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地震体験談(被災経験談)
悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。


昭和南海地震 体験手記⑤ 二と一の繰り返しの不思議な日

被災地:徳島市助任本町6丁目
昭和21年12月21日 忘れようとしても忘れることのできない2と1の繰り返しの不思議な冬の日です。旧制女学校3年の耐寒マラソンの行われる日でした。

得意ではないが頑張ろうと早くにやすみました。ぐらっと来て、母はタンスの前で引き出しを押さえましたが、あまりにもひどい揺れで、母に言われて、私は祖母のこたつを、もう一つを母が抱えて家の外に飛び出し、一番離れたところで家族4人が伏せておりました。揺れがひどく、転びそうな足取りであったと思います。

どれくらい長いのかわかりませんでしたが、ひどく長い時間であったように思われました。揺れが収まって近所の方たちと無事を喜び合いました。戦後2年目2月に平屋バラックを建てたので、土壁は塗ってなく板壁でしたので、壊れることもなく家は無事でした。当時は焼け跡の防空壕にトタンで屋根にした家とか、焼け残りの蔵で住む人とかがバラバラと住んでいる程度でしたので、被害の話は聞かれなかったように思います。

父が電話局に勤めていた関係で、電話は早くからあり、市内中心部は大丈夫との連絡が入っており安心いたしました。ラジオで南方の津波被害の大きさを聞き、後で怖さが迫ってきました。
 何日程過ぎてからかは思い出せませんが、飲用に使っていた掘り抜き井戸の水が全く湧かなくなりました。水道水も併用していたので困ることはありませんでしたが、不思議なことに、もう駄目かなと思っていると、前程にはコンコンと湧きませんでしたが少しずつ出るようになって来ました。しかし、飲めていた水に塩がさし、飲用にできなくなり、洗濯の下洗いしか使えなくなりました。地下水脈が地震で変わったのでしょう。
 現在方々で地震の速報がよく聞かれますが、あの頃もよく地震があり、ガタガタと揺れており、当時とふと重ねることがあります。母に教えられた火の用心の大切さ、また飲み水の確保等を常に心しなければならないと心に言い聞かせています。

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作成者:
地震体験・被災経験
日付:
2009年10月29日 um 6:13 PM
カテゴリー:
昭和南海地震(1946年)
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