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地震体験談(被災経験談)
悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。


北海道南西沖地震 体験手記③ 島が沈没する

  あの夜。明るい月がべたなぎの海面を照らし、漁師の多くは早朝のウニ、アワビ漁に備えて寝込んでいた。鴈原課長も、フェリーターミナルから2キロほどの球浦の自宅で布団に入っていた。

 バーンという衝撃波を受けたような激しい揺れでした。その後の記憶は「悲惨」の一言に尽きます。あの光景はいま思い出してもざわっとくる。波の中で手を離した子供を探して歩く半狂乱の若い奥さんの姿、海面をびっしりと覆ったおびただしいがれき……。「奥尻が沈没した」と思ったほどの衝撃でした。(住宅被害は525棟。町の3分の1に相当する家屋を失った。中でも青苗や稲穂、松江地区は壊滅状態だった。)

 揺れがおさまった時、1983年に起きた日本海中部地震での津波被害を瞬時に思い起こしました。目の前の浜に出ると、道路がぬれていて、すでに第1波が来た後だった。すぐ家族と高台に避難した。直接は見なかったが、1波は軟らかく、2波、3波はすごい状態で押し寄せてきたようだ。「もう大丈夫だろう」と近所の人と海を見ると、がれきとともに車が浮いていた。中からおばあちゃんを救出したが助かりませんでした。この間、着替えを取りに家に戻った妻が引き波で家もろとも沖に流された。泳ぎが得意なことが幸いし、約2時間半後、1キロほど離れた海岸に泳ぎついた。

 着の身着のまま翌日から報道担当をしました。200人くらい来ましたか。同じことを何回もしゃべらせられたり、海上保安庁が運んできた被災者用の弁当を食べられたりと大変でした。でも、マスメディアの力の大きさも知りました。全国から義援金や救援物資などが、ものすごい速さで届きましたから。あの温かい支えが、復興の原動力になったと思っています。

 発生直後、私は再建に10年はかかると思いました。ハード面は5年で完全復興宣言をしたが、宣言から今までが本当の意味での復興だったと思います。昨年の観光客は5万7000人で震災前を初めて上回り、何年も漁を我慢して育つのを待っていたウニやアワビもやっと回復しました。かつての自然豊かな島にやっと戻ったなと思っています。

 半面、一般会計が50億円そこそこの町は、住民1人当たり240万~250万円の大きな借金を抱えることになりました。この負担は大きいなんてもんじゃない。過疎や高齢化は進むし、離島の宿命である行政コストの高さも年々重くのしかかっています。でも、この島に住んで良かったと思える暮らしのために、前向きに頑張っていきたいです。(水道や道路など奥尻町の被害総額は約664億円。復興のために国、道、町の予算約850億円が投入された)

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作成者:
地震体験・被災経験
日付:
2010年6月10日 um 2:14 PM
カテゴリー:
北海道南西沖地震(2003年)
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