被災地:坂井市丸岡町
蒸し暑いその日。雨が降らず、遅れていた田植えを手伝おうと、児童は午後にはほとんどが帰宅していた。
午後4時13分(サマータイムで当時は5時13分)のその時、男性教諭数人と中田さんは日の暮れかかった校舎で終礼の最中だった。
ゴーと不気味な音とともに一気に激しい揺れが襲った。降り注ぐように割れ落ちるガラス。あわてて机の下に入った。揺れる校舎はあっという間に倒壊。倒れてきた柱と柱の間に運良く隠れた机が入った。「助かった」と実感した。
はい出た中田さんの目に映った町並みは無残そのもの。見渡せる村という村で目につくのは立ち木だけ。それまであったはずの建物という建物はすべて土煙の下に消えた。カラカラに乾燥していた校庭は地割れし、水が噴き出し水浸し。液状化現象で周りの美田も一面泥の海と化した。その夜、空を照らしたのはおぞましい町の炎。翌日までに丸岡町(当時)の全家屋の七割に当たる1176軒が灰となった。
町を見下ろしていた丸岡城も天守閣の一層が土台上に落下。第一、第二層は石垣の下に散乱し、丘の上にあった町のシンボルが影も形も見えなかった。「城」という心のよりどころさえ無くした。
それからしばらくは、庭に「かや」を張って暮らし、近所で米や大根を互いに分け合って食べ続けた。そんなことができたのも終戦から3年しか経過していなかったからかもしれない。農村部で自給自足に慣れていた上に、堪えしのいできた戦時中の経験が役立った。