被災地:徳島市佐古四番町
「地震があった頃は、この辺りは戦争の空襲の傷が癒えず、まだ焼け野原の状態だった。家という家はほとんどなく、この辺りでは私の家があるだけだった。私の家からJR佐古駅や佐古小学校の講堂についていた朝日マークまで見えるほど、周りに何もない状態だった。
当時私は、平屋建ての家の中にいたが、縦横がわからないくらいの大きな揺れを感じた。庭の角にあったモチノキがユサユサ揺れていたのを覚えている。その日、父は高知へ出張しており、母が必死で私たち6人兄妹を抱きしめていてくれたのを覚えている。
家族は、家の外には逃げずに、いつでも逃げられるように入り口の戸をあけて、じっと様子を伺っていた。その頃、父も同じように、高知駅で帰りの汽車を待っているときに地震を体験したらしく、突然の地震に驚き、隣にいた婦人が怖さのあまりにしがみついてきたという話を聞いた。
私の家は、海際ではなかったので、津波の影響は受けていないが、当時中学1年生の私は、そのとき初めて「地が揺れる怖さ」を知った。地震が静まった後、母が作ってくれた「おみいさん」の温かさで、救われたような気がしたのを覚えている。
今は、その頃とは違い、この辺りはたくさんの家が並ぶ界隈になったが、少子高齢化のあおりを受けて、今では、高齢者の一人暮らしやご夫婦だけの家が、町内の半数を占めている。今の状態で、もし、あのときのような大きな地震が来ることを考えると、町内に住む一人暮らしの高齢者の避難方法や救助について、昔とは違った観点での課題が生じていることを感じている。緊急時の近所同士の呼びかけ方や、避難場所への誘導など、昔より以上に、事前に気を配っておかなければならないことがたくさんあるように思われる。」