北海道では地震・津波と言えばまず東側、つまり太平洋に面した釧路市や根室市が有名だ。日本海側では地震・津波は他人事のようにとらえていた。だが、ちょうど10年前の昭和58年5月26日に秋田沖を震源とする「日本海中部地震」が発生、奥尻島にも3~4mの津波が襲い人々の脳裏に津波の恐怖が深く刻み込まれた。ただ、その時でも津波が来るなど町民は誰も予想しておらず、津波の前兆として一度海水が引いた際には、普段水面があって渡れない島の観光シンボル「なべつる岩」に渡って記念撮影する人もいたほどだ。
それからちょうど10年後の平成5年、北海道南西沖地震が発生した。日本海中部地震の際、あの地震の揺れと津波を一度経験しているからこそ、北海道南西沖地震の際には、町民は地震発生直後にすぐに避難しなければならないことを直感した。というのは、今回の地震の揺れの大きさと時間の長さは、日本海中部地震の際の規模とは比較にならないほど大きなものだった。町民はとっさに「この揺れは10年前よりも大きいし長い。これだけの大きな揺れなら絶対津波が押し寄せて来る。しかも10年前より大きな津波が。早く高いところへ逃げなければ」と判断したのだった。
地震情報の伝達状況等を振り返ってみると、地震発生が午後10時17分、札幌管区気象台がいち早く22分に、つまり地震発生から5分後に日本海沿岸に「大津波警報」が発表された。町役場にも職員が続々と駆けつけ、防災行政無線放送で27分に、つまり地震発生から10分後に全町民に向け「避難命令」を発令した。いずれも平常時で考えられる段階では迅速な初期対応だったが、津波の速度は我々の予想をはるかに越えた。
地震発生から3分後には島の北端である稲穂地区・稲穂岬に第1波が既に到達、集落は9~11mに及ぶ津波で壊滅状態を余儀なくされた。震源地から最も遠い距離にある島の南端である青苗地区・青苗岬でさえ、地震発生から5分後には9~12mに及ぶ津波がきており、警報も避難命令も間に合わなかった。津波の速度は一般に時速500㎞と言われるが、奥尻の場合は500~800㎞と推測、これはジェット機よりも早い速度とあとでわかった。
実際、青苗地区では「地震の揺れが収まってから逃げたのでは遅い」と判断し、揺れている最中にすぐに家外に飛び出し、走って高台を目指した者は助かり、揺れが収まってから逃げたり、車で逃げた者はその大半が津波に飲み込まれた。それが現実なのである。地震が発生し津波が予想される場合は、まず何よりも「着の身着のまますぐに走って少しでも高い場所へ逃げる」ということが鉄則である。あえて津波から助かる有効な手段は、この他にはないと私は断言したい。