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地震体験談(被災経験談)
悲惨な経験を忘れずに。防災に役立てましょう。


関東大地震 経験談8 木に引っかかる死体

被災地:東京 本所区

当時私ども父母と兄妹3人は工場の従業員20数人と住んでいた。
私は府立第一高女の二年生で始業式から帰宅、浴衣に着替えてアルバムを見ていた。

突然ゴーツという音に何だろうと思って顔をあげた瞬間、ドンと突き上がりガタンと落ち、大揺れに揺れて歩こうにも歩けない。畳の上を這うようにまごまごしているうちに、目の前に隣家の屋根瓦が現れた。驚いて外へ出ようと思ったが、思うように動けない。突然私の名を呼びながら父がよろけながら私の手を握った。早く逃げるのだと手を引っ張り、やっと外へ出て驚いた。

 

つぶれた家々の屋根瓦の山、もうもうとした土煙りの中を父と私は、外手公園から石原町あたりまで走って来たとき、巡査が被服廠へ逃げろと誘導していたので、みな被服廠跡めがけてかけ出した。もう広場は一杯で、荷物を引いた馬、大八車に満載した畳、家財道具、そのそばでもたれるようにしている怪我人など、不安とあせりで私達は危険ということは全く気付かなかった。

 
被服廠跡は火に囲まれ黒煙の中を炎が上がっている。「広いけど大丈夫かしら」と話ながら少しでも落ち着きたいと思っていた。この大量の家財道具に火がついたらどんな惨事になるかなどは夢にも考えていなかった。空は真黒、その中に絵の具で塗ったような真っ赤な大きな太陽が見え何とも不気味な光景、「お母さん達、大丈夫かしら」「大丈夫だよ、大勢いるから皆と一緒に来ているよ」私達もこのまま火は消えるものと信じ込んでいた。と突然ゴーツという音と一緒にものすごい風が起こり、アツという間に物はみんな飛び散り、火が私達の中に舞い込んできた。

 

「お父さんお父さん」と私はころげ廻りながら呼び続け、父の手を求めたが、その時はもう父と離れ父の声は聞こえない。私は声の続くかぎり父の名を呼び続けた。ころんでは起き、起きてはころびして真暗闇の中を走った。折り重なった死体の上も走った。闇と火の二色だけの中を走り廻ったのだ。

 

急に気味悪いばかりの静かな所に出た。一方は火で明るく、一方は真暗で何ということなしに暗いほうへと歩いていった。安田邸の池に出た。私は夢中で池の中に飛び込んだが火の粉が顔にふりかかり、その度に頭を水の中に入れて防いだ。「駄目だ駄目だもっと頭を沈めて」と人の声、ああ人がいた、生きている人が。私はその男の人に支えられて初めて涙が溢れた。池の中にはかなりの人が生きていた。ああ、私は生きていたのだ。

 
あたりがボーツと明るくなって私はこんな光景は恐らく終生めぐり会う事はないだろうと思ったぐらい震えが止まらなかった。木という木は真黒に焼けぼっくいになり、その木の股に焼けただれた死体がまたがっているではないか、身体中の力が抜けてしまった。親切な人のお蔭で隅田川の川ぷちまできたとき初めて浴衣は裂け手足が血だらけなのに気がつき、急に痛みを感じその場に横になってしまった。

 

ふと気づくと、何と軍隊にいっている隣の人がいるではないか、命令で救助隊員としてきたそうな、いろいろお世話になって、その後、両乳房が焼けただれた母や全身火傷になり気絶して暁方の雨で気がついたという兄、軽傷の従弟、工場の人達などど再会することが出来て初めて大声あげて泣いた。しかし父の姿はいくら探しても見当たらなかった

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作成者:
地震体験・被災経験
日付:
2010年4月15日 um 4:13 PM
カテゴリー:
関東大震災(1923年)
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