さ 10KM以下の浅所)
規 模 マグニチュ-ド7.1 有感半径 690KM
震 域 東は関東から西は中
被 害 合計死者 2306名 負傷者 3866名
住家全壊 7221戸 同半壊 16555戸
非住家全半壊 24311戸
震度 震度7 明治村、桜井村、三和村、横須賀村、福地村の6町村
震度6 西尾町、室場村、平坂町、寺津町、一色町、吉田町など24市町村
その他:愛知県下では矢作川下流域の幡豆・碧海郡方面を中心に大被害が集中した。
死者が多数に上ったのは、全壊家屋の多さに加え、被災時が夜半で、ほとんど就寝中であったからと思われる。また1ヶ月前に発生した東南海地震で損傷した家屋を修繕する間も無く、三河地震が襲ったことも被害を大きくしたと思われる。
(記録によれば、三河地震の前震が2日前に集中して発生し、音を伴った地震が多数あった模様である。しかし戦時中であり、三ヶ根山方面に光が発生するのを見た人もいたため、アメリカ軍の爆撃だと思われていたようである。)