平成5年7月12日午後10時17分…
その夜、妻と娘は就寝していたが、私は居間でテレビを見ながらくつろいでいた矢先、突然の縦揺れに飛び跳ねた。今まで体感したことのないその大きな揺れに「地震だあ!」と叫び、途中から横揺れに変わった状態の中、転びながら妻子のもとへ駆けつけた。今にも倒れそうなタンスや鏡台を両手と片足で抑え、妻子の布団の上に倒れるのを夢中で防いでいた。
その時の状況は今でも鮮明に記憶している。揺れと同時に食器棚から食器が落ちて割れる。家具の上にあった物が落ちて散乱する。その家具もドミノ倒しのように崩れ落ちる。本棚の本が飛び出す。熱帯魚の水槽の水は溢れ出す。窓ガラスの割れる音。蛍光灯が揺れて天井に繰り返しぶつかる。天井や家の柱がミシミシ音をたてる…。「もう収まるだろう」と心の中で冷静さを装うようにつぶやくが、同じ時間と同じ惨状が繰り返される…とにかく家全体が揺らぐ中、家中足の踏む場もないほどに物が散乱し、そのうち停電にもなり、妻は叫ぶ、子どもは泣きじゃくり、もう私もパニック状態となっていた。大きな揺れの影響で焦点の合わないその「現実」は語れるが、その恐怖心は今でも言葉にできないものである。
それでも揺れが弱くなったのを見計らい、妻子を連れて着の身着のまま走って高台に逃げたのは、これほどの揺れなら必ず「津波」が襲ってくることを予測し、目の前に日本海が拓け、海抜3メートルほどの地に建つ我が家が飲み込まれることを確信したからだ。暗夜の中を駆け抜け、津波の心配がない丘の上にたどり着いたとき、足から大量の血が出ていることに気が付いた。家を飛び出すときに真っ暗で何も見えなかったこと、散乱した家具やガラスの上を裸足で必死に逃げたためだとその場で思いながら、流血した足を見つめてなぜか安堵した記憶がある。
正確な揺れの時間は感じ方によって十人十色だが、私は1分以上は続いたような気がした。当時、町内には地震計が設置されていないため正確な震度の記録はないが、建物の崩壊などから最低でも震度6以上の烈震であったと推定されている。震源地は奥尻島の南西沖で、震源の深さ34㎞、地震の強さを示す規模はマグニチュード7.8という日本海の観測史上最大級のもので、年配者に伺っても、昔の文献などを調べても、このような大きな地震はこの島初めての出来事だった。北海道全域や東北地方、遠くは石川県輪島までの広範囲で、最大で震度5の中震を記録していた。