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地震体験談(被災経験談)
悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。


昭和三陸地震 体験談①

中央気象台で地震を記録したのは、午前二時三十二分十四秒であった。
三月三日といえば春の気配もわずかに感じられる頃だが、東北地方の三陸沿岸は積雪が大地をおおう厳寒の中にあった。中央気象台の記録によると、その時刻の気温は零下十度近くをしめしている。
天候は晴れで、夜空には凍てついたような星が光っていた。


 三陸沿岸を襲った地震は強烈で、人々は、夜の眠りを破られて飛び起きた。家屋は激しく振動し、時計はとまり、棚の上にのせられていたものは音を立てて落下した。壁が剥落し、障子の破れた家もあった。また、池や沼を厚くおおっていた氷や積もった雪にも割れ目が生じ、町の水道管は破損した。

 強震に驚いた人々は、家から走り出た。震動時間は五分から十分間続き、水平動であった。
戸外はむろんのこと家の中も凍りつくような寒さであった。人々は歯列を鳴らして身をふるわせ、震動がやむと再びふとんの中にもぐりこんだ。地震の後には津波のやってくる可能性がある。しかし、三陸沿岸の住民には、一つの言い伝えがあった。それは、冬季と晴天の日には津波の来襲がないということであった。

 その折も多くの老人たちが、
 「天候は晴れているし、冬だから津波は来ない」
 と断言し、それを信じたほとんどの人は再び眠りの中に落ち込んでいった。

 しかし、その頃、海上は急激にその様相を変えていた。
海水が徐々に干きはじめ、それにつれて沿岸の川の水は激流のように飛沫をあげて走り、海に吸われていた。海水の干く速度は急激に増し、湾内の岩や石が生き物のように海水とともに沖に向かって転がりはじめた。岩は激突し合いながらすさまじい音響を立てて移動してゆく。たちまちに、湾内の海底は干潟のように広々と露出した。

 沖合いに海水と岩の群れをまくし上げた海面は、不気味に盛り上がった。、そして、壮大な水の壁となると、初めはゆっくりと、やがて速度を増して海岸へと突進しはじめた。
 壁は海岸に近づくにつれてせり上がり、一斉にくだけた。

 家々には、地震で起きた人々の手でともされた灯が点々とつらなっていた。屹立した津波が、周囲を水煙でかすませながら部落の上に落下し、たちまちにして灯は絶えた。
家は水圧で粉砕され、人の体とともに激しく泡立つ海水に巻き込まれ、やがてそれは勢いよく干きはじめた海水に乗って沖へと引きさらわれていった。

 海水は、再び海底を露出させ沖合いで体勢をととのえるように盛り上がると、第一波より一段とすさまじい速さで海岸へと進んでいった・・・・

 吉村昭氏の「三陸海岸大津波」より

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作成者:
地震体験・被災経験
日付:
2010年7月24日 um 5:50 PM
カテゴリー:
昭和三陸地震(1933年)
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