被災地:新潟県小国町
10月23日
午後5時過ぎ、あたりは日暮れて家族は夕飯の準備が整った。長岡に嫁いだ娘は明日ケアマネージャーの試験、会場まで送ってゆくことになっていた。1歳の誕生日を来月14日に控えた孫を連れて実家へ来ていた。明日は妻が孫の子守役である。
その時、突然激しい地震、一瞬プロパンガスが止まった。「ガスを止めました」のメッセージが流れる。一瞬孫が泣いた。娘が毛布で孫を抱いて外へ飛び出す。玄関の棚の花瓶がすさまじい音を立てて割れた。4人して家を飛び出す。前の床屋さんとお隣さんも出ていた。
そこへ2回目の余震、これもひどい。電柱に寄りかかる。声も出ない。いまだに経験したことない大きな地震。一体どういう地震だ。どこが震源地か。少しおさまってから家の中からラジオつき懐中電灯を持ってきた。ラジオは小千谷の様子を伝えている。
車を車庫からだし、そこに娘と孫が入る、「娘と孫を守ってくれ」といいながら、救護施設へあわてて出かける。こんな災害に一生に一度遭うことがあるなんて、今年は、水害、台風、地震と災害続きだ。なぜこんな災害がたびたび起こるのだろうか。布団を取りに家に入るが、出る時なんともなかった玄関のゲタ箱が倒れ、物が散らばって足の踏み場もない。
役員が呼びに来て、車で集会所前に集まる。大勢集落の人が集まって炊き出しの準備に入る。ラジオでは死者が刻々と増えている。信じられない。夜が明けるともっと被害は広がるだろう。楢沢集会所は基礎が10センチも西に動き、床板がもり上がっている。
車庫に泊っていたバス2台を総代が頼み込んで避難所に借りうける。ここに老人や子供を入ってもらう。ヒーターをつけ放しで車内は暖かい。10時頃、娘婿が長岡から2時間かかってきて来て、びっくりさせる、娘は喜ぶ、孫も目を覚まし、きゃつきゃと喜ぶ。この無邪気さが救いだ。ケータイは「圏外」で通じない。電話も通じない。電気が切れて、真っ暗。安否情報に地域の人の名が出るが、返事が出来ない。
集会所の石油ストーブがたかれ、お茶をいただく。長い夜だった。ストーブの周りでまんじりともせず夜を明かす。美しい星空だ。この星空の下で展開されている人間の喧騒を見守っているようだ。それにしても、何百年に一度に大地震をなぜ経験しなければならないのか。しきりに溜息が出る。
町の五十嵐助役来て、防災無線が通じなくて小国の被害状況はマスコミで伝えられないという。生涯の内にこんな災害が来るとは、誰が予想していたか。阪神大地震なんか、他人事のように思っていた。孫は風邪を引いてセキするが、一人はしゃいでいてこの子からエネルギーをいただく。
(体験談2に続く)